2010年1月30日

エイズ・チャリティーディナー

1月28日、ブーローニュの森にある旧邸宅で、恒例のチャリティーディナーが開催されました。
招待客はディナーにふさわしいカクテルドレスとブラックタイという服装。それだけでも豪華なのに、顔ぶれも絢爛豪華。
エイズ研究資金募集を目的としたこのチャリテイーディナーのオーガナイザーは、ピエール・ベルジェ。イヴ・サン・ローランを世に出すために全身全霊を捧げ、オペラ座の会長も長年務め、雑誌社経営、オークション会社経営、レストラン経営など、数え上げきれないほどの活躍をしている実業家。

そのベルジェが率先してエイズ撲滅運動を起こし、そのひとつとしてチャリテイーディナーをオーガナイズしているのです。
大統領夫人カルラ・ブリュニ・サルコジのお兄様も不幸にしてエイズで亡くなられたので、去年から彼女は主賓。一段と華やぎを増したチャリティーディナー。今年はサルコジのバースディと重なったために出席出来なかったものの、カルラは映像で出席者に語りかけ、チャリテイーディナーがオープン。
日本でも大人気の歌手シルビー・バルタンと夫君、美貌のヨルダン王妃ラニアのお気に入りのデザイナー、ステファン・ロラン、ミッテラン文化大臣、スーパーモデルのナオミ・キャンベル、その他女優、歌手・・・めまいがするほど豪華な人ばかり。

ステファン・ロラン、
 シルビー・バルタンと夫トニー
フランスはこうしたチャリティーがとても盛ん。テレビ局が30時間ぶっ続けで難病のための募金を呼びかけると、企業も個人も可能な限りの寄付をするし、前大統領夫人ベルナデット・シラクが主催する、若者や幼児のための病院への寄付も毎年素晴らしい成果あげている。東南アジアの津波、最近ではハイチの地震など災害への寄付金もあっという間に集まる。
フランス人というと、しまり屋とかケチな国民という定評がありますが、日々の生活のために無駄使いはしないけれど、チャリティーへの寄付は惜しまないという、非常に高貴な心の持ち主なのです。これは「ノブレス・オブリージュ」の精神のあれわれ。
それに関しては、日本はまだまだ学ぶべきことが多いように思えます。

2010年1月27日

ディオール大好き!

1月末はオートクチュールの季節。
25日のトップを飾ったのはディオール。
アヴェニュー・モンテーニュのディオール本社は
この日、バラの花飾りと着飾った華やかな人々で夢の館に変身。
日常は彼方に姿を消し、かけらすら見えません。
そこにあるのは限りなく華麗で甘美な世界。

クリスチャン・ディオールが第二次世界大戦後、
人々がまだ不安と同居していた時代に、 贅沢で、
豊かさが満ち溢れ、この上なくエレガントな
コレクションを発表した、その時代を彷彿させるようなショーでした。
本社でショーを開いたのも当時と同じならば、
豊かさとフェミニンの象徴的存在のドレープが多いスカート、
ウエストを絞り腰と胸が強調されたデザインも同じ。

けれども鬼才ジョン・ガリアーノは、単なる過去の再現ではなく、
創立者ディオールが意図することを忠実に守りつつ、彼独自の創造性を全ての作品に明確に表現。ガリアーノの才能が発散するインパクトのある現代性は、体中の細胞に働きかけ、感激がすごい勢いで全身を走ります。
別の惑星からこの日のために地上におりたったような、手も足も細く長く、完璧な美しさを持つマヌカンが披露する作品の豊かさは、
そこにいる全ての人を非日常の世界に導かないではいないほど素晴らしい。

クリスチャン・ディオールがデビューした時代は、経済が混沌としていた時代。今の世も同じ状況。
そうした時にあえて美麗な作品を発表し、
人々を、たとえつかの間であっても、夢の世界へと誘うディオール。
やはりモード界の王者ならではの余裕と才知です。

2010年1月20日

シャトレのつぶやき5 毛皮ものがたり

 
旧年の末からとてもとても寒いパリ。気をつけていたけれど、ちょっとカゼ気味になって寝込んでしまいました。クシャミもひっきりなしに出たし。デモ、もう大丈夫、しっかり寝たから。

ひとりで寝ているのもつまらないから、
クリスマスプレゼントの私にそっくりな可愛いいネコちゃんと一緒に、フカフカのお布団に転がっていました。
そうしたらママンがナンと言ったと思う? 
「そんな安物の毛皮なんか着ているからカゼひくのよ」だって。自尊心を傷つけられるってこういうことよね。
安物だなんて言われたって、これしかないの。生まれたときからずっとこの毛皮一枚。
だから毎日ていねいになめて手入れをしているの。それも大変なことなのよ。
なにしろワタシの毛は長いでしょ。だから時間もかかるし、ときにはエビソリになることもあるの。ミンクの方が豪華でいいに決まっているけれど、世界がいくら広いといっても、ミンクを着ているネコなんて見たことないでしょ。

