2014年4月25日

キューバ、音楽とへミングウェイの国


屈託のない笑顔、軽快な音楽、
悦びが勢い良く跳ねているキューバ。
例えば、公園のベンチに座る。
すると、すぐに、ギターを弾きながら2~3人のグループが近づいてくる。
その誰もが日焼けした顔に、大きな微笑を浮かべている。
軽快なリズムの曲を立て続けに奏でる。
心がウキウキして、こちらも笑顔が広がる。

例えば、レストランに入る。
そこでもミュージシャンがギターを弾いたり、歌ったりしている。
スペイン・コロニアル時代の建物が
どこまでも続いています。
それに合わせて歌うクライアントもいる。
椅子に腰掛けたまま体を動かす人もいる。
窓から中をのぞき込みながら、音楽に合わせて手を叩く若者もいる。

そう、キューバは音楽の国。
音楽は日常生活の一部、
というより糧なのかもしれない。
それなしでは生きていけないのかもしれない。
そう信じても不思議でないほど、
音楽があちらこちらから流れ、
青い空の下で交差している。

スペイン・コロニアルの時代の、
彫刻を施した瀟洒な建物がどこまでも続いている。

へミングウェイ愛用の
ホテル・アンボス・ムンドスの部屋に
彼が使用していたタイプライターが。
アパートと思われるそうした建物の窓に、洗濯物がたくさん干されていて、アンバランスな雰囲気を作っている。

キューバはへミングウェイが20年も暮していた国。
彼のゆかりの地もいくつか訪問した。
滞在していたお気に入りのホテルにも行ってみた。

部屋には愛用していたタイプライターが残っていて、
へミングウェイの時代の空気が今でも流れているようだった。ここで彼は不朽の名作「誰のために鐘は鳴る」の執筆を始めたという。

窓から一望できる街並みが素晴らしく、へミングウェイがタイプの手を休めて見入っていたかと思うと、その光景にも格別の価値があるように思えてくる。

ヘミングウェイも通いつめていた
レストラン、ラ・ボデギータ・デル・メディオ。
 壁の落書きが個性的な装飾になっています。
温暖な気候、
抜けるような青い空、様々な青がある海、
街中に流れるリズミカルな音楽、
たくさんの笑顔、
へミングウェイの足跡。

パリから直行で約8時間。
さほど遠くない。
またぜひ行ってみたい。





2014年4月18日

オリエント急行

オリエント急行が
アラブ世界研究所前に。

オリエント急行といえば、
19世紀末に誕生した、着飾った紳士、淑女が西洋から東洋への旅に使用した豪華な長距離列車。

ふかふかのカーペット、座り心地満点のいす、寝心地がいいベッド、デラックスなレストラン、そして行き届いた丁寧なサーヴィスが、こだわりの人々を魅了し、世界に名を轟かせていました。


アガタ・クリスティの名作
大人気の蒸気機関車
「オリエント急行殺人事件」が映画化され、
それをテレビで見たときには、わくわくしたものです。
まさに、動くデラックスホテルと呼ぶのにふさわしい、
リッチでエレガントな列車。

彼女は考古学者の夫をイラクに訪ねるために、
オリエント急行に乗ったそうです。

その、夢のような初期のオリエント急行が、今、パリで見られるばかりか、中にも入れるのです。
場所はアラブ世界研究所前の広場。

列車や蒸気機関車は外に展示してあるので、外観はそこでじっくり堪能できますが、中に入るのには長蛇の列。


ひときわの輝きを見せる
レストラン車。
特に、今はイースターのヴァカンスなので、
かなりの覚悟が必要。

レストラン車では、
かの、スター的存在の3つ星シェフ、ヤニック・アレノの絶品を味わえます。
もちろん予約制。

着飾ってオリエント急行の
レストランでディナー。
外にはパリの夜景が見える。
と、想像しただけでゾクゾク。
列車と同じように長い列。

親しい友人たちと一緒に
ぜひ体験したいです。
できればアガタ・クリスティの時代の服で。
きっとステキな思い出になるでしょう。

8月31まで
休み 月曜日
インフォメーション 01 40 51 38 38

2014年4月16日

マロニエの花が咲いたよ~♪


マロニエが満開。

だから、パリジャンはご機嫌です。
小鳥たちもご機嫌です。
そうした光景を見る私もご機嫌です。
うららかな春の、ある日です。
のびのびとしたマロニエの並木が
どこまでも続きます。
デージーのカーペット
小鳥さんがとても幸せそう。

2014年4月15日

ジョゼフィーヌの息子、ウジェーヌ・ド・ボーアルネの邸宅

ウジェーヌ・ド・ボーアルネ

以前からずっと願っていた、ある旧邸宅訪問がついに実現し、この上ない幸せ気分です。
その館は、ナポレオンの最初の妃ジョゼフィーヌの息子、ウジェーヌ・ド・ボーアルネが住んでいたもので、
建物の全館から放たれる煌きは、まるで宝石のよう。

