2011年7月19日

ハプスブルグ家最後の皇太子へのアデュー


ハプルブルグ家最後の皇太子
オットー・ド・ハプルブルグ
ヨーロッパ最大の帝国を築き、700年間守ってきたハプスブルグ家。
結婚によって領土を広げることを実施してきただけあって、その領土は破格の大きさでした。
けれども、多くの民族を抱える膨大な帝国の維持は困難で、時代の流れと共に独立運動がおき、次々に帝国から離れていきました。
そして、ついに、第一次世界大戦が始まった1918年に帝国が崩壊。

当時のオーストリア・ハンガリー帝国皇帝だったハプスブルグ家のカール一世は、家族とともに亡命。一度はハンガリーの主権を取り戻すことを試みましたが、失敗。亡命先のポルトガル領の島マデイラで生涯を閉じました。

父亡き後を継いでハプスブルグ家の家長になったのが、その長男オットー皇太子。
政治にたけた勇気ある人で、第二次世界大戦のときにはヒットラーに真っ向から反対したほど。
ヨーロッパの統一のために人生を捧げたのは、いかにも大帝国を治めていたハプスブルグ家の人らしい。
約20年間欧州議会議員を務め、「わが国籍はヨーロッパ」と語っていたほどヨーロッパを愛していた人。

7月4日、98歳の波乱に富んだ人生を閉じたオットー・ド・ハプスブルグの葬儀は、ハンガリーとオーストリアでおこなわれました。
比類なき家系の最後の皇太子にふさわしい、華麗ともいえる葬儀でした。

ハプスブルグの子孫は今でもヨーロッパの様々な国にいますが、大きな時代が終わったという思いは残ります。

2011年7月17日

シャトレのつぶやき 43 ワタシのバースディ 

今日はワタシのバースディよ
7月17日はワタシのバースディ。しっていた?
エーッ、ぜんぜんしらなかったの?
ちょっとショック。
でも興味ないってことではないわよね。

「一年に一度のことだから、ハデにお祝いしましょうね」
といったのは、もちろんママン。

お誕生日が一年に二回も三回もある人なんて、この世がいかに広くてもいないわよね。
「毎年プレゼントをナニにするか、ほんとうに頭がいたいわ」
そういいながらアパルトマンを出て行って、待つこと3時間。
あッ ナニかある

「ああ、疲れた。足が痛いわ。でもね、君の大事な日だから、がんばっていろいろと見たけれど、なかなか適当なものがない。結局、これにしたの」
ワタシの目の前でヒラヒラと見せたのは小さな箱。開けてみると、ケーキが入っているの。
「君がケーキを食べないことはしっているけれど、ホラ、日本ではよく言うのよ、目で食べるって。だから君もそうしてね。後は私が責任とるから」
カイザーのケーキだ!
いい香り
あの人が考えてることは、ちゃんとわかっている。自分が食べたいのを買っただけ。
そういえば、小さいケーキの箱の他に、ナニか包みがあるじゃないの。
「それはナ~ニ?」
「あ、これね、これは私のお洋服よ。君のプレゼントを探し歩いている間に、いくつかのお洋服のお店によったの。ぴったりのがあったから買ったまでよ」
そうか、そうだったのね。

ワタシの身分証明書。
生年月日も書いてあるの。
そう、今年14歳になったのです
だから3時間もかかったのね。
ほんとうはワタシのプレゼントのために出かけたのじゃなくて、自分のお買い物のためだったのね。 

でも寛大なワタシはすぐに許してしまうの。
これも長年ネコをしてきて、いいことを学んだからなのよ。

 

                                                          

2011年7月15日

パリ祭

7月14日は、フランス人がこぞって愛国者になる日。
日本では「パリ祭」と呼ばれているけれど、フランスでは「7月14日」
何となくものたりないけれど、これが事実。

フランスが誇る軍隊の行進が、シャンゼリゼで華々しく行なわれるこの日は、フランスの軍事力のすごさを再認識する日。そして私は、今年こそフランスの国家を覚えようと決意する日。