そうそう、毛皮といえば、スイスはネコにはとても恐い国なんだって。
2,3年前だけど、スイスでネコの毛皮を売っているってテレビで放送していたの。
それを知ってママンは
「なにがあってもスイスに一人で行ってはダメよ」
と言っていたけれど、なんだか平和な中立国スイスのイメージが狂ってしまうわネ。
最近では映画監督のロマン・ポランスキーが、
30年ほど前にアメリカで犯した罪のために国際手配されていて、
今までどの国でもナンともなかったのに、いきなりスイスで逮捕されたし。
ポランスキーはしばらくはプリゾンに入っていたけれど、
ものすごい保釈金を払ってそこからナンとか出て、
今はスイスにある自分の別荘でおとなしく暮らしているんだって。
でもスイスが彼のパスポートを没収したからどこにも行けないの。
その上、いつアメリカに引き渡されるかもしれないらしいの。
まるで、「レ・ミゼラブル」のジャン・ヴァルジャンを追う
ジャベル警部みたいにしつこいのね。

とにかく、安物であってもワタシの毛皮はワタシにとってとても大切。
ママンがナンて言っても変えないの。
夏の暑いときにはキッチンやバスルームのタイルの上に
転がって体をひやすの。
とってもいい気持ちよ。それを見てママンはまた言うの。
「この暑いのにどうして毛皮なんか着ているの。チャックをつけてあげるから脱いだらどうなの」
ほんとうに疲れる人。

2010年1月11日

モロッコ、ララ・サルマ妃


城壁に囲まれたマラケッシュ

フランス大統領ニコラ・サルコジとカルラ夫人は、クリスマスから年末にかけての休暇をモロッコで過ごしました。
モロッコ国王モハメッド6世の招待によるものだそうです。
マラケッシュの宮殿での会食の写真が報道されていましたが、ララ・サルマ妃もカルラ夫人もノースリブという姿。
そこにモロッコの近代化のひとこまが見られます。

国王が結婚相手として選んだのは、平民の大学教授の娘で、コンピューターのエンジニアという最新技術を駆使する才媛。
結婚を公表し、式の様子を公開し、妃の称号を授けたモハメッド6世。そのどれも歴史上初めてのことでした。

マラケッシュの旧市街メディナ
それ以前は、国王が結婚した女性は国王の子供たちの母君と称され、姿を見かけることもなかったのです。
ところが2002年3月21日モハメッド6世は結婚式を大々的に報道。モロッコ国民は自分たちの国王の妃を初めて目にしたのです。

澄み切った大きな瞳、そこから放たれるキラ星のような輝き、知性の象徴のような広い額、優しさを称える唇、カールした赤みがかった豊かな髪。金糸銀糸の刺繍をきらびやかにほどこした民族衣装カフタンも似合えば、パンタロンやスーツ、ワンピースなども着こなすララ・サルマ。まるで神秘の世界から、地上を越えた美しさを携えながら降り立ったようなララ・サルマ。国王の外国訪問にも頻繁に同行し、新しいモロッコの魅力を世界に発信しています。

モロッコはかつてフランスが統治していた時代がありました。
そのためにフランス人は、モロッコに特別な愛着を抱いているのです。
サルコジが大統領に就任してすぐに訪れ、多くのフランス人がマラケッシュやダンジェに別荘を持っているモロッコ。
長く屈折した歴史と、それを損なわない近代化、民主化を実現しているこの国へ、
フランス人が向ける視線はますます熱くなる一方。

2010年1月7日

パリを襲ったユニクロ

「ユニクロって知っている?」
「ユニクロにもう行った?」
オープンしてすでに4ヶ月たつのに、いまでも話題になっている
ユニクロ。
オペラ界隈を歩いていて何度「ユニクロはどこですか?」
とフランス人に聞かれたことか。
ユニクロが日本のメーカーであることを知っていて、私が日本人の顔をしている証拠。

市バスのボディーに大きな広告をのせたりして、
前宣伝が華やかだったので、
2009年10月1日のオープンの日に興味しんしんで行ったら、入るまでに2時間待ち。
中にやっと足を入れて驚くのは、品目が多いこと。
カラーも豊富できれいなこと。布地の手触りもいいこと。
そして、何よりも、価格が手頃なこと。販売員の親切なこと。
ここが本当にパリ? と疑いたくなるほどやさしいのです。
その結果、カシミヤのセーターをたくさん買ってしまいました。

会計でも並ぶこと2時間。その間に耳にしたフランス人の
感想がとても面白い。
「ほら、見て。この忙しいのに販売員が笑顔をたやさないでいるわよ」
「ほんとうね。フランス人だったら、すごく不機嫌になるのにね」
「ねえ、聞いて。レジがあくとすぐに何番があいていますってアナンスしているわ」
「ウーン。さすが何でもきちんとする国民らしい」
「ここで働いているフランス人も、なんとなく日本人みたいに親切だと思わない?」
たしかにそうなのです。
ユニクロのフランス人社員は、多分、日本が好きな人とか、
日本語を学んだ人なのでしょう。
そしてきっと、日本の会社のように社員教育をしたのにちがいない。
日本人のごとくに感じよく、親切にすべし、と。

