2012年12月27日

シャトレのつぶやき 64 思い出のアルバム6


お肌のお手入れをしようかな。


もうじき新しい年なのね。
でも、ワタシはちっとも実感がわかないの。

前の年の最後の日と
新しい年の最初の日と、
いったいどこがちがうのかしらネ。

朝はすこしづつ明るくなるし、
お昼になると太陽がガンガンあたって、
夜は暗くなって電気をつける。




それがつづいているだけなのに、
ママンはある日 とつぜん、
すごくおおさわぎするの。
「しってる? もうじきことしが終わるのよ」
「?」
「つまりネ、ことしは古い年になって新しい年がはじまるの」
「? ?」
「一年は365日と決まっていて、それをすぎるとちがう年になるの」
「? ? ?」
こんな説明になっていない説明をきいたって、わかるわけがな~い。
それにどうしてそんなハンパな日なのかしらね。
300とか400とかにすればいいのに。


毛が長いから大変なの
「あたらしい年はお正月っていって、
おめでとうっていいながら、
その年がずっといい年であるようにお祈りするのよ」
「フ~ン」
「だから、その前にお掃除して、
前の年のほこりをすてなければならないの。
だから君、ちょっとそこをどいて」
そういいながら、
めずらしくお掃除するママン。
毎日お正月がくるとおうちがきれいでいいのに、と思うワタシ。

お風呂上りに栄養クリームを
たっぷり塗りましょう
「お部屋だけでなく、顔も体も清潔にしなくてはね」
それをきいて、ハッとしたワタシ。
いそいでバスルームに入ってカガミを見る。
このところさぼっていたから、
ちょっとお手入れに力を入れた方がいいみたいな感じ。
それでバスタブに飛び込んで、とはいうもののお水なしよ、
ていねいにゴシゴシ。これでいいかな?

そうそうお顔に栄養クリームもたっぷりぬらなければ。
冬の乾燥はお肌によくないからネ。

これでどうかしら?
それにしても新しい年をむかえるのって大変なのね。

2012年12月17日

ベルギーへ移住するフランス人急増


ルイ・ヴィトン・グループ代表でフランス一の資産家、ベルナール・アルノーがベルギー国籍取得を申請し、話題をまいたフランス。

その後は人気俳優がイギリス移住を発表して、またまた話題を呼び、社会党政権から逃れる人が続出しているという報道が多い中、今度は国民的俳優がベルギー移住だそうで大きく揺れ動いているフランスです。

その俳優は日本でも名がしられているはず。そうです、ジェラール・ドゥパルデュー。
多くの名作で名演技を見せている、フランスを代表する俳優。俳優であるだけでなく、ブドー畑や高級レストランなどのオーナーでもある実業家。
渦中の俳優ジェラール・ドゥパルデュー
偶然にベルギーでの
ディナーでお会いしました。
気さくな人です。


75パーセントもの税金を支払うことになる高額所得者の政府への不満は、このように、いろいろな形で表面化しているフランス。美しい芸術の国のイメージが損なわれそうでちょっと心配。でも高級なブランド製品の売り上げは上昇しているというのであるから、経済がまったく理解できない私の頭は混乱するばかり。多分外国人のお陰でしょう、特に中国人の。

それにしても何故ベルギーへ?
理由としてあげられるのは、パリから非常に近いという距離・・・何しろ列車で1時間30足らず・・・
そのためにフランスでの事業をしっかり監視できるし、税金はフランスよりすっと安い。物価も安い、フランス語が通じフランス料理はとびきりおいしい、ETC。こうした事情でフランスでは、今、ベルギーが注目の的。

考えてみるとベルギーへの≪逃亡≫は今始まったことではなく、
革命のときにもルイ16世の弟、プロヴァンス伯が逃げ込んだ先がベルギー。
国王一家の逃亡を全面的に援助したフェルセンも、一家をチュイルリー宮殿から無事に脱出させた後、待機していたのもベルギー。

フランスでの様子を近距離から見ていて、いざというときにすぐに戻れる立地条件のベルギー。今後いったい誰がベルギー移住を発表するかと、カフェでの話題はつきません。
そういえば知人のフランス人一家が、パリのアパルトマンを売ってブラッセルに住むといっていました。仕事場はパリなので列車で通うそう。それも一案。こういう人もいるのです、参考のために。

