2012年5月20日

ファーストレディーのアメリカでの評判

G8サミットでフランスの新大統領がアメリカ入り。
どの国の首相も一刻も早くフランソワ・オランドを知りたがり、それを上手にこなしているようです。
良かった良かった。

パートナーのヴァレリーも、もちろん同行。こうしたオフィシャルな場にパートナーという前代未聞のタイトルでのぞんでいいのかなどと、フランス人は誰も心配などしない。当人がそれがいいのならそれでいいのです。本人もさばけたもので、「私にはパートナーという表現があっているわ」と語っている新ファーストレディー。さすが、世界に先駆けて革命を起こした国民だけあって、革新的。

アメリカもいい国民のようで、ヴァレリーを《ファースト、ガールフフレンド》などと名付けている。とにかく新しい生き方、それがたとえ国を代表する立場にある人でも、を全世界に示しているようで気持ちいい。

ヴァレリーの経歴をちらっと見ると、父はハンディキャップをもち、母は6人の子供を養うためにスケート場でレジの仕事。そうした質素な家に育ったヴァレリーは、早くに自力で人生を切り開くことを悟ったようです。

ソルボンヌで学んだ後ジャーナリストになり、政治担当。未来のフランス大統領との出会いはかなり早い時期でしたが、それを公にしたのが2010年10月。

今回のサミットでの彼女の服装は、黒い服に黒い靴、ベージュのバッグととてもシック。
ホワイトハウス訪問の際に通訳を頼んだのは彼女だけ。いいかげんでない性格がこのことからもわかり、フランス人の信頼確保に役立っています。

2012年5月16日

新大統領と新ファーストレディー

フランソワ・オランドが昨日からフランスの正式な大統領になりました。
選挙で選ばれたものの、いまだに不安を抱く人が多い。

それに反してパートナーのヴァレリー・トリエールヴェイレールの評判がすごくいい。知的でどちらかというとクラシックな美人。彼女がいなかったらオランドは当選しなかったと、はっきり記事にした報道機関があったほどマスコミ受けもいい。どの写真を見てもとても感じがいい。

すでに離婚暦が二度あり、三人の子供もいる。オランドにも四人の子供がいる。とはいっても、子供も一緒に暮らしているようではない。事実婚という立場をかえる気もないようなおふたり。これも時代の象徴なのかしら、と思っています。

ただし、問題はあります。
教会での様々な行事、例えば、重要人物の結婚式とか、不幸、そのほかの記念行事に事実婚のカップルを迎えられるかという問題。フランスだけでなく、他国の場合にも同じことがいえる。これは国際問題に発展することにもなりかねない。

それにしてもフランスはいい国です。大統領が結婚していない女性と手をつないで、これからフランスを導いていくことを高々と表明し、それに対してに何の違和感も持たないのだから。
これがアメリカだったら、大騒ぎ。
第一立候補など不可能。

サルコジにしても大統領任期中に離婚、再婚をしたし、フランスは他人のプライヴァシーを尊重する大人の国なのです。

ヴァレリーがどのようなファーストレディになるか、とても楽しみです。
彼女のアドヴァイスで大統領がどのように変貌するかも楽しみ。
新時代を迎えた実感があるフランスです。

2012年5月15日

ルイ16世の時代の船の再現

ルイ16世の時代のレルミオンヌ号
長年続いていた経済不振で、フランス国民がどん底の生活を強いられていたルイ16世の時代に、アメリカはイギリスとの独立戦争で四苦八苦していました。フランスも同じようにイギリスとの戦いが1778年から続いていました。

そうしたフランスでしたが、アメリカ代表が援助を頼むためにヴェルサイユ宮殿を訪れると、ルイ16世はそれを快く受けました。
援軍を送ることと資金援助もするというこの朗報は、ラファイエット将軍がアメリカにわたり正式に伝えることも決定。そのとき使用された船が「レルミオンヌ」。
ラファイエット将軍
革命のときにも活躍

1780年3月20日、ラファイエット将軍は船上の人となり、レルミオンヌはボストンに向かって出航。
彼がそこで会うアメリカ独立戦争の指導者はジョージ・ワシントン。後のアメリカ初代大統領です。

4月28日に到着したラファイエット将軍は、ワシントンにルイ16世の意向を伝えます。フランスからの援軍は6000人(その中のひとりがマリー・アントワネットが心を寄せていたフェルセン)、それに加えて多額の資金援助もある。このようにフランスはアメリカの独立戦争に大いに貢献したのです。

ところがそれはフランスの経済を更に悪化させることになり、革命の原因のひとつにさえもあげられたほど。
ジョージ・ワシントン

レルミオンヌはその後戦いでも活躍。1781年10月17日のヨークタウンの決戦の際には、イギリスの補給船を沈没させるという功績もなしたのです。
けれどもその後の航海の途中で座礁し、惜しくも姿を消してしまう。