高らかな国家演奏がコンコルド広場であるし、軍服に身を包んだりりしい軍人の規律正しい行進が続き、その姿には、全面的に信頼を寄せたくなるようなものがある。

やがてフランスのリーダーとなるエリート校の生徒の行進もいい。
ナニがいいかというと、やはりその制服姿。

これを見ていると、ナポレオンが兵士の士気を高めるために、華やかな軍服を着せたのはもっともだと思ってしまう。軍隊とか軍服、行進には人を酔わせるものがあるらしい。

こうした日に大統領の演説がないのが、すごくいい。
軍を称えることだけに徹底しているのが、すごくいい。
そのあたりをきちんと区別していることが、フランス人の偉いところであり、
スマートだと思う。

いろいろと学ぶことがある7月14日なのです。

2011年7月12日

シャトレのつぶやき 42 折り紙でツルをたくさん作ったの


これがママンがおったツル。
これと同じのをつくるのね。

「今日はツルのおり方をおしえてあげるわね」
ママンはいつもわけのわからないことを言うから、
ワタシは思わず緊張。
「ナーニ、ツルって?」

「ツルよ、ツル。紙でツルをおるの。たくさん必要だから、君にも作ってもらおうと思って・・・」
「そうすると、ナニかいいことあるの?」
「もちろんよ。東日本大震災にあった人へのお見舞いにするのよ。ツルは長生きするの。それを1000羽おると、病気の人が治ったり、願いごとがかなったりすると言われているのよ。
心のなぐさみにもなるしね。皆に元気をだしてほしいの」
フーン、ママンもなかなかいいこと考えるのね。

できばえは、どう?
「そういうことなら、ワタシも手伝うわね」
そういうとママンはにっこり笑って、
頭をなでてくれました。
「じゃ、見本を作るから
よく見ていてね」
そういうママンの手元を見ていたら、
けっこうむずかしい。
「ワタシにできるかな~」
紙をおったり、のばしたり。
ときにはやぶけたりしながら、それでもやっと完成。

自分でも関心するくらい
たくさんつくったものね。
「あ~ら、わりとじょうずじゃないの。その調子でもっともっと作ってね」
フーフーフー・・・ニャン、ニャン、フーフー
時間がたつのも忘れてどんどんおった結果を見てください。

これはぜんぶ、日本の人へのお見舞いです。ほんとうは、もっとおってもいいのだけれど、紙がなくなってしまったの。
よくがんばったので、
ママンがごほうびにティアラにしてくれたの。
でも、ワタシの気持ちは通じるわね。ガンバッテ、ね。
ワタシもパリから応援していま~す。

2011年7月10日

ヴェルサイユ 華麗なモード展

右18世紀のドレス
左2点ディオールの作品
ヴェルサイユ宮殿は王家の居城であり、政治、文化の中心でもありました。

華やかな話題が満ち溢れているヴェルサイユ宮殿。中でもマリー・アントワネットの登場とともに、新たなファッションが生まれ、他の多くの国にも感化を及ぼしたことは、その後のフランスのエレガンス発展のために大いに貢献。

18 世紀の靴、扇、アクセサリー
当時の18世紀のファッションは、現在のデザイナーたちにも影響を与えていることは、事実であり、注目すべきこと。ファッションの原点は、ヴェルサイユにあるとさえ言うことができます。

それに焦点をおいた展覧会が、ヴェルサイユのグラン・トリアノンで開催中。

ルイ14世の時代に建築された金と大理石で象徴されるグラン・トリアノン。
18世紀の家具調度品や、まばゆいクリスタルのシャンデリアの中に、その時代の優美なドレスや殿方の服、アクセサリー、そしてそれらの影響を受けたディオールをはじめとして、シャネル、アライヤ、ジヴァンシー、ラクロワなど、近代のオートクチュールの作品が相まって、華麗極まりない世界を繰り広げています。
左端18世紀のドレス
ラクロワ、ヴィヴィアン・ウエストウッドの作品