2012年12月16日

超大型クリスマスツリー

コンコルド広場の約23メートルの
クリスマスツリー

コンコルド広場に何と巨大なクリスマスツリー登場。
その高さは広場の中央にそびえているオベリスクと同じ。
ということは、約23メートル。
ツリーをオベリスクと同じ高さにするのは、
全体の調和を重視するパリジャンらしい。

それにしてもこれほどほっそりした木が、ものの見事にまっすぐに立っているのは驚異。いかにも美の街パリにふさわしく、実にスマートなのです。
クリスマスの飾りを周りに付けていなくても、
その立ち姿の美しさは観賞に値するほど。

夕暮れ時が特にすばらしい
専門家によると木は非常にインテリで、自分の姿がどのようになっているかわかるそう。
例えば、曲がりかけるとそれを察知し、
なおそうと努力をするのだそうです。
もしかしたら、太りすぎもわかってダイエットするのかも。
これは見習うべきこと、と木を見上げながら反省。

シャンゼリゼのクリスマスマーケット
ここでゴーフルを食べると
私のクリスマスが始まります。
昨年は、シャンゼリゼのクリスマス装飾があまりにもミニマルだと非難されたパリ。
そのために今年は豆電球を付けたのはいいけれど、

何となく中途半端。
それに反してコンコルド広場のツリーは意表をついていていい。
シャンゼリゼを救っている感じがしないでもない。

そう思いながら今年もゴーフルを食べながら、シャンゼリゼの両サイドのクリスマスマーケット散策。毎年同じようなお店が並んでいるのに、一度は見ないと気がすまない。習慣って恐ろしい。

2012年12月9日

イギリスは元気

2012年はイギリスの年でした。
エリザベス2世女王の在位60周年は、驚異的なお祝いだったし、ロンドンのオリンピックも大成功。それだけでもイギリスへの評価を高めたのに、そこにさらなる華やぎを加えたのがキャサリン妃の妊娠。

ケイトの愛称でフランスでも大人気のキャサリン妃。
彼女は現代女性が憧れるすべてのものを持っている理想的女性。容姿が飛びぬけているだけでなく、知性、ユーモアに富み、親しみ深い笑顔は抵抗しがたいほどチャーミング。
かと思うと、カメラマンの集中攻撃にも立派に対応する強さもある。ウイリアムのプロポーズを長年じっと待っていた辛抱強さもある。

つまり、未来の王妃としての必要条件を備えている女性なのです。

人気者のケイトが行く先々では強い友好関係が生まれるそうで、そうなると彼女は最強の外交官ともいえる。ケイトを選んだウイリアムの目の高さも、日を追うごとに評価が上がっているようで、イギリス王家の将来は無条件に明るい。


 性別に関係なく3番目の王位継承者になるウイリアムとケイトの間に生まれるロイヤルベビーは、イギリスの今後の繁栄の証のよう。 大英帝国華やかな時代再来とはいえないにしても、多くの期待をもてる国という印象を与えているのは確か。

今後も素晴らしいことが無限に待っているようなイギリス。
そのために、隣国のフランスでは、若者のイギリス移住が急増しているのが現状。

トンネルを抜けたらロンドンという立地条件のフランス。
今ではロンドンはフランスの1都市などというフランス人もいるほど。
ケイトの妊娠でますますイギリス移住が増えそうな気配です。

2012年12月1日

シャトレのつぶやき 63 思い出のアルバム 5

ママンはクリスマスマーケットへ
ワタシはお留守番
すねているワタシ

ノエルにはシャンゼリゼに
マーケットがでるの。
ア、もしかしたら、もうそのことをお話したかも。

で、そういうにぎやかなのが大好きなママンはいつもウキウキとお出かけ。
すご~く寒くてもそういう目的があると、ぜんぜん気にならないのね。
ワタシはもちろんお留守。だって寒いのってニガテだもん。

そこをママンがフラフラ歩いているときに、
ナニかもらったの。
風船っていう名前のお友達

 
ワタシが思うのに、ポンポンがついた毛糸のお帽子をかぶってブーツをはいていたから、
子供とまちがえられたのよ、きっと。
それが幸いして、サンタさんが子供たちにナニか配っている列にまぎれ込んで、もらいものをしたの。