そうしたレルミオンヌにノスタルジーを覚える人が集まり、再現することを決定したのが15年前。
かなりの資金がかかるにもかかわらず、間もなく完成するようです。

まずフランス近くを就航した後、2015年にはラファイエット将軍の航程を忠実に辿りボストンまで行くそう。こうしたロマンが好きなのですねフランス人は。
ルイ16世の時代の船で長い日数をかけての航海とは、
何てわくわくする冒険。できることであれば私だって参加したいです。

2012年5月7日

新大統領

フランスの新大統領が決まりました。
予測通り社会党のフランソワ・オランドが選出され、バスティーユ広場は社会党勝利に酔う人でいっぱい。

何しろ17年ぶりに社会党の大統領が生まれたわけだから、朝までお祭り騒ぎ。

このところ選挙の話しかしなかったフランス人。
カフェでもレストランでも、友人宅でもそのことばかり。
そのたびに日本の選挙や首相の話が出ていて政治に弱い私は困っていましたが、これでやっとひと息。

フランスは直接選挙の国だから、ひとりひとりが真剣なのです。票を買収することなど出来ないから、本当に民主的。

いろいろと魅力的な約束を語っていたオランドだけど、実現への道は厳しい。高額所得者が高い税金から逃れるためにフランスから逃げ出すことも十分考えられる。私はその心配がまったくないからいいものの、すでに準備を始める人も結構いるみたい。

オランドはパートナーはいるけれど、戸籍上は独身。ファーストレディが必要だから
急いで結婚するかも。

その彼女が知的美人で素晴らしい。何しろ政治ジャーナリストだった女性。しかもいかにもフランス女性らしいおしゃれが上手。オランドにダイエットをすすめたのも彼女。やはり政治家は見た目も大切。今後どのような変身をするかも楽しみです。

2012年5月6日

ナポレオンを称えるソワレ

陸軍士官学校の
デイナー会場
ナポレオンの命日の5月5日には、ナポレオン史学会主催の催しが毎年おこなわれています
昨年は、ナポレオンのお墓アンヴァリッドでの献花、その後のミサ、ディナーのすべてに参加。でも今年は時間的余裕がなかったためにディナーのみ。

今回のにはぜひとも出席したかったのです。なぜなら、会場が陸軍士官学校だったから。
お知らせを受け取ったときから、カレンダーに大きな赤丸を付けて、他の予定を入れないようにしていたほど楽しみでした。
案内状には但し書きがあり、「フランス国発行の身分証明書持参のこと」
とあったほど、陸軍士官学校の中に入るのは厳しいのです。
周囲の人が
皆、英雄に見えました。

当日は20時からとのことで、もちろんそのずっと前に到着。
何しろ陸軍士官学校はナポレオが学んだ母校。そこでのナポレオンの様々なエピソードは書物でたっぷり読み、エリート養成機関であることを知っていたから、その場に足を入れられるなどと考えてもみなかった。それが、かなうわけだから感激もひとしお。顔は高潮し、心臓が早く打っていたのが自分でもはっきりわかったほど。

ナポレオンが陸軍士官学校に入学したのは15歳のとき。
経済的に恵まれない貴族の子弟に、国費で軍事教育を行うことを目的として作られた学校であるからには、
貴族の証明書が必要。
幸い、ナポレオンはその資格があり無事に入学。
これがナポレオンの輝かしい将来の基礎を築いたわけだから、ナポレオンとフランスの歴史を左右する重要なことだったのです。

陸軍士官学校中庭からの光景
当初、イタリア語のアクセントがあるフランス語を語っていたために、級友からバカにされていたナポレオンだったようですが、数学は常にトップ。何の後ろ盾もなかったナポレオンは、自分の将来は有能な軍人として目立つ活躍をすることにあると見ていたようで、がむしゃらに頑張っていた陸軍士官学校。

そのような場で、しかもナポレオン崇拝者ばかりのディナー。
エッフェル塔がひときわ華麗に見えた夜でした。

2012年5月1日

シャトレのつぶやき 54 ワタシ流のイスの座りかた

クラシックな座り方
ワタシの家は床が板かタイルなの。
だからゴツゴツシしていて座り心地がすごくワルイ。
まあ少しはカーペットもあることはあるけれど。
たいしたことないの。

だからワタシはいつもおイスに座るの。
おイスはいいわね。
クッションがあるからフワフワしていて。

同じポーズを続けているとあきちゃうし、
疲れるでしょ。
だから、
おイスの中であれこれポーズを
かえることにしているの。

それを見て、ママンがときどき悲鳴をあげるの。

「ナ~ニ、その座り方は!、
もっと、おぎょうぎよく座れないの?
身を守る座り方
君は女の子でしょ? きちんとしてよネ。
私の座り方をよく見なさい。ほら、こうするのよ」

そういってママンが両足をそろえて座ってみせてくれたけれど、
なかなかムズカシイ。
何度もマネしようとしたけれど、ダメなの。

「まあ、君と私では
足の形も長さもちがうから、ムリなのかもね」

クヤシ~イ。
寝顔を見られたくない座り方

でも、これが現実ね、ジジツね。
解決できないことなのね。
別の言い方をすると、運命なのね、
グスン。

ということで、
今日もワタシ流に
おイスに座っているのです。
どの座り方が好き?