2011年2月26日

ディオール社、ガリアーノを停止処分

2月26日のフィガロ新聞も
大きく報道
モード界は今大きな衝撃に揺れています。
ディオール社の主任デザイナー、ジョン・ガリアーノが突然、停止処分されたからです。
その理由は、ガリアーノがマレー地区のカフェで、ユダヤ人カップルに暴言を吐いたというもの。

事件が起きたのは2月24日木曜日。
ガリアーノはマレー地区の自宅近くにある行きつけのカフェのテラスで、ユダヤ人カップルと争論になり、かなり激しく人種差別的な言葉を発したとのこと。
警察に詰問されたガリアーノは、それを否定していますが、クリスチャン・ディオール・クチュール社長のシドニー・トレダノは、この事件を重視し、調査が終わるまでガリアーノを停止処分する決定を素早くしたのです。

モードの風雲児として、停滞しかかっていたこの業界に新風を吹き込み、活性化させたガリアーノの業績は大きい。
実際に彼は非凡な才能の持ち主。
彼による意表をついたコレクション発表は、毎回大きなイヴェントとして、世界中の熱い視線を独り占めにしているほど。
それだけに彼の停止処分が与える衝撃は大きい。

ガリアーノのインタビューを10ヶ月間、連載で掲載したことがあります。
毎月異なったテーマのインタヴューを
10ヶ月間連載。ハーパース・バザー
2006年のことでした。
時にはお茶を、時にはランチを彼のアトリエで一緒にとったりしながらのインタビューで、大変貴重な経験でした。
この稀有な時間で、彼がいかに繊細な感性の持ち主であるかよくわかりました。
それに極端にシャイなのです。ヴェジェタリアンであることも知ったし、敬虔なクリスチャンであることも語ってくれました。
「ほら、見てごらん。僕はいつも聖書を持っているんだよ」
そう言い、はにかみながら赤い表紙の小さい聖書も見せてくれました。二人ともフランス革命に大きな興味を抱いているので、話は毎回はずみました。
大変な勉強家で、あらゆる知識が豊富な人なのです。

今回の事件は私が持っていた印象からほど遠いので、心は混乱するばかり。
詳細は今のところわからないけれど、心配なのは、数日後に迫ったパリコレ。
すでにコレクションはほとんで完成しているはず。
それを予定通りショーで発表するのか、ガリアーノは最後に登場するのか。
それを早く知りたくて熱しているパリです。

2011年2月20日

大使公邸で文芸人の集い

晩餐後隣室で記念撮影
文芸人が集まって会話を楽しむサロンが、フランスで生まれたのは17世紀のこと。1613年からランブイエ侯爵夫人が、自分の邸宅のサロンに芸術家や作家などを集めて知的な交流を行なっていたために、「サロン」と呼ばれるようになったのです。

洗練された文化が花開いていたイタリアで、
外交官の娘として生まれ育ったランブイエ侯爵夫人は、
フランスに暮らすようになったとき、それまでのイタリアでの生活に比べて、フランスには洗練された社交がないことに落胆します。
なにしろ彼女がいた頃のイタリアは、
ルネッサンス文化がいたるところに見られ、何もかも芸術的だったのです。フランスに居住するようになったランブイエ侯爵夫人は、率先して、宮廷の儀式ばった社交とは異なる、いわば血の通った独自の文化交流の場を作りました。

大使夫人齋藤千恵子さん、
特殊メイクアーティストのレイコ・クルックさん、
作家の辻仁成さん。
招待された文芸人は着飾り、グラスを片手に、あるいは会食しながら、豊富な話題を展開させていたのです。やがてサロンは出会いの場、意見の交換の場として重要視されるようになり、多くの人が競って社交の場であるサロンを開いていました。
今でもフランス人は10人、20人も自宅に招くことが多いのですが、これもサロンのなごりかも知れません。

このような場で会話術も社交術も磨かれ、知識が豊富になっていくのです。ひとり黙っているわけにはいかないから、自分の意見も述べられるようにと、それなりに準備もする。
自分磨きにもおおいに役立つものです。フランス人が会話にたけているのは、歴史があるのです。

2月18日の大使公邸での集いは、昔のサロンを彷彿させるものでした。
招待されたのは作家、画家、音楽家など約30人。
アペリティフのときからすでに会話が始まり、会食中も、食後酒のときも貴重な意見交換が行なわれ、すばらしい雰囲気。


三宅純さん(作曲家)、
黒田アキさん(画家)
高田賢三さん(デザイナー、画家)
招待された誰もが、
このような機会を設けてくださったことに大感謝。
パリに長年暮らしていてもお互いの交流がないことが多いので、新たな出会いに刺激され、夜がふけてもその場を去るのが惜しく、会話はいつまでも途切れることがありませんでした。
17世紀にタイムスリップしたようで、感激もひとしおの
貴重な夜でした。

2011年2月14日

シャトレのつぶやき 33 バレンタインデー

あそこにあるの、ナニかな
2月14日がバレンタインデーだってことは、知っているわよね。
日本では、女の人が男の人にチョコをプレゼントするのが習慣みたいだけれど、
それは日本独特のお祝いのしかたみたい。

フランスとか他のヨーロッパの国ではちょっとちがうの。
この日は「愛の日」で、自分が好きな人に気持ちを伝えるために
何かしらプレゼントするの。男の人からでもいいし、女の人からでもいいの。

チョコなのね、これが
それがチョコだったりもするけれど、
お花も多いの。
だからお花やさんは、すごくいそがしいのヨ。
そのほか、香水をプレゼントする人もたくさんいるし・・・ そのためか、このところずっと雑誌に香水の広告が多かったのよ。