ポンパドール夫人やデュバリー夫人、そして何よりもマリー・アントワネットが、今、そこに現れるのではないかと錯覚をおこさせるような素晴らしい演出。
心身がフランスのエレガンスで磨かれる思いです。
招待日にフランス人ジャーナリストの
ロランスと

10月9日まで開催

2011年7月5日

ディオール、ディオール、ディオール

ディオールオム、レディース、ハイ・ジュエリー。
ディオールの3つのイヴェントが話題のパリです。

ディオールオム
6月末のディオールオムは、若いデザイナークリス ヴァン アッシュによるピュアーなコレクション。厳格なカットによる流れるようなラインが、誰もがあこがれる理想的なスリムな体系を作っている。
はつらつとし、現代性があり、見ていてとてもさわやか気分。若い男性の服装に、新たな傾向を与えたいという意気込みが感じられるコレクション。


レディースのオート・クチュール

7月4日はレディースのオート・クチュール。ガリアーノ後のデザイナーがまだ決まっていないために、アトリエの代表が制作。会場はいつもの通りにロダン美術館の庭園内の特設会場。

今回創作のチーフとなったのは、ガリアーノとほぼ同じ頃にメゾに入ったビル・ゲイテン。ガリアーノの身近で長年仕事をしていただけあって、彼の意図することを知っていたようで、ガリアノ時代の余韻が感じられるコレクション。音楽にしてもメイクにしても同じ流れ。


ダイヤやエメラルドの
華麗極まりないネックレス
アトリエの人の技量は確かなもの。でも、デザイナーがいないコレクションは、何となく船長がいない船のよう。
ディオール社は後任者任命を急いでいないとのこと。これまでも何度かデザイナー交代劇があったメゾン。新たな展開の時期をいつにするか、慎重に検討中に違いない。
コレクション発表後は美術館の裏手に広がる豊かな芝生を通って、その突き当たりのバラ園に設けた会場で新作ハイ・ジュエリーの発表。
入り口でシャンパンをいただいて中に入ると、目が眩むほどの作品が、豪華な額の中に展示されているではないですか。それぞれのハイ・ジュエリーのお隣では、美女が優雅に微笑みながら説明。

こちらのテーマは「バラの舞踏会」。バラはそれだけでも華麗なのに、ダイヤや、ルビー、サファイア、エメラルドなどが花びらにも枝にも、茎にも輝いていて、誰も彼もが感嘆するばかり。

すでに予約されている作品も数点あるそう。世の中には何て幸運な人がいるのでしょう。

体中の細胞がたっぷりと美を堪能した後は、本物のバラに囲まれて、またシャンパン。バラの間に椅子やテーブルが置かれ、そこで人々が談笑している様子は、まるで絵画をみる思い。そういえば、何となくルノワールの絵で見かけたような光景。

ロダン美術館の庭園で
午後の幸せなひととき

久しぶりの谷口久美さん
オペラに夢中だそうです

2011年7月3日

モナコ、アルベール大公の結婚 

モナコ国民はどれほどこの日を待っていたことでしょう。
長年独身を保ち、多くの女性との多くの噂がささやかれていたアルベール大公。
ついに、モナコのファーストレディとなるべきシャルレーヌと結婚。

アルベールが長年結婚の決心がつかなかったのは、彼の母グレースのイメージが、あまりにも強かったためと見られています。
たしかにモナコが世界の注目を浴びるようになったのは、ハリウッドの大スターであったグレース・ケリーが、レニエ大公と結婚するためにモナコ入りしたときから。

それ以来モナコ公室の様子は、世界中のメディアが報道し続けていました。

特に唯一の王子アルベールは、生まれたときから、成長のすべての過程が世界中で語られていました。そして今、待ちに待った結婚。

その大きな期待を寄せた結婚式は、二度にわたって行なわれました。
まず7月1日に、宮殿でもっとも豪華な玉座の間での「市民結婚」
出席者は親族や証人など、ごくわずかな人のみ。
誓いを交わし、結婚証明書にサインしたその瞬間に、シャルレーヌはモナコのプリンセスになったのです。