それをもってうれしそうな顔で
お家に帰って言うことには
「ホーラ、お土産よ。うれしい?」と、ワタシの前でチラチラと見せたのが、コレ。

それは今までに見たこともないもの。
いい香りがするわけでもないし、
ステキな形でもな~い。
どれどれ、さわり心地はどうかなって手を出したら、
ママンがお小言。
「キミはあいかわらずね。ちっとも進歩していない。
コレはね風船といって、爪なんかたてたらバーンってすごい音がしてこわれるのよ」
「フーン、風船ネ。ヘンな名前。顔もないし、体もない。さわっちゃいけないっていうけれど、 でもちょっとさわってみたいワ」
ワタシはしつこくゴネました。
かわった性格で
上にばかり行きたがるの
「ナンでもさわらないと気がすまないのね、キミは。
まあ、かわいそうだから、ひもにだけさわっていいわ」
このようにして、ママンのひも付きでやっと風船に近づくことができたの。

それにしてもわからないのは、
いつも上に行こうとするのね、風船って。
きっと天国から送られてきて、そこに帰ろうとしているのよネ。

だけど、これってナンの役に立つのかなって、哲学者のように考え込んだワタシです。

2012年11月23日

ギャラリー・ラファイエットのクリスマス


クーポルの下の
スワロフスキーによる豪華なツリー

今年で100年を迎えるギャラリー・ラファイエット デパートのクーポル。
クリスマスにちなんで、その装飾の豪華なこと。

一日中その下にいたいくらい素晴らしい。
うっとりと見とれるというのは、こういうことなのだと実感。
これを見るために飛行機に乗って遠方から来る価値があるほどです。

ギャラリー・ラファイエットの象徴は何と言っても最上階まで吹き抜けのクーポル。

ダヴィデの星が頂上に
その下に、100年記念ということでクリスタルのスワロフスキーが特別なクリスマスツリ-を製作。
その眩い輝きが各階から見えるのです。

ツリーは
5000個のクリスタルを使用して作った、
シャンデリアのような輝きの直径9メートルのベースの上に飾られています。
21メートルのツリー自体には、120種類のオーナメントが輝き、時と共に色も変わり、そのたびに歓声が上がるほど圧倒的な美しさ。

時と共に色が変わる素晴らしいテクニック
もちろん私も興奮しながらいろいろな角度から写真を撮りました。
あまりにも美しいので、ツリーのみ。
私が入らない方がずっといいことくらい、ちゃんとわかっています。

こうした煌びやかな装飾を見ている限り、
世の中に永遠に
平和が続くように思えるばかり。
ではじっくりとご観賞を。

デパートの入り口には幻想的な馬車。
これから夢の世界を駆け巡りましょう、ということなのでしょう。
やはりパリはいい。


2012年11月20日

クリスマス装飾



クリスマスならではの装飾

もうパリはすっかりクリスマス気分。
特にデパートが例年になく華やかなこと。

それに負けないように、商店もそれぞれアイディアを競い合っていて、街を歩くのがとても楽しい。

こうしたキラキラ輝くウインドーを見ていると心がワクワクして、
何も買わなくても幸せになるのだから、経済的。

同じクリスマスをテーマにした装飾なのに、
皆、個性的なのは、やはりパリジャンの優れたセンスのお陰でしょう。
スランス人は同じ言葉の繰り返しを極端に嫌うので、それが会話だけでなく、こうしたウインドーの飾りにも表現されているのがよくわかる。

お金をかけなくてもおしゃれが上手なパリジェンヌたち。
装飾も同じこと。
工夫が一番重要なのです。

といいながら、これから毎日あちこち見て回りたいのですごく忙しくなりそう。
ゴージャスな
デパートの飾り
オペラ界隈、学生街、シャンゼリゼ、ヴァンドーム広場、
それに加えて高級ホテルの飛び切り華やかな気分も味わいに行きたい。
本当に忙しい季節です。


2012年11月15日

OECD日本大使公邸で講演と和食紹介

左、吉川コリーヌさん、
右、ニコル・トルジュマンさん

秋も深まり冬の寒さが身にしみる
今日この頃。
それも一挙に飛び去りそうなステキなイヴェントを
11月14日、パリ西近郊のOECD日本大使公邸で開催。
オーガナイズしたのは吉川大使夫人のコリーヌさん。

才知、教養が全身にあふれ、
しかも女性としてのチャーミングな面も持つ
ニコル・トルジュマンさんによる講演は、
時間の経過を忘れるほどの
流れるような見事な話術。


国際様式の
OCDE日本大使公邸
公邸があるヌイイの界隈の歴史に始まり、
公邸の建築様式とその歴史など話題も豊富。
フランス人、カナダ人、スイス人、
イタリア人など国際色豊かな47人の招待客は、
皆、関心するばかり。
ニコルさんは文化と歴史の造詣が深く、
それだけに講演の内容が深く、
それでいて身近に感じられるのは、
すべてを自分の知識として持っている証拠。

