2011年3月28日

「イヴ・サンローランへの手紙」翻訳本のお知らせ

サンローランの真の姿が書かれている本です。

ファッション界にいくつもの改革を起こした偉大なデザイナー、イヴ・サンローランが亡くなって今年で3年目。
生前から「生きた伝説の人」と呼ばれていたサンローラン。
彼なしでは、今日見られるようなファッションは、生まれていなかったと言えるほど重要な人。

パンタロンを女性が気軽に身に付けるようになったのは、メンズの要素を女性の服に取り入れた彼のお蔭だし、オートクチュールのデザイナーでありながら、プレタポルテを手がけ、身近な価格で誰もがおしゃれを楽しめるようにしたのも、サンローラン。

女性たちは彼の服装改革によって、自信を持つようになり、それに伴い歩き方や態度も変わり、積極的に人生を生きるようにさえなったのです。
確かに服装は、それを身に付ける人の精神に大きな影響を与える。

偉大な人ではあるが、あるいは、そうであったからこそ、イヴ・サンローランの本当の姿はなかなかつかめないでいました。

それが今、明らかになったのです。
サンローランの50年に及ぶパートナー、ピエール・ベルジェが「イヴへの手紙」と題する本を出版。
そこに、華やかなファッション界に君臨していたサンローランの、真の姿が、苦悩し続けた姿が、書かれているのです。共に暮らし、共にファッション界をリードしていたベルジェしか書けなかった貴重な真実が、この一冊に凝縮されています。

もともと作家を志していたベルジェの文体は、心打つほど詩情にあふれ、それでいて、事実を明らかにしている。
実際に彼はこの本で、フランス文学賞ヴォドヴィルを受賞。

この本がフランスで発売されたのは、去年のこと。発売日に購入し一気に読んだ私は、ベルジェにお会いしました。

彼の本にいかに感動したかということを伝えると共に、日本語の翻訳を手がけたいことを話しました。
サンローランとベルジェを知ることが出来た私としては、ぜひ翻訳を自分でしたかったためです。

ベルジェの賛同を得てからというもの、連日お2人の写真を前に翻訳をし続け、このたび出版されることになりました。

翻訳にあたりベルジェの文体を可能な限り尊重し、イヴ・サンローランが、そしてピエール・ベルジェが、いかなる人であるかを伝えられるよう、心を配りました。

サンローランが私たちに残してくれたことは、大きい。
その陰にどのような人生があったのか、一人でも多くの人に知っていただけたら幸いです。

「イヴ・サンローランへの手紙」
中央公論新社 3月30日発売

2011年3月24日

日本の地震 その10

日本、フランス、EUの旗が
連帯を伝えます
3月23日19時30分。パリ中心にある日本大使公邸に、フランス首相、フランソワ・フィヨン氏がお出でになりました。
地震、津波による被災者にお悔やみとお見舞いの気持ちを、そしてフランス在住の日本人に励ましの言葉を伝えたいという申し出を、駐仏日本大使になされたためです。

最初に齋藤泰雄駐仏日本大使が、被災者に対するお悔やみ、お見舞いの言葉を述べ、続いてフランソワ・フィヨン首相に、温かい申し出をしてくれたことに感謝の念を伝えた後、フランス首相が静かに語り始めました。

「我々が日本人と共にいることを伝えたくて参りました」
災害が起きたときすぐにサルコジ大統領と話し合い、その結果、物資と人材派遣を直ちに決定したのだと続けました。
その言葉通りフランスは、いち早く手を差し伸べた国です。

日本人を励ますフィヨン首相
「我々は皆さんの悲嘆に心を動かされました」
その日、その場にいた多くの日本人は、この言葉にどれほど感動したことでしょう。フランス人と日本人の間には、言葉で伝えなくても、気持ちのつながりがあることを感じた人も多かったはず。