その後、宮殿の庭園にモナコ国民が招待され、ブュッフェパーティ。
夜はジャン・ミッシェル・ジャールからのお祝いの大規模なコンサート。
そこに市民結婚を終えたアルベール大公夫妻も出席。

翌日7月2日は、王家の人々、政界、財界、モード界を代表する招待客が見守る中での「宗教結婚」
本来は「宗教結婚」はカテドラルで行われるのですが、アルベールは多くの人に出席して欲しいという希望で、宮殿の内庭に特別に祭壇を設け、そこで挙式。その内庭に、世界中から集まった王室の方々と元首などが着席し、宮殿前の広場にも多数の招待客。式の様子は大きなスクリーンで見るという配慮。式の招待客は全部で3500人。

カトリックの国での正式な結婚は、このようにふたつの結婚が必要。
一般の人も同じこと。人によっては「市民結婚」のみにすることもあります。


シャルレーヌのウェディングドレスのデザイナーは、いろいろ語られていましたが、選ばれたのはアルマーニ。そういえば、婚約時代から彼の作品を愛用していたシャルレーヌです。
彼女の頭には期待していたティアラはなく、シニョンに髪飾りとして宝石を付けていたのが、とてもさわやか。アルベールの姉キャロリーヌが選んで貸したのです。これはヨーロッパの王家の習慣なのです。

シャルレーヌの美しさは格別。控えめだけどユーモアもあるという。モナコは本当に素晴らしいファーストレディを迎えたものです。
神と多くの人々の前で将来を誓ったおふたりは、ここで再び結婚証明書にサイン。

その後、オペラ座裏手の海に面したテラスに、特別に設置された会場で祝賀ディナー。お料理はもちろんモナコ住民になったアラン・デュカスによる逸品。
オペラ座での舞踏会、花火がそれに続き世紀の結婚式は華麗な余韻を残して終了。

レニエ大公とグレース・ケリーの結婚式のときには、国家元首も王家の人もひとりも出席しないで、ほとんどがスターだったのに比べ、今回は40カ国にも及んだそう。
モナコが大国として認められている証拠。

数日前からシャルレーヌがモナコから脱出を図ろうとしたという、信じられないような噂が流れていましたが、それを振り切るような盛大な結婚式。
フランスはすごい騒ぎで、7月2日は一部始終をテレビで実況中継。
だからそれを全部見ていた私も、すごく忙しい一日でした。

2011年7月1日

OECD日本大使公邸でガーデンパーティ


緑豊かな
OECD日本大使公邸
パリの西近郊の緑豊かな住宅街にあるOECD日本大使公邸。
6月30日の晴天の日に、その庭園で恒例のガーデンパーティが開かれました。

あたり一面に漂う心地よい豊かな緑の香りに、ゆったりと身をまかせながら、種類豊富なお料理と飲み物を味わえるという、心身がこの上なく喜ぶパーティ。


張りのある声で
ユーモアを加えた演説をした
吉川元偉OECD日本大使とコリーヌ夫人
グラスを片手に、目にとめた知人に近寄り華やかな笑顔を交わしたり、珍しいお料理を前に意見を交わしたり。
戸外では開放感が親密度を倍増しないではいません。

日本とフランスの経済界の方々を中心とした招待客は、ほとんどが同伴。
和服の女性の姿も目立ち、両国の親善を目で見る思い。

いつまでも去りがたい
ガーデンパーティ
殿方たちはこうした場に慣れている人ばかりで、女性が大切にされ、とても居心地がいい。気分もいい。自然の香り、シャンパン、様々なお料理、さわやかな服装、とぎれることのない会話、笑い声・・・

いかにもパリらしい、記憶に留まる初夏の日でした。