ヌイイの界隈で育てていたジャガイモ普及のために、当時の国王ルイ16世が、ジャガイモの花をボタンホールに付けた話や、
公邸の建築様式が「国際様式」だという解説も
興味深い。


駐仏日本大使夫人小松まりさん、
フランソワーズ・ド・コカトリクスさん
直線が強調されているのが大きな特徴というお話に、
視線をあちこちに走らせると。
確かに規律あるまっすぐなラインが多い。
1931年建築開始ということなので、ちょうどアールデコの時代。
そうした要素も加味されているという貴重な建造物。

講演の後は、何と和食のデモンストレーション。
公邸シェフ、橋田大三さんによる「マッシュルームのしろ和え」
シャンピニオン、豆腐、ゴマに、塩や、みりん、お酒などで味付けした、見るからにおいしそうで、しかもカロリーが少ないという理想的な一品に、皆、納得。

デモンストレーション中の
公邸シェフ、橋田大三さん
お豆腐の作り方は、という質問も出て、自宅でトライしてみようという意気込みが感じられ大成功のデモンストレーション。でも、私はお豆腐は出来たのを買ってきて作ってみようと、秘かに思っていたことを打ち明けます。

そればかりではありません。お隣のダイニングルームには和食の代表作がズラリ。
ほうれん草の和え物、ジャガイモの煮物(素晴らしくおいしくて何度もおかわり)、お寿司、
天ぷら・・・デザートも抹茶入りがあり、優雅なユズの香り入りがあり・・・

様々な国の様々な方々との会話も十分楽しめたし、お料理は抜群だったし、
 本当に素晴らしい日でした。メルシー、コリーヌ!!!


箱庭のようなお料理のプレゼンテーションも
日本的で素晴らしい。

2012年11月10日

オルセイの素晴らしい展覧会

大人気のオルセイ美術館
久しぶりの充実感と満足感を味わえる展覧会を、パリの
オルセイ美術館で開催中。
「印象派とモード」がそのテーマ。

19世紀後半のナポレオン3世の第二帝政時代は、経済が潤っていた時世。そのために装いも華やかで、豊かさがみなぎっているものばかり。それに加えて、妃ウジェニーがマリー・アントワネットに心酔していたために、
王妃の時代のフレアがたっぷりで、
リボンやレース飾り、刺繡が施された贅沢なドレスが大流行。
優美な装いを復活させた
ナポレオン3世の妃ウジェニー
こうした時代に頭角をあらわしてきたのが印象派の画家たち。
それまでは、歴史上重要な人物の肖像画や宗教画が多かったのに比べ、印象派の画家たちはそれから開放されたかのように、
一般の人の日常的な場面を手がけるようになったのです。

帝政が崩壊し第三共和体制になっても、服装の大きな変化は見られず、ウエストを絞り
ヴォリューム感のあるスカートという装い。
印象派の画家たちはそうした女性の服装に大いに興味を抱き、重要視し、絵に描いていたのです。彼らが描く絵の中の女性たちは、皆、小説のヒロインのように麗しく、人生を楽しんでいるような人ばかり。

印象派の画家はモードのクリエーターとさえ言う人がいますが、
たしかに絵に描かれたモードはどれも素晴らしい。

モネ作
そうした絵から現在のデザイナーがインスピレーションを受け、そこにコンテンポラリーを加味し、
世の賞賛をかうことも多い。このように、印象派とモードの関係は深いのです。

モネ、マネ、ルノワール、ドガなどの巨匠たちが描いた、着飾った女性たちの名作がいくつもつらなる展覧会会場。
こうした絵画を見るだけでうっとりするのに、それに拍車をかけているのが、その時代に製作した本物のドレス。
昼間のドレスがあり、午後のドレスがあり、夜のドレスがある。
タフタやシルクの光沢は、時を経過しているのに衰えることなく煌びやかに輝いている。
当時、女性は外出の歳には帽子を被り、手袋をし、刺繡やリボン飾りのある靴をはいていた、それも展示してある。

非日常の世界をさまよえる特別な空間は格別。
そこに現代の息吹きを加えているのが、壁際に並べられた、赤いビロードとゴールドの背もたれと脚のチェア。それは、パリコレのショーの場にいるような錯覚を起こさせます。
ルノワール作
チェアに描かれた招待客の名を見ると、ロダン、セザンヌ、フローベル、ジュルジュ・サンド、ロスチャイルド男爵などと書いてある。こうしたユーモアがパリらしくていい。