「皆さんの尊厳、冷静さ、勇気をフランスは賞賛しています」
さらに、人命を救うために
昼夜を問わず働き続けている人々に対して、
被災者にお悔やみとお見舞いの言葉を、
フィヨン首相には感謝の言葉を述べる
齋藤大使
「その英雄的行為、公徳心を称えたい」
と述べました。
「日本には技術、財政資源はもちろんのこと、精神的資源がある」
日本の復興が早いことも、フィヨン首相は力を込めて語っていました。

感動的な首相の言葉の後、一分間の黙祷。
その後齋藤大使と共に150人ほどの日本人の間をまわり、握手を交わし、言葉に耳を傾け、誠意を示されていました。

出席した日本人と言葉を交わす
首相と大使
国内、国外に多くの問題を抱えている多忙な中、このように励ましてくれることは、
本当に心強いことです。

どうぞ頑張ってください。
フランス人の大きな声援の声が聞こえますか?

2011年3月22日

 日本の地震 その9

「日本人の稀に見る貴重な教訓」
「日本人が無言で世界に示す驚異的な団結力」
今でもこうした報道が目立ちます。

今回の大災害に対する日本人の沈着な態度を、どのように表現したらいいのか、適切な言葉が見つからないほどだと言っているフランスの評論家もいます。

不平、不満を述べることもなく、規則正しく列を作り、わずかな食料や衣類の支給を受け、
深々と頭を下げて丁寧にお礼を言う災害者たち。
その姿には、高貴な精神性が感じられるのです。

それは、1500年に及ぶ仏教の教えかもしれない、あるいは、自然信仰を基とし、自然に神の宿りを信じ、尊び、共に暮らすという神道のお蔭かもしれないと語るフランス人もいます。

日本人独自の精神性、公徳心、団結力が、敗戦後の日本の驚異的発展を可能にしたのであり、今回の災害からの復興も、こうした日本人であるからには、
きっと早いに違いないと称えるフランス人もいます。

16歳の阿部仁さんの美談も報道され、フランスの青年たちに少なからぬ影響を与えたことでしょう。
政府が派遣した飛行機で一早くフランスに戻った青年は、涙を浮かべながら自分の利己主義を後悔していると語っているし、宗教は違うけれど、教会に行って日本人のためにローソクを捧げてくるネ、と言った少年もいます。

日本は資源が少ないけれど、信頼できる国民がいる。それこそ国のかけがえのない財産。このように語る人もいます。
大災害は多くの人の記憶に残り歴史に刻まれすが、日本人の精神性の素晴らしさも、いつまでも記憶の奥に残るでしょう。

少しずつ、よいニュースも入ってきています。
どうぞ頑張ってください。
パリからの応援の声が届きますように。

2011年3月21日

日本の地震 その8

フランスの学校によっては、日本の災害を報道する子供用新聞を生徒たちに渡して、教師が説明したり、子供たちの意見を聞いたりしています。

「このクラスの生徒たちは9歳ですが、きちんと日本の災害を理解しています。フィクションではなく、事実であることもわかっています」

テレビで毎日、実際に起きたとは思えないような悲惨な映像を見ている子供たちは、それぞれ自分の意見を持っていて、活発に発言していました。

「日本人が大変なのに、ボクたちはこうしてのんびり暮らしているんだ」
「原子力がこわいと思いました」
「私は悲しくて涙が出ました」
「放射能がとても体に悪いことがわかりました」

報道期間を通して、さまざまな情報を得ている子供たちが、恐怖心を抱くことがないように、きちんと説明することは重要だし、語り合うことによって、自分の意見を言うことも、他の人の意見を聞くことも不可欠と教師は語ります。

不屈の勇気を持って原子炉の対策にあたる人々を、フランスのテレビは今日も称えています。
「妻が日本のために行ってらっしゃいと送り出しました」と感情をおさえながら語る救助隊員の言葉に、フランス人は改めて日本人の美しい公徳心を感じたはず。
今回の大惨事にもかかわらす、冷静を保ち、沈着に、慎重に行動をとる日本人から学ぶことは大きいと、多くのフランス人は思っています。日本は世界にそのお手本を示しているとさえ報道。

