2010年5月30日

シャンゼリゼの変身

そうなのです。この写真は田舎ではなく、
かの有名なパリのシャンゼリゼなのです。
5月の日曜日と月曜日の祭日の連休を利用して、シャンゼリゼに木や芝生が植えられ、突然 オアシスに変身。
自然を大切にしよう、自然を見直そう運動が、世界で最も美しいお散歩道のシャンゼリゼで、このような形で行われたのです。

それにしてもパリジャンのすることは本当におしゃれ。
どこかの国だったら、
スピーカーをガンガン鳴らしながら叫ぶところを、
このようにスタイリッシュに呼びかけるのだから。
このほうがずっと効果的ではないですか。

以前にもこうしたことがありました。
麦がシャンゼリゼ一面に植えられ、馬まで登場。それが何を目的としたかは覚えていないけれど、農業に関することだったかもしれない。いずれにしても、シャンゼリゼはもともと野原だったところ。第一、「シャン」は野原という意味で、草ぼうぼうの未開地。そこに1616年、
当時の王妃マリー・ド・メディシスが王妃の散歩道を作らせたのです。
その後並木が植えられ、ギリシャ神話の楽園エリーゼの名をつけて、シャンゼリゼとなり、カフェ、レストラン、ブティックなどが居並ぶようになったのです。

またいつか、朝起きたら、
突然、シャンゼリゼが変身していたなどということがあるかも。
パリジャンは思いがけないアイディアを持っているし、楽しむのが好きですね。
それはとてもとてもいいことです。

2010年5月24日

マリー・アントワネットの講演

マリー・アントワネットの日本での人気には、
ほんとうに驚きます。
彼女が王妃だったフランスで語り続けられるのは、
当然といえば当然。
それに対して地球のほぼ反対側にある日本で、
これほど長い間興味をもたれていることは、
感嘆の一言につきます。
これこそ日本人の向学心のあらわれのひとつ。

今回、短期間ですが東京に行ったのは
銀座和光のお客様に、
マリー・アントワネットに関して語るため。

400年の歴史を誇り、
マリー・アントワネットのご用達だった
宝飾の老舗メレリオが、
マリー・アントワネットをイメージした作品を発表し、
それを記念しての催しを和光で開催中。
宝飾をこよなく愛した
美麗なマリー・アントワネットにふさわしい、
フェミニンでエレガント、
そして華麗さがある作品ばかりで、
めまいがしそうなほど。

すでにマリー・アントワネットに関しての知識は
皆様たくさん持っていらっしゃるので、
彼女は勇気があり。積極性もあり、
自分のスタイルを持ち、
それまでの飾り物の王妃とは異なり、
自己主張をし、
現代女性に通じる物をもっていたなど、
私の見解を加えながらお話ししたところ、
共感を呼んだようで、ほっとしたり、嬉しかったり。
数人の女性が熱心にメモを取っていたので大感激。
こうなると、
パリ市内にある図書館や古文書館に通い、
もっともっと細かく調べて、
びっくりするようなことを
ぜひとも語りたいと心は熱くなるばかり。
いつお声がかかるかわからないけれど、
今から準備に入ろうと決心する私も、
マリー・アントワネットの熱心なファンなのです。

2010年5月23日

シャトレのつぶやき13 ワタシって有名人?

退院したばかりのワタシを置いて、
ママンが東京に行ってしまったの。
写真でわかるようにワタシの顔色もあまりよくないようだし、
少しやせたと思わない?
それなのに、ひどい人ね。
でもまあ、いつものように、すぐに帰ってきたから許してあげるけれど。

五日後に帰ってきて大騒ぎ。
「聞いて聞いてよシャトレちゃん。君って東京ですごく有名なのよ」
だって。
ナンでもママンが会った何人かの人が
「シャトレ元気ですか?」
ってワタシのことを心配しているんだって。
しかも、その中には初めて会った人もいるのよ。
それで単細胞の固まりのママンは感激して
「まあ、ブログを見てくださっているのね」
と涙を流すばかりに喜んだの。