夢の世界に包まれたまま先に行くと、突然、目の前に開かれる人工芝の広々とした空間。
鳥の鳴き声が聞こえ、モネの大きな「草上の昼食」の絵が見える。ルノワールやバジルの名作もある。絵の中で憩う女性は誰も彼も着飾っている。顔に、服に、陽光を浴びているその光景は平和そのもの。

そう、そこは人生の悦びを満喫する場なのです。このように、心底から堪能できる素晴らしい演出の、パリならではの展覧会です。

「印象派とモード」
オルセイ美術館
2013年1月20日まで

2012年11月7日

アメリカ大統領選

白熱のアメリカ大統領選が終わり、オバマ再選に湧く興奮したアメリカ国民の姿を、テレビの映像で見るのはとてもワクワクしていい。細胞が活発に動いているのが自分でもわかるほど。
フランスでも連日トップニュースとして報道していたために、熱気は凄かった。
日本は特別な関係がある国だから、それ以上の関心だったに違いない。

フランスとアメリカの関係もとても深いのです。
何しろルイ16世の時代に、アメリカ独立の援助をした国。軍人を多数派遣したばかりでなく、莫大な資金援助もしたのだから。

それがフランスの国庫を空っぽにし、国民の生活はどん底状態。食べ物もなく、女性たちがパンを求めてヴェルサイユ宮殿に押しかけたのは、もう日本中が知っていること。

フランスのテレビでは投票日に、アメリカ独立に貢献したラファイエット将軍の波乱に富んだ生涯を放映。さすが文化国家のすることは違う。

オバマは私にとって現代のアメリカの象徴的な人物。
あの、知性あふれる説得力ある演説は文化であり、芸術。
アメリカの良き面を代表している感じさえする。

映像でこうした演説を見るたびに、何故か、ローマのシーザーもあのようにして人の心を捉え、領地を拡大していったのだと思ってしまうのです。
シーザーが征服した地を訪れるたびに、「ここでもシーザーの声が聞こえる」などと口走って、「ちょっと大丈夫」などと友人に言われることも度々。

演説は心を動かし、国を動かす原動力のように思えてならないのです。
キリストだって演説で人の心を捉えたのだから、これは本当に重要。
フランスの政治家も演説にたけているけれど、オバマの魅力的な演説にはかなわない。
日本の外交が振るわないのは、その演説にあるのではないかしら。

世界を舞台にするとき、沈黙は金ではないし文化でもない。
語りにこそ力があることを実感したアメリカ大統領選でした。

2012年11月1日

シャトレのつぶやき 62  思い出のアルバム4

家出したの

ワタシ一度家出をしたことがあるの、
ホント。
家出といっても、べつにママンとケンカしたからとか、この家が気に入らないからとか、そういうリッパな理由があったからではないのヨ。
たまたま窓があいていて、
それでそこをスルリと通ってお外にいっただけ。そういうのが得意なの。


お外はとってもいい気分だった。
世の中がこんなに広いと思ってもみなかったわ。
アパルトマンがいっぱいあるし、
そこにはいろいろな人が住んでいるようだし、バルコニーに咲いているお花も色がたくさんあってきれい。

空も大きくて雲も初めてみたわ。
ああいうのに乗ってみたい、そしていろいろな国に行くの、アフリカにも行きたい。
あそこは動物にとって天国なんだってね。
ママンがいつか言っていたわ。

「シャトレ、シャトレ、どこにいるの?」
突然、聞き覚えのある声。
屋根にのぼってごきげん
気分がこわれる。

「どこに行ったの?」
 しつこい声がまだ聞こえる。
でもじっと息をひそめるワタシ。
ママンはベッドや、テーブル、イスの下を見て回っては
ワタシの名前を呼んでいる。
「ほんとうにどこにいるの?」
今度はバスルームに行ってバスタブを調べるママン。
ときどきワタシがそこで泳ぐ練習をするからなの。