日本はひとりではないのです。世界中が、心を込めて見守っています。
どうか頑張ってください。パリから応援しています。

2011年3月19日

シャトレのつぶやき 35 ロンロン ゴロゴロ

がんばって下さいネ
「日本のみなさまは、いま、とてもとても大変なのよ」
と、ママンが悲しそうに言っています。
それでワタシもテレビを見たら、あまりにもすごくて気絶しそうになってしまいました。
ワタシのお友だちたちは、どうなったのかしら? 気になります。

たくさんの人が不自由な生活をしていて気の毒なのよ、ってママンがお話してくれたので、ワタシは一生懸命大きくゴロゴロ言うようにしているの。聞こえるかしら?
なぜって、ワタシたちのゴロゴロは人間の脳に、すごくいい栄養を与えるからなのよ。

たまには横顔もお見せします
フランス語では「ロンロン・テラピー」っていって、心をなぐさめたり、落ち着かせたりする効果があると言われているの。眠れない人にも効果があるのよ。
「日本語では、多分、ゴロゴロ療法だと思う」
ってママンはとなりで言っています。

オルゴールと同じような、いい波長を出すのかもね。
そういえば、ワタシもオルゴールが大好き。
ショパンの曲が入っているオルゴールがあるの。それをお食事のあとで聞くとすごくいい気分。だからオルゴールが聞こえるとすぐその近くに行くのよ。
もちろん全身もお見せします
ワタシのゴロゴロも同じなのよ、きっと。
それで、日本のみなさまを慰められればと思って、大きく、そしてできるだけ長くゴロゴロ言っているの。

このようにして少しは役立ちたいと思っているのです。
気分が晴れるといいのだけれど・・・

ゴロゴロ、ゴロゴロ、ニャン、ゴロゴロゴロゴロ、ゴ~ロゴロ、ニャンニャン、ゴ~ロゴロ、ゴロゴロゴロゴロ、ゴロ、ゴロゴロ・・・


 

2011年3月18日

日本の地震 その7

昨日のテレビでは、フランソワ・フィヨン首相が日本の大災害に関して発言。
信頼感を与えるような落ち着いた語り方は、いかにも経験を積んだ政治家らしい。

現在日本に暮らしているフランス人が結構多いので(約9000人)、そうした人々への政府の考えはぜひ知りたいこと。
それに対してフィヨン首相は、今のところは本国に戻るようにという勧告は出していない。今の事態ではその必要はないと見ている。もちろん、事態によっては大使館員にも帰国をうながすと発言。

それでも帰国を希望するフランス人のために、飛行機を数機手配し、無料でパリまで送っています。

それにしても、日本から続々届く情報におそれをなしているのは、パリの市民。
テレビの報道によると、
「日本から輸入している食料品の安全性はどうなのか」
「日本から来る旅行者が、放射性物質を持ち込むことはないのだろうか」
と、本気で心配している人がいるだけでなく、ヨード剤を買いに薬局に走る人までいるという。それに関して医師によっては、
 「ヨードは何の効果もない。それどころか、副作用の方がおそろしい」
とコメント。

今日にも原子炉の電気が解決するかもしれないとの報道は、パリ市民にとっても大きな安堵であることは確かです。
多くのフランス人は日本人の賢明さを賞賛し、
パリ・マッチ誌は
30ページの日本の災害特集
今回のような大惨事の際にも、冷静を保ち、最大の事をする国民であることを信じています。

「今日は悪いニュースはありません。ということはそれ自体がいいニュースなのです」
東京や大阪から情報を送っているフランス人特派員のこの報告に、少しはほっとしています。

