2016年3月31日

パリの犬たち 73

初めてのパリ。
イースターのお休みの間にパリ訪問。
初めてだからすごくシンパイ。
スマートフォンの地図を見てばかりいるパパ。
行き先がわかったみたいだけれど、
シンパイはちっとも去らない。
パパ、本当にそっちでいいの?
えッ、今度はこっちなの?
ますますシンパイ。ボクが地図を見てもいいけれど・・・・
これから先、どうなることやら。
まあ、スリルがある旅もいいかもネ。

2016年3月27日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 69


凜とした態度で裁判を受けるマリー・アントワネット。
裁判は翌日15日にも引き続き行なわれました。
裁判長エルマン。
このところ出血が続き、体が極度に弱っていた王妃でしたが、10時間を超える公判の最後まで、凜とした態度を崩すことはありませんでした。

マリー・アントワネットが裁判長エルマンから判決を言い渡されたのは、10月16日朝4時でした。
すでに覚悟を決めていた王妃は、死刑の判決を受けても、微動もしなければ、顔色を変えることも、ましてや叫び声をあげることもありませんでした。

憔悴しきったマリー・アントワネットは、沈黙を保ったまま牢屋に戻って行きます。暗く小さな牢屋。そこで彼女は残された最後の数時間を送ります。

処刑はその朝に執行されることになっていました。
フランス王妃の威厳を、裁判の最後まで保っていました。

2016年3月26日

パリの犬たち 72

ここがスキ
ボクの移動性のおウチ。
ココにいるとすご~く安心。
おウチとボクの毛が同じ色なの分かる?
これがパリ風のお洒落なのだワン。

2016年3月25日

パリの日本

日本は桜が満開の頃でしょうか。
パリにも、少ないとはいえ桜の木があるのです。
マレーからサンルイ島に向う途中で見かけた桜。
黄昏のパリの空と何と美しいハーモニー。
このような色合いの着物がほしくなりました。
サンルイ島に行った目的は美味しいお寿司をいただくため。
いつもの通り、鯛のあら煮、モズクのお酢の物、お寿司。
いくら美味しいといっても、
この
お寿司を全部ひとりで食べたのではありません。
4人分です。念のため。
日本酒もたっぷりいただいて、デザートは笹餅。
日本一色のパリの夜でした。

2016年3月24日

カルティエ財団現代美術館でTATEHANA BUNRAKU

カルティエ財団で画期的な文楽の公演。
斬新なイヴェントで常に話題を呼んでいるカルティエ財団で、贅沢な文楽を堪能しました。衣装、舞台装置、小物は幅広い活躍をしている現代アートの鬼才、舘鼻則孝さん創作。文楽の人形遣いは桐竹勘十郎三代目。

公演内容のフランス語説明パンフレット。
写真左、桐竹勘十郎三代目。右、舘鼻則孝さん。
江戸初期にさかのぼる日本の伝統芸能を、パリで、しかもコンテンポラリーアートを紹介する場として名高いカルティエ財団での特別公演。きっと今までと異なった文楽に違いないと心をときめかしながら出席。

公演後、
人形を近くで観賞できる配慮が
大好評。
会場は小さめで、そのために近くで観賞できたのが素晴らしい。人形遣い、太夫、三味線が一体となって繰り広げる演芸は、熟練の方々ならではの迫力。

特に今回感激したのは、人形が奏でるお琴やお三味線の指の動き。日本人ならではの緻密で正確な動きは、人の技とは思えないほど。
桐竹勘十郎三代目が人形に魂を込めているのがひしひし伝わってきました。

舘鼻則孝さんによる舞台装置と衣装は、今までの観念を振り切るようなインパクトがあり、まるで文楽が活性化されたよう。それでいて伝統芸能を伝えているのだから凄い。

公演終了後、舘鼻則孝さんによる人形衣装を観賞できるよう、舞台装置のひとつである鮮やかな橋に人形を飾って下さったのは、21世紀にふさわしいアイディア。
おいしいシャンパンもいただいて、身も心も温まった夜でした。