ママンがいない間、ワタシはふてくされてソファーを独り占めしてゴロゴロの毎日。
だって話し相手はいないし、いじめ相手はいないしなんだもの。「君におもちゃをおみやげに買ってくるから、いい子にしていてね」って出発前に何度も約束していたのに、ママンはすっかり忘れて
自分の食料品ばかり買い込んでいたの。
トランクを開けるたびに、今度こそおもちゃが出てくるかと期待していたのに、
漬物、おせんべ、ほししいたけ 日本茶 ETC
それらしきものは、ついに現れないじゃないの。
気分を害したワタシが声を荒げて
ニャーン、ニャーンと泣き叫びながら、ママンの周りをグルグルまわると、
「あら、おなかがすいたのね、じゃ、お薬を飲んでからご馳走をあげるわね」
ってまるで進歩していないの。
それからいつもの「お薬飲みなさい」「イヤッ」の戦いがはじまったのです。
それにしても、ママンは東京でナニをしていたのかしら。
ナンでもマリー・アントワネットという人について
お話をするとか言っていたけれど、
ワタシはまだその人に会ったことがないの。
すごい美人だってママンがちょっとだけ話してくれたので、
いつか会う日のためにワタシも美しさに磨きをかけなければ。
ああ、いそがしい いそがしい。

そうそう、ワタシへのファンレターはこのブログに送ってね。
楽しみにしています。

2010年5月9日

5月8日の重要性

5月8日はフランスでは二つのお祝いが重なる重要な日。
ひとつは、フランスを救った少女として名高いジャンヌ・ダルクが、オルレアン市をイギリス支配から解放させた日。はるか昔の1429年のこと。そしてもうひとつは、第二次世界大戦がヨーロッパで終了した日。1945年のことで、この日は「勝利の日」と呼ばれます。

戦いの勝利を祝い、全ての官庁関係の建物にはフランスの国旗がひるがえり、
ますます美しい街になるパリ。
ジャンヌ・ダルクはどうかというと、パリの場合にはチュイルリー公園近くの彼女の金ピカの騎馬像に立派な花が飾られ、道行く人の足を捕らえます。
オルレアンや彼女の処刑地のルアンにも花が飾られ、 
ジャンヌ・ダルクの名は常に人々の口にのぼるのです。 
                     
ジャンヌ・ダルクは「ドンレミの小さな村に生まれて・・・」
と私が小さいときに読んだ本に書いてあり、その後も誰もがドンレミと発音していたのですが、一昨年に彼女の生まれ故郷に行ってドンレミではなく、ドムレミが正しいのだとわかりました。スペルもそうだし、現地の人も皆ドムレミと発音。こうした間違いって以外と多いのです。
まあそれは大したことではないのですが、
ジャンヌ・ダルクの生家が残っているというのは、
やはり、かなりの感激。
ほんとうに小さい村で、しかも人里はなれていて、よくまあこんな田舎の無名の少女に、後のシャルル七世は軍を任せたものだと思わずにはいられないほど、何もない地。彼女が生まれた部屋を見たし〔右の写真〕、生前の彼女の唯一の肖像デッサンも見たし、サインも見たし、洗礼を受けた教会も訪問したし、なんだか最近は、ジャンヌ・ダルクが身近に感じるようになって不思議な気分。
歴史上の人物もその足跡をいくつも辿ると、
自分が本当に知っていた人のように思えてくる。
それだからこうした旅はやめられない。
今度は何世紀の誰に会いに行こうかしら。                      

2010年5月7日

ナポレオンの命日

5月5日は皇帝ナポレオン一世の命日。
この日には毎年、フランス・ナポレオン史学会主催の様々な行事があります。私も一応その会員なので、出席。とは言うものの、単に興味があったので行っただけのこと。

ナポレオンが眠るアンヴァリッドに、プリンセス・ナポレオン、プリンス・ナポレオン、その他、帝政時代に活躍した将軍や将校の子孫などが大勢集まり、厳粛な空気が漂う中で花束を捧げます。
トランペットが鳴り響き、軍服に身を固めた軍人が見守る中でのこうした儀式は、本当に美しい。まるで、今、ナポレオンが埋葬されたかのように大緊張。
すると、どこからか「皇帝バンザイ」の声があがるではないですか。それが高い天井に上り感激に拍車がかかります。
ナポレオン崇拝は過去のことではないのですね。
断っておきますが、これはオタクの儀式ではなく、
ナポレオンの関係者による真面目な儀式なのです。