どうぞ今日も頑張ってください。
パリから応援しています。

日本の地震 その6

昨日の天皇陛下のビデオテレビのお言葉は
異例なことであると、フランスでの報道は今日も続いています。

「日本の天皇陛下が国民に向けて直接語りかけるのは、長い歴史の中で二度目のこと。一度目は現天皇の父君、裕仁天皇が1945年に敗戦を国民に告げたとき。そして今回、明仁天皇が沈黙を破って声明を発表なさった。それほど、今、日本は重大な危機にさらされている」

新聞もこのように大きく報道。
テレビでは貴重な陛下のお言葉を、そしてお声を、直接フランス人に聞かせたかったのか、陛下の声明はそのまま日本語にし、画面の下にフランス語訳のスーパーを流していました。

命の危険をおかして、原子炉に放水作業を行なう人々を、フランスでは
「核のカミカゼ(フランスでは特攻隊とか決死隊を意味する)たち」
あるいは
「この素晴らしき英雄たち」
と称えて、勇気ある作業に携わっている人々をねぎらっています。

サルコジ大統領は、日本人の優れた人間性に非常に感動している、日本人との連帯を示すために、出来るだけ早く日本に行きたいともと語っています。

フランスは76パーセントも原子力発電に頼っているのです。そのために、今回の惨事に深刻にならざるをえません。

ヘリコプターから水を放射したことも、仙台が大雪に見舞われ救出が困難であることも直ちに報道。ほぼ実況中継と同じように新情報が続々と入ってきます。

惨事がこれ以上大きくならないように、フランス人も願っています。
どうぞ頑張ってください。

2011年3月16日

日本の地震 その5

天皇陛下がビデオテレビでお気持ちを発表なさったことが、フランスでも報道されました。
これは非常に稀なことで、いかに緊急事態かということがわかるとテレビのジャーナリストが解説。

陛下のお顔が大きくテレビ画面に写り、こうしたお言葉を受けて、多くの日本人が心を動かされたことでしょう。

大災害に見舞われたにもかかわらず、日本人が冷静を保っていることへの賞賛は、繰り返して語られています。
「日本人の生まれつきの性格かもしれないし、感情をあらわさないように教育されているのかもしれない。他の国だったらこれは考えられない。こうした事態にもかかわらず、静穏とさえ表現できる態度を示す日本人は、ほんとうに素晴らしい国民です」と特派員は語っています。
多くの人が大阪や京都、あるいはさらに南に向かっている映像を流しながら、
「それでもパニック状態にならないのは、日頃の訓練に賜物だろうか」
とも語られています。
ヘリコプターでの原子炉冷却は、放射能が多すぎ断念との報道に、フランス人はさらに心配を深くしています。
皆様のご無事を祈っています。頑張ってください。

日本の地震 その4

昨日パリの国会議事堂で、国会開催前に議員が全員立ち上がり、日本の地震犠牲者のために一分間の黙祷を捧げました。

その後、フランスの原子力発電所の安全性などを議論をする前に、現在緊急事態にある日本人のことをまず考えるべきだ、とフィヨン首相が力強く発言。多くの拍手を受けていました。黙祷といい、この人間味ある発言といい、ほんとうに心が動かされました。

日本から送られてくる映像を見ながら、
「マスクをしている人が多いが、それは放射能から身を守るためなのか」
というフランスのジャーナリストの質問に、
 日本にいる特派員が答えていました。
「日本ではマスクはひとつのカルチャーとも言えるもので、普段でも使用している人が多い。けれども、もちろん今は放射能から身を守るため。大した効果がないかもしれないが、それでも、しないよりいいと考えている人が多いようです」

経済の悪化も語られ、
「フランスのブランド製品は、皆、日本に進出していて、その業績は大きい。日本での売り上げが落ちている現在、本社があるフランスの経済にも少なからぬ影響があるのは明白」と経済ジャーナリストがコメント。

日本から刻一刻と入ってくる情報に、フランスは毎日特番を組んでいます。
原子力の専門家が頻繁にテレビに登場していますが、最良の解決方法は何かと質問されても、誰も彼もはっきりしたことは言わない。事情が正確につかめないためでしょうか。