ワタシには誰が何をプレゼントしてくれるのかな~って楽しみにしていたの。
でも、いつまでたっても誰からも何もとどかないの。

ちょっとお味をみようかな。
キャーッ、気持ち悪い、食べられな~い
それを見て涙ぐんだママンが買ってくれたのが、このチョコ。
いいとこあるわね。
よ~く見て見て。これってネコとネズミのカップルなのよ。
「見つけるのにすごく苦労したのよ。何しろ
バレンタインのチョコって、ハートの形がほとんどじゃない。それじゃつまらないものね」
でもね、ワタシはこういう甘いものは、
にがて。
「そうなのか。君はチョコを食べないのか。それじゃ、
代わりに食べてあげるわね」
そう言いながらあの人、あっという間に全部食べたの。

思うに、あれはワタシのためだったのではなくって、
最初から自分で食べるつもりで買ってきたのよネ。
これが悔しくないわけがないでしょ。わかってネ。
来年を期待するほかないわね。

2011年2月5日

シャトレのつぶやき 32 新しいコートなの

新しいコートで~す。
とうとうママンがワタシのためにコートを買ったのよ。
無駄だとわかっているのに~。
だってワタシたちネコは、お洋服を着ないのよね。ワタシたちが尊い生き物として、すごく大切にされていたエジプトの時代にだってそうなっていたの。

それなのに
「外出するときくらい、お洋服着てよね」
って、あの人どうしてもワタシを着せ替え人形にしたいらしいの。お出かけっていっても、クリニックに行くくらいなのに。
「今は冬、つまりお外はとても寒いの。
だからあったかいコートを買ってきたわよ」
見ればたしかにあったかそう。
だけど何となくママンのコートとはちがうデザイン。
お袖は短いし、下のほうが欠けている。
「当然よ。君はシッポがあるじゃない。だからそれが外に出るようにカットしてあるのよ」
なるほどなるほど。

 ママンが買ってきたのは、実はワンちゃん用。
サイズはM。

たしかにかわいいけれど、着るのはどうしてもイヤッ、イヤッ!
それでもママンにはかなわない。
とうとうワタシに着せて
「かわいいッ! かわいいッ!」って見とれたり、はしゃいだり。
どこまでもしつっこく
ついてくる不思議なコート
こんなに喜ぶんだったら、少しはガマンしなくてはネ。それが義理というもの。
だけど不思議ね。
脱ごうとしても脱げないの。
歩いても、お椅子の下に入っても
コートはちゃんとワタシの体に巻きついているの。
人間ってわけのわからない物を作るのね。

「今度はレースがついたドレスを買ってあげるわね」
だって。
オペラ通りに犬とネコの専門店を見つけて、
そこで売っているのが何もかもかわいいらしいの。
まさか全部買ってワタシに着せるつもりじゃないでしょうね。
ああ、これからはあの人がお買い物に行くたびに心配。

2011年2月1日

池田理代子さん、マリー・アントワネットの劇場で熱唱

マリー・アントワネットの劇場で
オペラを歌われた池田理代子さん

「ベルサイユのバラ」で日本中をわかせた池田理代子さん。劇的な時代を生きたフランス王妃マリー・アントワネットをテーマとした劇画は、年齢、性別を問わずどれほど多くの人を虜にしたことでしょう。
マリー・アントワネットの名が、そして革命が、
これほど長い間日本で語られ、フランスの歴史が日本人の日常に浸透したのは、
池田さんのおかげです。



その池田さんがその後オペラを本格的に学び、マリー・アントワネットが建築させた劇場で歌われたのです。これは画期的なこと。マリー・アントワネットの劇場では、こうした催しを行なわないからです。
今回はヴェルサイユ宮殿の特別の計らいで、1月31日に実現。


マリー・アントワネットの劇場
ハプスブルグ家の人々は、代々、音楽と演劇に大きな興味を抱いていました。そうした環境に育ったマリー・アントワネットは、ウィーンに暮らしていた幼い頃から、宮殿の劇場で度々演じていました。フランスに嫁いでもその思い出を懐かしみ、1780年に建築家ミックに依頼し、プティ・トリアノンの裏手に王妃のための小劇場を建築させたのです。

白、パステルブルー、ゴルードのフェミニンな装飾の劇場で、マリー・アントワネットは自らも演じていましたし、義理の弟や貴族夫人も演劇に参加。この劇場は王妃がもっとも好む憩いの場だったのです。
駐仏大使夫人齋藤千恵子さんと
ヴェルサイユ宮殿総監の
ジャンテ・ジャック・アイヤゴン氏
マリー・アントワネットと密接な関係にある劇場で歌うことは、池田さんにとって夢だったようですが、それは同時に私たちの夢でもありました。

「ベルサイユのバラ」の著者が、マリー・アントワネットの劇場で、しかもマリー・アントワネット作の歌をはじめとし、代表的なオペラを数曲歌うのです。池田さんのドレスも、勿論、マリー・アントワネット・スタイル。彼女が一番好きだったといわれている、目もさめるばかりのピンク、そして光輝く宝飾。

快く記念撮影に応じて下さり
感謝。
池田さんが始終こぼれるばかりの微笑みを浮かべていたのが、深く印象に残りました。池田さんの幸せは、私たちにもひしひしと伝わってきたのは、当然のこと。

招待客は60人。池田さんの清らかなソプラノ、村田さんのバリトン、そしてクラヴサンの宮廷的響き。宝石のような輝きに包まれたひとときでした。
その後、庭園内のフランス・パヴィリオンでカクテル。池田さんはいただいた花束を手に登場。
コンサートの後
カクテルパーティが行なわれた
パヴィリオン
美しい微笑みの彼女を囲んでの、ヴェルサイユの夢のような一夜はふけていきました。