その後、そのすぐ裏手にある教会で一時間のミサ。立派なパイプオルガンが鳴り響き、聖歌隊の清らかな歌声が流れ、神父さまのナポレオンを称える言葉があり、厳粛なミサは続きます。

夜8時からセーヌ河を3時間かけて回りながらのディナー。桟橋にはナポレオンの時代と同じ軍服姿の、その日だけの軍人が整列。どの人もちょっと太り気味なのが残念。それでも雰囲気は盛り上がります。

30分ほどシャンパンを片手にカクテル。もちろんシャンパンのマークはナポレオン。ほとんど見知らぬ人ばかりだけれど、ナポレオンという強力な仲介人がいるから、すぐに話は弾みます。

やがて船が音もなくゆっくりと動きはじめ、皆それぞれ着席。何種類ものワイン、フルコースの食事、そして話はナポレオンに関することばかり。セーヌ河を通りながら、ナポレオンにちなんだ場所にさしかかると、誰かしらが立ち上がって「ナポレオン バンザイ」を唱え、それに合わせてあちらからもこちらからも「ナポレオン バンザイ」が上がり大合唱。
「ところであなた日本人ですか?」
「はい、見ての通りです」
「日本人のあなたがナポレオンを知っているとは」
「でも日本では子供でもナポレオンを知っていますよ」
と言うと、皆、びっくり。こんなことでびっくりされて、こちらの方がよけいにびっくり。
何はともあれ、崇拝者は何世紀を過ぎようとも後を絶たないようですね。
それにしても、過去と現在が入り混じったとても不思議な一日でした。

2010年5月6日

シャトレのつぶやき12 わーい やっと退院!

嬉しいな、嬉しいな、やっと退院できるんだもん。このピンクのバッグに入ってお家に帰えれるのよ。これはクリスマスにサンタさんからプレゼントしてもらったの。本当はこれで南仏に行って、サングラスかけながら日光浴をしようと思っていたのだけれど、こんなときに役立つとは。でも素敵でしょ?クリニックの人にも、お友達にも見せびらかそうっと。

ママンが今朝一番えらいドクターにお電話したら、
「とても順調なので、今日の午後に退院していいですよ」って言ってくれたんだって。それを一番喜んだのはママン。
それからが大変。
「シャトレを迎えに行くのにナニを着ていこうかしら」
って自分のことばかり気にしているの。
「そうそう、ナンだか急に寒くなったから、シャトレのお洋服も用意しなくては」
って、やっとワタシのことも考えてくれたの。
そうは言ってもネコの服なんかないものね。
それでママンは洋服タンスをあれこれ見回して、
「うん、これにしよう」
って自分のセーターを引っ張り出して、それでワタシを包むつもり。
お家に帰ってもお薬は毎日飲まなければならないの。それはママンの役目。
「ハイ、これを飲むのよ」
「イヤッ」
「そんなこと言わないで飲むの」
「イヤっていったらイヤッ」
「飲むの」
「イヤーン」
このような戦いがずっと続くのであります。

2010年5月4日

シャトレのつぶやき11 入院しているの メソメソ その3

ワタシの病名は心筋症だって。

生まれたときから心臓の形がおかしかったけれど、今まで症状がなかったのね。それが今になって出てきて、そのために心臓だけでなく、肺や腎臓にも影響を与えるので気をつけなければいけないんだって。
そういえば、ワタシってすごく怖がり。何しろ、ママンが本のページをめくる音も怖くてビクッてすることがあるくらい。
それもデリケートな心臓のためだったのか。

とは言え、こんなこと自慢にもならないわね。
早く良くなってお家に帰りたい。
そのためにも嫌な点滴も続け、あの、信じられないくらいまずいお薬も
飲まなければならないの。
でも、いいこともあるのよ。それはお友達ができたこと。
今まで世の中に、こんなにいろいろなネコがいるなんてちっとも知らなかったの。
黒もいればシマシマもいる。
ママンが写真をとったので紹介するわね。あったことはなかったけれど、ワタシと血がつながっていないお兄さんに似たのもいるんだって。
ママンがそう言っていたわ。ラムセスっていうすごい名前。
ワタシの前にこのお家にいたのね。その妹でセザールもいたらしいわ。