19の原子力発電所と58の原子炉があるフランス。
今日からフランス全土にある原子力発電所をひとつひとつ調査する、と政府が発表。
他の国もそうでしょうが、フランスではほんとうに深刻な問題になっています。

日本にいらっしゃる皆様、どうか頑張ってください。
パリから応援しています。

2011年3月14日

日本の地震 その3

特別ミサが行なわれた
ノートルダム大聖堂
昨日、3月13日18時30からパリのノートルダム大聖堂で、東日本大震災の犠牲者のための特別ミサがありました。

齋藤泰雄駐仏日本大使夫妻をはじめ約3000人が、パリ大司教によるミサに出席。そのほとんどはフランス人。

国籍も言葉も、そして宗教も異なろうとも、不幸に見舞われた人々への想いに差がないことを知ることは、祖国から離れた国に住む異邦人にとって心強い支えです。

ミサが始まる前も、終わった後も、見知らぬフランス人が何人も固い握手をしてくれ、とても感動しました。
その力強い握手には、がんばってという願いがこもっているのがはっきりと感じられました。

原子炉爆発が心配されている情報は、パリ市民を直ちに動かし、
トロカデロ広場ではエコロジストがデモをし、
原子力反対を唱えていました。

厳かなミサは約1時間続きました
環境大臣はさまざまなテレビでインタヴューを受け、
フランスには日本のように地震がないし、津波の心配もないと語っていましたが、
それだけでは納得しがたい。
何しろフランス全土には58もの原子炉があり、しかもどれもかなり老朽化しているので、国民は不安を隠せないようです。

メールや電話で励ましの言葉をどんどん送ってくれるフランス人たち。
利己主義のように思われがちなスランス人ですが、
彼らの連帯感はすごいし、心強い。
何しろ一致団結して革命を起こした国民であるし、レジスタンスでドイツ人を追い出した国民なのだから。

今回のような大惨事に対して、日本人がパニック状態にならず、
冷静を保っていることをフランス人は褒め称えているし、
驚異的なことだと語っています。
日本への憧れを抱くフランス人が多い理由のひとつは、
こうしたことにあるのかも知れません。

日本にいらっしゃる皆様、どうぞ頑張ってください。
ご無事を祈っています。

2011年3月12日

日本の地震 その2

昨日夜も、フランスのテレビは日本の地震の特別番組。
齋藤泰雄駐仏日本大使は20時のもっとも重要なテレビニュースで、フランス大統領や首相から、お悔やみと同情の言葉を受けたと語り、フランス人がこの惨事に心をいためていることを表明。

ブルターニュ地方のレンヌ市は、仙台と44年間姉妹都市で、今回のことで仙台の住民のために出来る限りのことをしたいと、市長が語っていました。
パリの路上でもカフェでも、とても現実に起きたとは信じられない、まるで映画を見ているような地震の話題ばかり。

ル・フィガロ新聞は一面の他、
中の5ページをさいて
日本の地震の報道
日本に居住しているフランス人は約9000人。
仙台に住んでいるのは約40人。
そのうちの25人と今の時点で連絡が取れていないと発表。

30年近く日本に住んでいるフランス人ジャーナリストは、あまりのこわさに20分ほど両手が震え、メモも出来ずにその場で言葉をつなぎながら状況を伝えているのだと語っていました。

今日も日本の地震のニュースはトップ。
このように多くのフランス人が日本の皆様とともにいるのです。

2011年3月11日

日本の地震 その1

日本の大災害を、パリでは早朝からテレビで報道を絶え間なく続けています。実況中継です。

こうしている間にも、次々とテレビ画面に災害の様子が流れています。
スランスは地震がない国。そのために日本で地震を経験した人を迎え、地震はいったいどんな感じなのか、万が一の場合にはどうしたらいいのか、説明を求めているほど。