セーヌ左岸の邸宅は1710年に建築が開始され、その後持ち主が数回かわり、ウジェーヌが手に入れたのは1803年。母の夫ナポレオンが皇帝になる一年前のことです。

瀟洒な館は、ジョゼフィーヌの高尚な趣味が選んだ家具で飾られ、重厚であると同時に洗練の極めがあります。バスルームは花園の中で憩っているかように豊富な植物の装飾があり、音楽室、舞踏会の間は天井も壁も華麗そのもので、人々の絶賛をかっていました。
ところが、1814年、ナポレオン打倒を叫ぶ連合軍がパリに進入。威勢を誇っていたナポレオンは失脚し、退皇帝位に追い込まれます。

パリに進入したプロセイン王ヴィルヘルム三世が、滞在中に暮していたのがウジェーヌの館。あまりにも美しい趣の邸宅に、すっかり魅了された彼はプロセインの大使館にします。
後年には、ビスマルクやワグナーが滞在したこともあるそうです。

時が流れ、第二次世界大戦でドイツが敗れ、邸宅はフランス政府所有となります。
けれども、1962年にドイツに譲与されることになり、現在はドイツ大使公邸。

ということで、よほどのことがない限り足を入れることは出来ないのですが、ナポレオン史学会がオーガナイズして最小限の人数で訪問となったのです。
これに感激しないではいられません。

重厚なエントランス。
エジプトの影響が見られます。
ナポレオンの義理の息子にあたるウジェーヌは優秀な軍人で、大佐になり、
その後イタリア副王やヴェネツィア公、フランクフルト大公などの爵位を得ます。

彼はバイエルン王女と結婚し、ふたりの間に生まれた娘ジョゼフィーヌが、スウェーデン王子オスカルと結婚。後にふたりは国王、王妃となり、その子孫が現在のカール16世グスタフ国王。このように歴史を辿るとますます興味が深まりますね。

ウジェーヌの旧邸宅、現ドイツ大使公邸には、彼が住んでいた時代の豪奢な雰囲気が当時のまま残っています。豊富な金箔、数多くの豪華な鏡、無数のシャンデリア、年代物の家具、きれいな装丁の蔵書、大理石の幅広い階段、壁を飾る絵画、彫刻で目眩を覚えるほど。

入り口近くに
邸宅の歴史の表示があります。

これこそパリの洗練を極める邸宅。
ナポレオンの第一帝政時代のもっとも美しい姿を残していると賞賛されているそうです。

2階の窓からは広い庭園と、その先にセーヌ川が見える絶好の地。
パリへの想いが一層深まりました。




2014年4月12日

イースター 可愛すぎる小物たち

前回のブログで書いたように、イースターの飾りはウサギと卵が多い。
今日は、ヒヨコとウサギのミニミニ飾りです。
生まれたばかりの3羽のヒヨコちゃん
おすましのウサギちゃん

2014年4月9日

イースター


今年のイースターは4月20日。
とても大切な祝日で、学校も約2週間もお休み。この間にヨーロッパ諸国で、まるで民族大移動のような動きがある。もちろんパリを訪問する人も多いし、逆にパリから他の国に行く人も多い。

イースターが近づいて楽しいのは、チョコレートのお店がそれにふさわしいディスプレイをすること。それも毎年異なる。

卵とかウサギの形が多いのは、キリスト以前から豊穣のシンボルとされていたから。
特に卵はイースターに欠かせません。
卵から新しい命が生まれ、まさに復活なのだから。
今日はイースターのディスプレイのご紹介。
それぞれの特有のアイディアをたっぷりお楽しみください。


2014年4月6日

パリ 1900年 


プティ・パレで開催中の「パリ 1900年」は、
当時の雰囲気をたっぷり味わえる貴重なエキシビション。その時代はパリがもっとも美しく輝いたベル・エポック、つまり良き時代です。

文芸が栄えたベル・エポックに関しての原稿依頼が結構多い私としては、見逃すわけにはいかないと早速足を運びました。
フランス人がもっともノスタルジーを抱く時代であるからには、たくさんの訪問者がいるにちがいないと、覚悟していたとおり、長い行列。

平日なのにすごい行列
プティ・パレ自体が
1900年のパリ万博の会場として建築された当時の建造物だから、これほど理想的な会場はない。

開通したばかりの地下鉄の模型もあるし、
ギマール作のメトロの入り口もある。
ふわっとした長いドレスの淑女とシルクハットの紳士たちが、優雅に行き交う当時の映像もたくさんある。
アール・ヌーヴォーの家具、ジュエリー、陶器、盛んだったキャバレーのポスターも豊富。