このクリニックは24時間、誰かしら面倒をみる人がいるの。宿直室もあって、ママンがいつもの通り素早く盗み見したら、
ベッドもあるし、テレビや冷蔵庫もあるんだって。だから安心。でもきっと入院費が高いわって、ママンは今度は他の心配をしているの。あの人って心配探しの名人なのよ。何でも大げさなんだから。
「だけど可愛い君のため。いくらでも払うから心配しないでね」なんて言ってくれるの。いいところがあるじゃない。

ああ、今日も来ていい子いい子ってなでなでしてくれないかな。ワタシはそれが大好きなんだもん。そうしたら嫌なお薬も飲んで、ワタシもそれなりの努力をするからさ。

だけど、ワタシのお顔あまりきれいではないわね。
手がうまく使えないから
お顔を思ったようにお手入れ出来ないの。
退院したらまた時間をかけて美しくなるようにするわね。

2010年5月3日

シャトレのつぶやき10 入院しているの メソメソ その2

ママンが昨日もおとといも来てくれたので、
嬉しかったわ。何しろクリニックにいる人は、獣医さんかもしれないけれど、とにかくワタシの嫌がることばかりするんだもん。
お注射もするし、
まずい薬も飲ませようとするし。
「大変なんですよ。シャトレは薬を飲ませると、パッとはいてしまうのですから」
と獣医さんはママンに言いつけていたけれど、あんなまずいもの食べられないわ。

ワタシは今のところ点滴が必要なんだって。あまり食べていないので、栄養が不足するのを避けるためかしら。
そのために点滴を一日中しているんだけれど、写真でわかるかしら、左手にブルーの包帯を巻いているでしょ。それは点滴の針をきちんと固定するためなの。何しろ紐を見ると心がが騒いで、ジャレルからね。だってネコなんだもん。

ところでワタシは最初の内は二階にいたのだけれど、急患が入ってきてワタシは三階に移ったの。
「シャトレは一番上でみんなを見下ろしているのよ」
って、また獣医さんがママンに言いつけたの。
でも、上からの眺めは結構いいものよ。

それにしてもいつここから出れるのかしら。
今朝ママンがお電話して聞いたら、今週いっぱいは入院が必要と言われたらしいの。それでママンはまた今日もクリニックに来て先生にその理由を聞くみたい。ご苦労様。
ワタシだって早くお家にかえりたいな。
とにかく、まだワタシの入院日記は続きそうよ。

2010年5月2日

シャトレのつぶやき9 入院しているの メソメソ その1

ここはどこだと思う?
ワタシのお家ではないのよ。クリニックなの。ナゼって、病気になったからなの。

何日か前から息苦しくなって、呼吸を激しくしていたら、ママンが「あら、どうしたの、変じゃないの。呼吸をするたびに体が揺れているみたい。心配だからお医者さまに診てもらおうね」
そう言ってさっさとお電話して予約。歩いて10分くらいのところにある獣医さんに。

ワタシはほとんど家の中に暮らしているから、
外が怖くて、いつもなら可愛くニャンニャンって泣くのに、
「ウオーウオー」
怖いから声がおかしくなってしまったのね。
だって車はバンバン走っているし、人はうじゃうじゃいるし。
「何よその泣き方は。まるで猛獣みたいじゃないの」
とママンはが注意すれけれど、それどころではなかったの。怖い怖い。

獣医さんはマダム・カミュといってとてもやさしい人。
ワタシを診察台に載せていろいろいじくって、
「心臓か肺が悪いようなので、レントゲンとエコグラフィーをとった方が
いいでしょう。ここにはそうした設備がないので、クリニックを紹介しますね」
と、これまた即座にお電話して
「今からすぐに行っていいそうよ」
診察代金もとらずに、本当に親切な人。