オープンして一年間は赤字を覚悟していたのに、
それに反して利益を生むのは確実、とディレクターはほくほく。
今後、パリ市内の主だったところに5、6店舗増やす計画があるそうです。

あのユニクロが、世界のファッションの中心地パリで
これほどの人気を呼ぶとは、
世の中の変化を形あるものとして感じるばかり。
去年、フランスのある雑誌の投票で、もっともパリにふさわしい女性に選ばれた
イネス・ドゥ・ラ・フレサンジュは
「マークのない服を着るのがパリ的なおしゃれ」
と語っています。
今はそういう時代なのでしょう。
そうであれば、ユニクロのパリ進出は理想的な時期。
いろいろと考えさせられるユニクロの進出です。

2010年1月6日

シャトレのつぶやき4 ギャレット・デ・ロワ

1月6日は楽しい日。
おいしいおいしいパイのお菓子、ギャレットが食べられるの。
ギャレット・デ・ロワというのは「王様たちのギャレット」という意味。
その中にはフェーヴが入っています。
フェーヴはそら豆のこと。
それが胎児に似ているから、ギャレットの中に入れるようになったんだって。

なぜかというと・・・
ママンがいつものようにお話ししてくれました。
世の救い主のイエス・キリストがベツレヘムに生まれたので、
東方の三人の博士、メルキオール、バルタザール、カスパールがお祝いにかけつけたの。それが1月6日。
その博士たちは、ワタシにはナンのことだかわからないけれど、
黄金、乳香、没薬をプレゼントしたんだって。
それを記念して、この日に、
中に陶器のフェーヴが入ったギャレットを食べてお祝いするようになったの。

ギャレットはアーモンド入りとか、チョコレートや野いちごが入ったのもあって、
どれにしようか選ぶのが大変、それでいくつも食べることになってしまうのです。
大きなギャレットを切って分けるとき、
どれにフェーヴが入っているか知るのが楽しみ。
それにあたった人は男の子だったら王様になれるし、
女の子だったら女王様になれるの。
そして、自分の好きな人をその日のカップルに選べるという、
とっても幸せな日なの。
ギャレットを買うと必ずクラウンがついているので、
それをかぶるのよ。

フェーヴもバラエティーに富んできて、
そら豆の形はどうでもよくなって、今ではお人形さんとか、動物、小さな家まであるの。それも楽しみ。

クリスマスでケーキを食べて、
またまたギャレット。体重大丈夫かな。
だけど、クラウンをかぶるのって、すご~~くむずかしい。



2010年1月2日

シャトレのつぶやき3 フランス語のレッスン

  
ワタシはママンの頭の中がわからない。
だって、ワタシがネコだと知っているのに、
言葉をおぼえさせようとするのだから。
それというのも、アメリカのテレビ番組で
オウムに数字を教えているのを見たからなの。
飼い主の女の人が数字を言うと、
オウムがその数字を書いたカードを口に加えて、
ちゃんと飼い主に渡していたの。
それを見たママンは大感激。
とつぜん、教育ママにはやがわりして、
ネコも教えれば言葉を覚えると信じたらしいの。
そのためにワタシは、フランス語の特訓を受けることになったのです。

最初、ワタシは、何が何だかわけがわからなくて、
ただただびっくりしていたけれど、
「デュ・レ」とママンが言いながらミルクをお皿にいれてくれたので、
飲んでみると、何ておいしい!
これが「デュ・レ」なのかってすぐにおぼえたの。
それからというもの、
ママンが「デュ・レ」と言うと、ニャ~ン♪って、
歌うように答えてミルク専用のお皿の前に行くと、
どうでしょう。
ママンは顔をほころばせて、
「まあ、何ておりこうさん。もっとあげるわね」
と、ミルクのおかわりをお皿にたっぷり入れてくれたの。

それで気を良くしたママンは、だんだん欲張りになって、
あれこれ教えることになったのです。
たとえば、
「ア・ターブル」はテーブルにつくこと。
ダイニングテーブルにはワタシの専用の椅子があって、
その前にワタシのお皿もあるのです。
「プロムナード」はお外に行くこと。
「クッキー」は乾燥エサのこと。
「ジャルダン」はワタシの額のように小さいバルコニーに出ること。
「フィニ」はおしまいということ。たとえばクッションの上にのっていて、
この言葉を聞いたらそこからおりなくてはいけないの。
などなど、今ではフランス語が12 くらいわかるようになりました。
でも、レッスンはとても疲れるから、ワタシは時間があると
眠るばかり。

それにしても、オウムとネコの違いがわからないママンとの生活はとても疲れます。もう眠くてたまりません。
グーグー。