2016年3月23日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 68

毅然とした態度で出廷したマリー・アントワネット。
公判は10月14日朝8時に始まりました。
この前代未聞の裁判を見逃したくないと、駆けつけた人の矢のように突き刺す憎悪の視線を全身に受けながら、マリー・アントワネットは毅然とした態度で革命裁判の法廷に出頭します。
弁護士ショヴォー・ラガルド
何ヶ月も前から同じ服を着て、ほころびているとはいえ、彼女には持って生まれた品格があり、それが、いかなる環境に置かれても揺るぐこともなく、法廷に集まった人々を圧倒します。

かつての王妃を初めて身近で目にした彼らは、さすがハプスブルクの血を引いた人だ、さすがに王妃だった人だと思ったに違いありません。

弁護士として指名されたのは、ショヴォー・ラガルドでした。
パリで法律を学んだ彼は、その実力で名を轟かせていた有能な弁護士でした。
「自由よ、汝の名の元にいかに多くの罪が犯されたことか」と劇的な言葉を残して断頭台にのぼったマダム・ロランや、マラーを殺し「暗殺の天使」と呼ばれたシャルロット・コルデーの弁護を務めたのもラガルドです。

有能な弁護士がついてくれたとはいえ、自分の運命は動かしがたいことを、すでに予審の際に悟っていたマリー・アントワネットは、落ち着いていました。40人もの証人の偏見に満ちた証言の間も冷静を保ち、裁判官の尋問にもテキパキと答えるマリー・アントワネットは、王妃の品格を失うことなく、威厳さえ見せていました。
革命裁判で、矢継ぎ早の尋問に知的に応えていた王妃。

2016年3月22日

パリの犬たち 71

おそろいなの
ママンとワタシのトータルファッション。
どう? ステキ?

2016年3月21日

イースター7景

3月27日の復活祭がいよいよ迫ってきました。
この祝日をお祝いして、ヨーロッパ人の多くが休暇をとります。
たくさんのツーリストを迎えたいパリのショーウィンドーはひときわ楽しげ。
ご覧の通り。

2016年3月19日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 67

法廷で凜とした姿勢を崩さない王妃。
10月12日夕方6時、非公開の予審が始まります。
この日、コンシエルジュリーに隣接する革命裁判所に立たされたマリー・アントワネットの傍らには、弁護士はいませんでした。

すり切れた喪服で
牢屋に戻った王妃。
彼女はたったひとりで自分の弁護をしなければならなかったのです。
けれども、誰もが驚いたことは、王妃は言葉を選びながら、次々に浴びせられる尋問に立派に答えたのでした。しかも、彼女の母国語のドイツ語ではなく、外国語であるフランス語での裁判だったのです。このことからマリー・アントワネットが、いかにフランス語に長けていたか分かります。その裏には、知られざる大きな努力があったはずです。

王政が廃止され、国王はルイ・カペーと呼ばれるようになり、彼の処刑後、王妃は「カペー寡婦」と呼ばれていました。
それにもかかわらず、革命裁判所で名を述べるように言われたとき、自分が誇りを持っている本来の名を告げます。

「マリー・アントワネット・ド・ロレーヌ・ドートリッシュ、37歳、フランス国王未亡人」

それは明らかに革命政府への反発です。マリー・アントワネットは危険を充分に承知していました。が、何事にもひるまず、自分の意志を貫いたのです。この彼女の勇気は尊敬するに値します。

尋問は王妃の莫大な浪費、チュイルリー宮殿からの国外脱出、亡命貴族や実家オーストリア王室と連絡を取り合い、革命を終わらせる目的で軍隊派遣を依頼したこと、カーネーション事件などに及びました。

そのひとつひとつに明確に答えた彼女は、母マリア・テレジアが誉めるに値する立派な王妃だったのです。

2016年3月17日

パリの犬たち 70

どっちがどっち?
靴がワタシに似ているの、
それともワタシが靴に似ているの?
ネ、どっちなの、どっちなの、教えて!!