さあ、それから今度はタクシーに乗って、
17区のクリニックに直行。
そこでまたグチャグチャいじられて、レントゲン。すぐに結果が出てママンが呼ばれ
「肺に水がたまっているので、詳しい検査が必要。そのために数日間入院しなければなりません」
そう聞いてママンは真っ青。
「え、入院ですって」
と大きな声を出すものだから、ワタシは恥ずかしくて
どこかに逃げ込みたいくらい。
ワタシと離れるのがよほど嫌なようで、いつまでも傍から離れないので、
ママンの処分に困った獣医さんが
「心配しないで。私たちが最大のことをしますから。
それにいつでも電話してかまいませんから」
それでやっと納得してママンは帰って行きました。
そうなるとワタシもやっぱりさみしいわ。
見知らぬ人に囲まれて、その日はそこに泊まるんだもの。

この続きはまたネ。
何しろいろいろあったのでワタシとっても疲れたの。
ところで、上の写真を注意して見ると、やっぱりワタシ病人の顔をしているわね。


2010年5月1日

スズラン祭

5月1日はフランスはスズラン祭の日。
その日は誰でも、どこでも、スズランを売っていいという日なのです。
しかもメーデーでもあるので休日。そのためにメトロの入り口にも、スーパーの入り口にも、エッフェル塔の前にも、路上にも、たくさんのにわかスズラン売りが立ち、あれこれ工夫を凝らしたスズランを売ります。
切花や鉢植え、バラやアイビーと組み合わせたブーケなどはクラシックな方で、最近はぬいぐるみやキティーちゃんも、スズランとその日だけのカップルになって売られたりしている。

チョコレート屋さんもまたまたアイディアの見せ所とばかりに、ウインドーを飾って人目をひく努力を発揮。それにしてもなんだかんだとチョコレートを食べる機会が増える一方で、本当にこわいわ。強い意志を持って食べなければいいとわかってはいるけれど、
チョコレートによる誘惑は成功度が高いのが事実。              
スズランは幸せを運ぶ花なので、自分が幸せになって欲しい人にプレゼントします。子供から母親に、夫から妻にというのがフランスでは定番。

この習慣が生まれたのは17世紀のフランス国王、シャルル9世の時代。彼はカトリーヌ・ド・メディシスの三番目の息子で「サン・バルテルミーの虐殺」で名を歴史に留めた人。「プロテスタントを殺せ、皆殺しにしろ」と叫び、それが国王の命令とばかりに、カトリックとプロテスタントの間に壮烈な戦いが繰り広げられたという事件。
陰惨な顔をしているし、極度に神経質で臆病で出来の悪い息子だったので、カトリーヌはずい分と手を焼いたようですが、その彼が1561年5月1日に幸福をもたらすスズランを宮廷の貴族たちにプレゼントし、この習慣が始まったというのですから、人は本当にわからない。

シャルル9世に関してもっと詳しく知りたい人は、私の苦心の著書のひとつ「息子を国王にした女たち」を読んでくださいね。

クリスチャン・ディオールが最も好きだったのもスズラン。
彼が亡くなったときには
棺にスズランをいっぱい入れて別れを告げたという感動的なお話もあります。
そういえば10年ほど前に、
靴の王者ロジェ・ヴィヴィエに東京で彼の展覧会開催を頼まれ、
いろいろと作品を集めたことがありました。
そのときに、イヴ・サンローランがコレクションしていた中に、
ヴィヴィエがディオールのために製作した靴があることを思い出し、
それを貸してもらえないか聞いたところ、快く承諾してくださり、
大感激したことがありました。
その靴にも愛らしいスズランの飾りがあったのです。
ああ、何てなつかしい思い出。
時は過ぎ、ディオールもヴィヴィエもサンローランも亡くなってしまったのね。

伝説では天国の入り口の両サイドにスズランが飾られ、
地上でおこないが良かった人がそこを通るときには、
チリンチリンと可愛らしい音を立てて迎えるということだけど、
こればかりは確かめようがない。
まあ、生きている間に、この地球でじっくりとその愛らしい姿を楽しみましょう。
ただしスズランは毒を持っているから、その点注意しなくては。
可愛いからといって安心出来ませんよ。人間の世界でも同じだけれど。