才能豊かな芸術家が多くの名作を残した時代でもあり、ルノワール、モネ、セザンヌ、ロトレック、ドガ、ロダンの作品も身近で観賞できる。


貴重なのは、オート・クチュールの元祖ワースの作品や、彼のブティックとアトリエの写真があること。
本物のマヌカンに新作を着せて歩かせ、顧客に披露している場面もあり、
感激。

そうなのです、ワースが現在のショーの基礎を作ったデザイナーなのです。ナポレオン三世の妃ウジェニーがお気に入りで、大成功をおさめます。

訪れる人々を1900年へと誘う演出と、
作品の数の多さには圧倒されるほど。ゆったりと観賞していると、フランス人がなぜこの時代にノスタルジーを抱くか納得します。

パリは、いつの時代もそれぞれの素晴らしい輝きがある街。
へミングウェイがいうように、パリは移動祝祭日。
パリで一時期でも青春を送ると、その後どこで暮そうとも、パリはついてくるのです。

プティ・パレ
8月17日まで。

2014年4月5日

小保方晴子さん フランスでも報道


画期的な新型万能細胞、STAPを発見したと1月に華々しく報道され、
一躍脚光を浴びた小保方晴子さん。

30歳という若い年齢、可愛らしい顔、かっぽう着など、従来の科学者のイメージと大きく異なり、そのために研究以外のことでも注目されていたのが、突然、不正があったと非難される立場に追いやられ、今では、日本中が大騒ぎ。

フランスでは科学雑誌に少し掲載されただけだったのが、4月4日の日刊紙フィガロでかなり大きく報道。
科学誌ではなく、日刊紙の科学のページで報道ということは注目に値します。

記事の内容は、日本の報道の要約と思っていただければいいでしょう。

疑惑が大きくなり、理研調査委員会が調査し、その結果、彼女の論文に捏造と改ざんがあったと正式に発表。それを承服できないと反論する決意を示していることに、おそらくフランス人は、現代を生きる力強い日本女性を見ているでしょう。

権力や組織の犠牲になりたくないと、若い年齢にもかかわらず、そして、今後の科学者としての活動に影響を与えることが懸念される可能性があるにもかかわらず、このように真っ向から立ち向かう姿は立派です。眩しいほど堂々としています。

それにしても、この件に関する日本の報道加熱は異常。
これはフランスでは考えられないことです。

信念を持ち、地味な研究を重ね論文を書いた小保方晴子さん。
彼女の研究結果が正しく、STAPの存在が確かに認められるのであれば、そこに至るまでの過程は寛大に見るべきだというのが、科学に素人の私の考えです。

新たな発見、発明があると、必ず非難の声があがるのは、歴史が語っています。
小保方さんの信念、勇気、正義感、実行力に感嘆しないではいられません。
パリからエールを送ります。

2014年4月4日

春の気配が

新緑が目にうれしいパリ。
長い冬眠から目覚めたように、あちらこちらで花が咲き、春の気配がはっきりと見えるようになりました。緑も生き生きしているし、
やはりうれしいですね。

マロニエはまだ咲いていませんが、すでに蕾がいくつも見え、晴天が数日続いたら一挙に咲くでしょう。いまから楽しみです。
今日はその前の、春の始まりの光景をお伝えします。


お花はどれもきれい。

2014年4月3日

マリー・アントワネットのティールーム


ヴェルサイユ宮殿の庭園の一角にある「王の菜園」は、太陽王ルイ14世が造らせた広大な野菜畑。そこで栽培する野菜と果物が王家の食卓を飾っていました。
甘い香りが漂うティーサロン

それは今も健在で、何度か中に入ってみましたが、いかにも栄養たっぷりの土壌で、野菜や果物がそれは見事に育っている。
菜園に近づくだけで香りが体に巻きつくのだから、
すごい。

そこで栽培されているリンゴとバラの香りをつけた、
マリー・アントワネットが好んでいたというティーは、
今では日本でも購入できますが、
パリのヴァンドーム広場近くのティールームにも一度立ち寄っては?
素晴らしい香りが満ち溢れているし、ブティックは王妃好みの淡いピンク色で、限りなくフェミニン。

ここではマリー・アントワネットが大好きだったティーとケーキを、
ゆったりと味わえます。
マリー・アントワネットの
実物大の靴
シャンデリアが輝き、彼女の立派な胸像もあるし、愛用していた靴も再現。ティーの品数も豊富。

ピンクの装飾に浸りながら、ピンクの缶に入った「マリー・アントワネット ティー」を手に取る。
もう、完全にマリー・アントワネットの世界です。
ケーキとティーセットは15ユーロ
ティーのみは8ユーロ。