テレビにうつる津波の恐ろしさには、体が震えるほど。
東京の親戚に電話を入れましたが通じず、不安は高まる一方。
こうしたときには、遠く離れている不便さをひしひしと感じます。

特番での報道を見ているだけで体が震えるのに、現場にいる人は、と思うとじっとしていられないほど。
フランスも援助隊を送るとのこと。
どうぞがんばって下さい。

2011年3月10日

ジョン・ガリアーノ その後

サン・トノレ通りの
ジョン・ガリアーノ店
プレタポルテのコレクションが終わり、このために来ていた多数のジャーナリストやバイアーも帰り、通常の生活に戻りました。
でも、ガリアーノに関する話題はいまだに続いているパリです。

ガリアーノはディオールから解雇されただけでなく、『ジョン・ガリアーノ』のメゾンも閉鎖されるかもしれないという噂がたっているのです。
資金の90パーセントはLVMH(ディオールを含む60社以上の高級ブランド会社を持つグループ)から出ているというので、当然の成り行きということになるのかしら。

サン・トノレ通りのガリアーノのブティックが姿を消したら寂しい限り。
なぜなら、そこには思い出があるから。
数年前にガリアーノがとても嬉しそうに語ってくれたのです。
「あの建物には、革命家のロベスピエールが住んでいたことがあるんだ。そこにブティックがオープンしたのだからね」

ショーの後、楽屋でおしゃべり
という楽しいときもありました
革命に大きな興味を抱いている彼らしく、あの大きな目をキラキラと輝かせ、熱を込めて語ったことが思い出されます。

思えばガリアーノの右腕だったスティーヴンが、突然亡くなったときから、皆、その後のガリアーノを心配したものです。

ディオール社の年4回のコレクション、そして彼の名のメゾンの2回のコレクション。
通算6回ものコレクションを毎年こなすのは、並大抵なことではないはず。
それに、彼への期待は、他のどのデザイナーへより大きい。
毎回、メゾン創立者ディオールのアイデンティティを示すスタイルに、現代性を加え、その上、驚きや刺激を与えるようなコレクションを発案することは、いかに自分が好きな仕事とはいえ、他の人には到底想像もつかない大きな悩みや苦悩も伴う。
そして、ついに、薬とアルコールづけになり、あの暴言。

ディオール解雇の上、ガリアーノのメゾンがもし閉鎖されたら、彼のデザイナーとしての活躍の場はなくなってしまう。
ガリアーノほどの破格な才能を持つ人は、そうたやすく出現しいないだけに、これはモード界にとって大きな損失。

アーティストは自分のすべてを作品に投入する。
それが彼らの存在理由。それを失ったら・・・

彼は今、アメリカで解毒治療中とのこと。
そこから戻ったときに何が起きるか、彼はすでにその準備にかかっているのかもしれない。

2011年3月8日

イヴ・サンローラン展

サンローラン展のポスター
サンローランとミューズの
ベティとルル
昨年プティ・パレで、イヴ・サンローランのオートクチュールが約300点展示され、世界中から訪問者が訪れ、連日長い列ができたほどでした。
それは、いかにサンローランが格別のデザイナーであったかの証拠。
今回は旧イヴ・サンローラン本社、現財団でプレタポルテ展を開催。
その前夜祭が3月4日に行なわれました。

意外と知られていないのですが、サンローランはオートクチュールのデザイナーで、最初にプレタポルテを手がけた人。そのブティックオープンは1966年。

60年代は世界的に大きな動きがあった時代。
アメリカは若いケネディが大統領になり、ファッショナブルなジャクリーヌが世界中を魅了し、ソ連ではガガーリンが人類で最初に宇宙に行き、ベルリンは突然壁で二つに分けられました。フランス女優BB、オペラ歌手カラス、ロックのキング、エルビス・プレスリーが大活躍したのもこの年代。