「あッ みてごらん、かっこいいネコだ!」
どこからか男の子の声。
ワタシをみてそう言ったの。
それを聞いてママンが外を見て、
ワタシと目がばっちりあったのです。

心配かけて反省しているワタシ

「まあ、そんなところにいたの、早く帰っていらっしゃい」そうはいってもとても帰りたくない。お外のほうがずっといいの。だからワタシは大声を出しました。「イヤッ!」
「そんなこと言っていないで帰っていらっしゃい。ほらキミの好物よ」
そう言ってママンは缶詰をチラチラさせてワタシを誘惑するのに必死。でもそうはいかない。
「イヤッ!、それよりお外のほうがいいの」
すご~く頑張ったワタシ。

そうしたら今度は長い紐をもってきてひらひらひらひら。
これはナゼかすごく刺激的でガマンできないの。
とうとうそれにつられて家に戻ったの。

「すごく心配したのよ。
もう二度とこんなことしないでね」
ママンは泣きそうな声で言う。
でも、ワタシにはたのしい思い出だったわ。

2012年10月28日

一足お先にルノートルのギャレット


2013年のルノートル特性の
ギャレット、アストン・マーチン
毎年1月6日にギャレットを食べる習慣があるフランス。
とは言うものの、実際にはその前後に何回も食べるフランス人が多いのです。もちろん私も同じ。

パイのような円形のケーキの中にどんなフェーヴが隠れているか、そしてそれが誰に当たるか、
どきどきしながらカットするギャレット。
フェーヴを手にした人は王様か女王になれるという楽しみが、ワクワクを起こさせるのです。

2013年のルノートルの特別ギャレットの発表があるというので、
いそいそと出かけました。
場所は15区。イギリスの高級車アストン・マーティンのショールームというオリジナリティにまずびっくり。

アストン・マーチンのショールームに
ルノートルのビュッフェが。

車と車の間にいくつものブュッフェが置かれ、
それぞれの前でルノートルのシェフがトックをかぶって大サービス。
フォアグラのお料理もあれば、サーモンや子羊もある。
日本風味のマッシュポテトだと自慢するシェフに誘われていただいたのは、わかめのみじん切り入りで、
若草色がとてもきれい。味も抜群。
ヤキトリソースであえた牛肉料理もあるけれど、一番の人気はなんといってもわかめ入りのマッシュポテト。
そして最後はもちろん今回の主役のギャレット。

特製のギャレットをいただいて
最高にご機嫌です。
2013年はイギリスの高級車アストン・マーティン100年記念の年。
それにちなんでのルノートルの画期的なアイデイアは、
まず車輪の形のギャレットにあり、
中に入れるフェーヴはアストン・マーティンのロゴとか、名前、旗など7種類。
どれも車音痴の私でもコレクションしたいほどステキ。
アーモンドやオレンジ風味のギャレットは2度もお変わりしたほどの美味。

発売は2013年1月。
それぞれのギャレットにフェーヴが一個。価格は6人用で36ユーロ。

2012年10月20日

新作発表、ミキモト、ロジェ・ヴィヴィエ

日本の老舗ならではの
シックなソワレ

最近、ニュー・コレクション発表のソワレが同じ日に重なることがナンと多いことか。

10月18日にも、
日本を代表する宝飾店ミキモトと
高級靴店ロジェ・ヴィヴィエのニュー・コレクション発表があり、どちらにも出席しようと時間調整が大変。

幸い二店とも歩いて行ける距離にあるので助かったけれど・・・


ますヴァンドーム広場の
バロック様式の新作品
ミキモトに行くことにし、
数少ない宝飾品が入っている箱をあけてパールのリングを取り出しました。
パールは日本を代表する宝飾品なので、
和服のときに使用することが多く、
この日のように洋装でパールというのは、
私には珍しい。

招待客は時間通りに集まり、
いかにこの日を楽しみにしていたかわかります。
ミキモトでロゼのシャンパンやフォアグラを
いただいきながら新作品を拝見。

今回の特徴は、フランス人が好むバロック様式で
躍動感と華やかさが込められ、
今までにない現代性が満ち溢れ
ロジェ・ヴィヴィエの
デザイナー、ブリュノー・フリゾニ
これは大ヒットすると思いながら
今度はロジェ・ヴィヴィエのブティックへと急ぎ足。

そのブティックは日本大使公邸のお隣にあり、
かつてはココ・シャネルが住んでいたこともある
なかなか瀟洒な建物。
こちらにも気をつかって
ロジェ・ヴィヴィエのデザイナーの靴を履いて出席。
これもパリの社交に必要なこと、
と私は思っています。
実際に彼の靴で出席の女性が目立ちました。