Nina's
29 rue Danielle Casanova
75001 Paris
tel 01 55 04 80 55


2014年4月2日

女子会大集合

撮影が終わったのは
朝食時間前。
なので、カフェでクロワッサンと
コーヒー。何故か仕事前の男性が多い。

3月18日のブログで紹介した、パリの女子会ともいうべきファム・フォロムのメンバーが、
早朝に大集合。

ある雑誌のために
撮影があるというのがその理由。
当日は色彩豊かな服装で、と但し書きがあるので、あれこれ迷った結果、ピンクのジャケットに決めて指定の場に急ぐ。場所はある美術館の中。会館前に特別に開けていただいたのです。どこかは、今はお知らせできないです。

会員のうち、約70人が集まったのだから、にぎやかなんてものではない。朝早いにもかかわらず、はちきれそうに元気いっぱいで、隣りの人との会話さえよく聞こえないほど。ご想像下さいね。

5時半に起きたから眠い眠い。
バッチリメイクをしたけれど、
このありさま。写真の結果がこわ~い。
誰がどこに立つのかを決めるのも簡単ではない。カメラマンはこうした撮影のベテランのようで、背丈で列をてきぱきと決める。
当然全体のハーモニ-が重視されるのです。

やっと並び方が決まって、全員笑顔でカメラに収まり、歓声が上がり、解散。
この写真が掲載されるのがいつか分からないけれど、必ず
報告しますね。

それにしても、やりがいのある仕事に携わるフランス女性が、これだけ集まるとそのパワーは凄い。彼女たちがいる限り、この国は安泰と思えるほど。
最近の統計によると、共働きのカップルの4組にひと組は妻の収入が夫より上だそう。

新しいパリ市長も女性になったし、時代はどんどん変わっている。

2014年4月1日

マリー・アントワネットとルイ16世の王子の真相は? また話題に。


ルイ・シャルル
後のルイ17世

革命で捕らえられ、両親、姉、叔母と一緒にタンプル塔に幽閉され、そこで10歳の生涯を閉じたという説と、王党派によって救出され生き延びたという説が、2世紀もの長い間討論されていたルイ・シャルル王子。
父の処刑後ルイ17世となった、あの、マリー・アントワネットによく似た不幸な王子。

タンプル塔で少年が亡くなったときに、解剖にあたった医師が密かに心臓を取り出し、保存していたとされていた心臓。それと、ハプスグルク家の人のDNA鑑定がそれぞれ行なわれ、タンプル塔で亡くなった少年がたしかに王子だったと、2000年に結論が出た。

マリー・アントワネットが
一番可愛がっていたルイ・シャルル
これによって、何世紀もの間ミステリーとされていた王子の運命がはっきりし、王子の心臓が王家の墓であるサン・ドニ教会に葬られたのは、記憶に新しい。

ところが、最近、異なったDNA鑑定が行なわれ、それが話題になっているのです。
鑑定を受けたのは、タンプル塔から無事に救出されルイ17世であると主張していた、ノンドルフと名乗る人の子孫で、現在、フランスに住んでいる40歳のユッグ・ド・ブルボン。

検査の結果、彼がブルボン家の血を引いていることが判明。
これまでは、ノンドルフはブルボンとまったく関係ないとされていただけに、これは大きな発見なのです。

彼の心臓と判断され
サン・ドニ教会に埋葬。
子孫の名はブルボンとなっているけれど、それは、オランダに住み生涯を閉じ、お墓もある自称ルイ17世のノンドルフへの好意で、オランダの宮廷はそのタイトルを許したとか歴史家は語っています。

ところが、今回の鑑定で、子孫がブルボン家の血をひいていることが科学的に立証されたわけだから、ユッグ・ド・ブルボンは本物のブルボン家の人。
そうなると彼の先祖のノンドルフも、フランス王家の血をひいていることになる。

後は、ハプスブルク家とノンドルフのDNA鑑定をやり直す必要アリ、となったのです。
彼がハプスブルク家とブルボン家の血をひいていると判明したら、ルイ17世だという可能性は高くなる。

タンプル塔から救出された
ルイ17世だと主張していた
ノンドルフ。
解明したと思ったミステリーが再度浮上し、複雑です。もしも、ノンドルフがルイ17世であれば、盛大なミサまであげてサン・ドニ教会に葬った王子の心臓は、いったい誰の?

その心臓の持ち主は、ルイ16世夫妻の血を引いていることが、鑑定ではっきりしたわけだから、もしかしたら、幼いときに亡くなった第一王子の心臓だったのかも。でも、その当時の心臓の保存方法とは異なる、と主張する人もいて、私の心は乱れるばかり。

いすれにしても、ノンドルフの鑑定を一刻も早くして、発表して欲しいですね。