飛びぬけた繊細な精神の持ち主のサンローランは、誰よりも早く世の変化の到来を感じていました。それまで手がけていたオートクチュールは、ひとりひとりの寸法を測り、2~3回の仮縫いを必要とし、注文から数ヶ月後にやっと完成。
けれども時代は大きく動いていました。
スピーディになっていたのです。

その時サンローランはリーヴ・ゴッシュ(セーヌ川の左岸)に目を向けました。
若さで活気にあふれているその地域。そこに、今の時代にふさわしく、その場で試着し、その場で購入できるプレタポルテのブティックをオープンしよう。ブティック名はリーヴ・ゴッシュ。

このようにして、サンローランというオートクチュールのデザイナーが、プレタポルテも創作するようになり、リーゾナブルな価格でスタイリッシュな服を着る喜びが浸透したのです。これによって、プレタポルテへの価値も関心も急上昇。

サンローランによって
プレタポルテの価値観が一変
70年代には日本のケンゾー、イッセイも参加し、プレタポルテは爆発的な大発展をとげたのです。

サンローランの才知が、いかにファッション界に重要だったか、それを再認識できる今回の展覧会前夜祭には、サンローランのミューズであり親しい友人だったルルもベティも出席。
もちろんサンローランを全面的に支えていたベルジェの元気な姿もありました。
サンローランの時代に働いていた人々も多数出席。皆、なつかしそうに作品に見入っているのが印象的でした。

サンローランはすでに亡き人となりましたが、彼の業績はこのように、語り続けられていくのです。
それは、半世紀の間サンローランにすべてを捧げていたパートナー、ピエール・ベルジェのお蔭。
彼がいる限り、サンローランは私たちと共にいるのです。

サンローラン、リーヴ・ゴッシュ展
モードの革命
5 avenue Marceau
75016 Paris
3月5日ー 7 月17日

2011年3月5日

ディオール、ガリアーノによる最後のコレクション

ディオール本店のインテリアを
再現した舞台
ガリアーノ解雇を決定したディオール社ですが、ガリアーノ創作のプレタポルテ・コレクションを予定通り3月4日に発表。これが最後とあって、会場のロダン美術館界隈は、異常な熱気に包まれていました。

招待状のコントロールは何度もあり、入り口から伸びる淡いグレーのカーペットを通りながら、中庭に作られた大きなテントの仮説会場に入ると、ビシッとした服装の礼儀正しい男性が席まで案内。

会場はいつもの通り、壁も床も黒一色。
そして舞台は、ディオール本店のインテリアを再現した、シックなグレーを貴重とした装飾。豪華なシャンデリアは、華やいだ雰囲気を出すというより、私にはかえってもの悲しさを感じさせました。

会場のロダン美術館前の車道も
歩道も報道陣でいっぱい
ガリアーノはどれほど今日のコレクションを、この装飾の中で、自らも参加して発表したかっただろう、と思ったからです。

ショーは30分遅れで始まりました。それもいつもと同じ。
と、突然、ディオールのトレダノ社長の姿が舞台の照明の中に浮かびました。
これは異例なことですが、誰もが事情を知っているので、全身を耳にして聞き入ります。

数枚に及ぶ声明を読み上げる間、会場は静まったまま。
・・・才能あるデザイナーと、残念なことに別れなければならない。ディオールは1947年の創立以来、常に人への
敬意を重んじてきた。
それなのに、このたびの彼の発言は許しがたい。
我々は全員非常に大きな悲しみにくれている・・・

声明を発表するトレダノ社長
そして最後に、この後発表するのは偉大な才能の持ち主のコレクションです、と感情を抑えた引き締まった顔で語り終えると、会場の隅々まで拍手が響き渡りました。

私の記憶では、ガリアーノという名を一度も発することがなかったと思います。そこに、トレダノ社長の、やりきれない思いが込められていたように感じられました。

ショーでは63点という多くの作品を発表。
軽快な音楽もいつもと同じ。
マヌカンの見事な着こなしもいつもと同じ。
ただし、いつもはフラッシュを浴びるセレブリティは誰もいなかったし、最後に登場すべきガリアーノの姿はもちろんなく、その代わりにアトリエの人が勢ぞろい。
            