メゾンの親善大使
イネス・ド・ラ・フレサンジュ


ロジェ・ヴィヴィエといえば、エリザベス2世の戴冠式の靴を作成したことで有名。メゾンを創立した本人はすでに世を去りましたが、彼のエスプリをしっかりと形あるものとして継承しているのが、現デザイナーのブリュノー・フリゾニ。

創立者ロジェ・ヴィヴィエには、ディオールの本を書いているときに知り合い、日本にも一緒に行った貴重な思い出があるし、ブリュノー・フリゾニは10年以上前からの友人。
何かと縁が深く、できれば複数の靴を買いたいけれど、
とても高いのです、ヒールもお値段も。
だから私が持っているのはたったの1足。
ラインが美しくてそれに魅了されて買ったのはいいけれど、
11cmのヒールはやはり高い。
履く機会が少なく今までに3回のみ。
今回の新作品も気に入っているので、ヒールの低いのをと思っているけれど、何しろ1000ユーロ。いつになったら買えるやら。

2階のVIPをお迎えするサロン


でも最近は、こうして新作を見ているだけで満足するのにすっかりなれました。
つまり、自分が使うと思わずに、芸術品のように観賞すればいいのです。
この心がけは他の高価な品を見るときにも役立つのでおすすめです。


2012年10月18日

マリー・アントワネットの靴

マリー・アントワネット
処刑から219年後靴が競売に
フランス王妃マリー・アントワネットの靴がパリで競売され話題になっています。
今年はマリー・アントワネットが処刑されて219年目。競売の日は王妃が処刑された10 月16日の翌日の10月17日という凝った演出。

王妃の靴のサイズは36半でシルクの素晴らしい光沢がそのまま残っていて、
それだけに感動が大きい。
もちろん競売には世界中からコレクターが集まり、
予想価格8000~10000ユーロをはるかに越え、62460ユーロで落札。

グリーンとピンクの縞模様にリボン飾りがあるこの靴は、マリー・アントワネットの繊細な趣味が伝わってくるような気品あふれるもの。
競売された王妃の靴
グリーンとピンクの
シルクの靴 サイズは36半
王妃はそれを側近の貴族にプレゼントしていたために、革命を無事に逃れることが出来たのです。

靴の他に彼女のドレスの布地の一部、さらに幽閉されていたタンプル塔で使用していたマフも同様に競売され、それぞれ高値がつき、いかにマリー・アントワネットの人気が高いかと再度フランスで騒がれています。

今後もまた何か出てくる可能性はおおいにあります。
私の友人で、先祖がマリー・アントワネットの側近だった貴族がいますが、彼の家でマリー・アントワネットにちなむ品を見せていただいたことがあります。
競売に出すことはないと思いますが、このように、フランスには多くの宝物が隠されているのもなのですね。

2012年10月14日

コサック兵がフランスに向かっている。

モスクワ出発の日のコサック兵たち。
200年前にナポレオンを追ってパリへ
向かった先祖たちと同じ行程を辿るそう。
1812年のナポレオンのモスクワ遠征200年記念の今年は、ほんとうにいろいろなイヴェントがあります。
その中でもっとも興味深いのが、23人のコサック兵のフランスへの進軍。
8月12日に馬でモスクワを発ち、白ロシア、ポーランド、リトアニア、ドイツを通過し、フランスに到着するのが10月半ばの予定。


とはいえ、コサック兵はフランスに戦いを挑むのではない。
ウクライナに発祥した
コサック兵
200年前にナポレオンはロシア遠征に失敗し、モスクワを去りフランスに戻ります。その際に、彼らの先祖がパリまでフランス軍を追跡。その行程を忠実に辿るという途方もない大きな計画。
当時のコサック兵がいかにロシアの勝利に貢献したか思い起こさせるのが目的だそう。

それにしても全行程を当時と同じように馬でというのだから、大掛かりな計画。フランスは彼らに敗北したのだから、複雑な気持ちのはず。

コサック兵は15世紀頃にウクライナに発祥し、それから100年後には軍団として認められた軍人たち。19世紀になるとロシアで勢力を伸ばし、重要な地位についたほどの実力者の集まり。
日本とロシアの戦いでも大活躍。

フォンテーヌブロ‐城で
皇帝退位に署名するナポレオン
ところがロシア革命後、レーニンやスターリンに断圧され、現在では大幅に縮小されましたが、義勇兵として戦闘に参加しているそう。

23人のコサック兵の最終目的地はフォンテーヌブロー。敗北したナポレオンが皇帝退位の署名をした地だからです。
予定では20日にフォンテーヌブローでイヴェントがあるらしい。

時間があったら行ってみたいけれど、今月は先月と同じように外出が多いので
スケジュールと相談してから決める予定。何度も言いますがいろいろあるフランスです。

2012年10月11日

ベル・エポックにひたる心地よさ

ピエール・ベルジェーイヴ・サンローラン財団
ベル・エポックはフランス人がもっとも好きな時代。経済的に豊かだったその時代は文芸が発達し、人々は美しく着飾り夜毎オペラや観劇を楽しみ、サロンでは機知に富んだ会話が飛び交い、フランス中が華やぎに満ちていました。

ジャック=エミール・ブランシュ作の
マルセル・プルースト肖像画。
プルーストが大変気に入り
常に身近においていた作品。
そうした時代のハイソサエティを見事に綴ったのが、プルースト。
大作「失われた時を求めて」を読むと、優美な生活がまるで今、
目の前で繰り広げられているよう。

そのベル・エポックの代表的な画家がジャック=エミール・ブランシュ。
彼の名を知らなくても、プルーストの肖像画は見覚えがあるはず。
ブランシュはプルーストと親しく、父親がどちらも医者だったという共通点もあったのです。

当時の人物を描いたブランシュの絵の展覧会を、
今、ピエール・ベルジェーイヴ・サンローラン財団で開催中。
注目したいのはそれが単なる絵の展覧会ではなく、
ベル・エポックの時代の邸宅に招かれたかのような素晴らしい演出がなされていること。

その時代の家具やオブジェ、屏風などもあり、
会場はいくつもの部屋に分かれていて、
そこをゆっくりと歩いていると、
オーナーが姿を現わしそうな錯覚に陥るほど。

人脈が広いブランシュが描いた彫刻家ロダン、作曲家ドビッシー、作家ジイド、画家ドガ、若いコクトーなどの肖像画は、いかにもブルジョワ的でよき時代が伝わってきます。
何度も訪れたいほどのベル・エポックがそこにあります。

10月10日の前夜祭に多くの招待客がいらしていましたが、どなたも整った身なりとおしゃれな会話で、それもまたベル・エポックのよう。
パリの深さが心にしみるようなひとときでした。

2013年1月27日まで開催。
5 avenue Marceau
75116 Paris

2012年10月10日

ホテル・ムーリスのステキなイヴェント

ホテル・ムーリスの華麗なソワレ

パリに5軒しかない
パラスホテルのひとつホテル・ムーリスで、
10月9日にパリらしいイヴェント。
招待状のドレスコードがカクテルとなっているからには、
やはりおしゃれをしなければ。

こうしたときに女性はとにかく迷います。
あれこれあれこれ着てみては鏡の前に立ち、
正面から見たり横や後姿を見たり、
とにかく決まるまでが大変。

ホテル支配人の挨拶
左には審査員が勢ぞろい
着るものが決まった後も、どのバッグにするか、靴はどうしようとかもある。ヘアーもあればお化粧もある。いつもの通り果てしなく続く準備。

やっと支度が整いムーリスにつくと、
道路からホテルのエントランスまでレッドカーペット。
心躍らせながら招待状を見せると誰もかれもがとびきりの笑顔で案内してくれて、
やはり気分がいい。

今年で5年目を迎えた
ムーリス賞の表示
ナンと氷でできているのです。
こちらも気取って微笑みながら進み、
サロンの入り口でシャンパンを受け取り奥へと向かうと
人々の話の輪がいくつも出来ている。

幻想的な素晴らしい照明の中で、
招待客の顔がひときわの輝きを見せていて
ムード満点。メデイアで見かける人々の姿もあちらこちらに。
こうしたときにはいつも思うのです。
パリに住んでいて良かった、と。

この日のイヴェントは
「コンテンポラリー・アートのムーリス賞」授賞式。
審査員は美術館館長、パリ大学教授、コレクターなど
そうそうたる人物ばかり。
それに加えて立食ディナーは、
ムーリスの3つ星レストランシェフのヤニック・アレノのプロデュース。
と、このように何もかもゴージャス。

ドレスコードにあわせて
カクテルで出席。

多くの候補者の中から最終候補に選ばれた
8人の若いアーティストの紹介と、
今年の最優勝賞受賞者の
発表が続き、その後は談笑タイム。

将来性あるアーティストを育てるパリならではのイヴェント。
文化を尊ぶパリの良き面を味わえて、
ひときわ心が満たされたソワレでした。