フィナーレはガリアーノにかわり
アトリエの人が登場
ジョン・ガリアーノという比類なき天才が、 今、ディオールという格別なひのき舞台から去った。
その寂しさはあまりにも強く、熱いものがこみ上げてくるのを、どうしようもありませんでした。


ガリアーノはディオール社から離れました。けれども彼のデザイナーとしての活躍は、自分の名のメゾン、ジョン・ガリアーノで続けていけるのです。

ガリアーノによる
最後のデフィレ
今回の事件から多くを学び、彼の稀にみる才能が、 今後も華麗な花を咲かせてほしいという思いのみが残ります。

2011年3月3日

シャトレのつぶやき 34 おひな祭り

これが陶器のお人形さんなの。
日本はいいわね、女の子の日があるなんて。もちろん、男の子の日もあるのよね。
平等じゃないといろいろと問題がおきるからね。

というわけで、3月3日のおひな祭りのために、ママンが日本に行ったとき買ってきたのがこのお人形さん。
ふたりいるでしょ。お殿さまとお妃さまなのよね、きっと。
ほんとうはその他にも女官とか、たくさんのお人形さんを飾るのだけど、荷物になるし予算もなかったんだって。
でもこれだけでもうれしいわ。気分がでるもの。

何にでも興味を持つワタシが手を出したら
「気をつけてね。 なにしろ陶器でできているんだから」
だって。
「トウキ?」
ナンだろう。
「そうよ、簡単にいえば、せとものよ」
「セトモノ?」
ますますわからない。
「とにかく、こわれやすいから気をつけてね」
ウン、そういうことなのか。
ようするに、さわらなければいいのよね。
ワタシのお隣に誰もいない。
だからすねてるの。

それでじっと見ていたら
「記念写真をとってあげるから、
おひな様とならびなさ~い」
そうママンがいうのでお隣に座ったけれどナニかものたりない。
そう、ワタシのおとなりに誰もいないじゃないの。あっちはカップルなのにワタシはひとり。
ああ、かっこいい男の子におとなりにきてほしいなぁ~♪♪

2011年3月1日

ディオール、ガリアーノを解雇

ジョン・ガリアーノ
ついにディオール社は、主任デザイナー、ジョン・ガリアーノ解雇を決定。

ガリアーノによるユダヤ人侮辱発言は2月26日だけでなく、
それ以前の2010年末に、同じカフェであったと届け出があり、ガリアーノは事件があった3区の警察署に出頭。
パリコレをひかえているとあって、報道陣が殺到。ガリアーノはもみくちゃにされていました。

昨年のガリアーノのユダヤ人を侮辱する発言は、たまたまそこに居合わせたクライアントによってヴィデオに撮られていたのです。このような動かせない証拠があっては、ガリアーノは弁解のしようがない。すでにその映像は、インターネットで世界中で見られています。

いかに無比の才能があろうとも、自由、平等、博愛の国フランスでは、人種差別は許されない。特にユダヤ人に関しては、非常に神経を使っているフランスです。
このような国において、ディオール社が即刻決断を下したのは当然のことであり、賢明なこと。

パリコレを飾るディオール社の華麗なショーは・・・
それに関しての発表はまだ。
何しろそれは、ガリアーノの創作なのだから微妙。
この後、いったい誰がディオール社の主任デザイナーになるか、
人々の関心は、すでに未来に向けられています。

チュニジア、エジプトなどで政変が続いている最中でもあリ、
世の中の大きな変化が感じられ、
そうしたときに起きたガリアーノの予期せぬ出来事だけに、
その衝撃は大きい。

PS ディオール社は3月4日に予定されている
プレタポルテのショーは予定通り行なうと発表。