2016年3月16日

ホテル プラザ・アテネで究極の美食

左から青柳の小山裕久さん、私、多津子さん、
小山さんの令嬢佐知子さん、吉兆の徳岡邦夫さん。
これ以上贅沢な美味はないといえるディナーが、リニューアルして更なる好評を博しているパラスホテル、プラザ・アテネのレストラン「アラン・デュカス」で開催されました。今秋に予定されている三越伊勢丹のパリ進出の前祝いです。

青柳の一品。
吉兆の一品。
日本を代表する老舗とフランス食文化の大御所が、この夜のために集まって一回限りのディナーを実現。唯一のクリエーションという意味では、まさに、服のオートクチュールに匹敵。そのために、この会食は「オート・キュイジンヌ」と呼ばれるのに相応しいのです。

日本の蒼々たる老舗の青柳、吉兆、天一、虎屋、そしてフランス料理の巨匠アラン・デュカスの共演は、夢の中の夢。それが実現したのですから、これは一大イヴェント。

日仏の名立たるシェフによる格別な一皿一皿は、心を揺るがすほど感動的。自然が育む貴重な産物への優しい心使い、秀でた感性、熟練の腕・・・それらが相まって作られる絶品は、まるで、魂が宿っているかのように貴重に思えます。

柔和な微笑のアラン・デュカス。
シャンパン、ワイン、日本酒もそれに匹敵する最高級のもの。極上の美味による極上のおもてなし。青柳の小山裕久さんとアラン・デュカスの熱い友情、それぞれの老舗の食文化に対する情熱が生んだ唯一無二のイヴェント。日仏の食に対する高尚なこだわり精神を味わった、記憶に残るオート・キュイジンヌの夜でした。

2016年3月15日

ラリックとオペラ座のステキな関係

1922年、ルネ・ラリック作のテーブルセンター「火の鳥」
「火の鳥」をテーマとしたペンダント。
高級クリスタルで名を成しているラリックが、オペラ座との夢のようなコラボレーションを発表。
オペラ座で上演された代表的作品を、ラリックがジュエリーとして創作したのです。

今回は2回目だそうで、テーマはふたつ。
「火の鳥」と「接吻」

ロシアバレーでパリを熱中させた鬼才ディアギレフが、若き作曲家ストラヴィンスキーを起用して1910年にオペラ座で公演した「火の鳥」は、大きなセンセーションを起こした作品。
カラフルで大胆なデザインの衣装のデッサンが残っていて、そこからヒントを得て創作したラリックのジュエリーは、アールデコ様式。火を表すオレンジがインパクトを与える作品ばかり。

オペラ座内のジュエリー発表会場
オレンジサファイア、ダイヤモンド、七宝、翡翠などを施したネックレス、ペンダント、ブレスレット、イヤリングに見られるアールデコは、メゾンの創立者であるルネ・ラリックがこよなく愛した様式。

もうひとつのテーマ「接吻」は、オペラ座で上演される度に評判を呼ぶ「ロメオとジュリエット」がインスピレーションの元。繊細な彫刻をほどこした透明感あふれるクリスタルとヴェルメイユのジュエリーは、アールヌーヴォー様式で優美で爽やか。

1922年、ルネ・ラリック時代のテーブルセンター「火の鳥」も展示してあり、感慨深いプレゼンテーション。会場はもちろんオペラ座でした。

2016年3月14日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 66

コンシエルジュリ―で描かれた
王妃最後の肖像画。

脱出が失敗に終わってから、
王妃の待遇が目に見えて悪化します。

当初は入り口に近い牢屋に入れられていたマリー・アントワネットだったのですが、これでは逃げ出せる危険がありすぎると判断され、一番奥まった牢屋に移されます。

それだけでなく、憲兵が昼夜を問わずに予告もなしに入り、身体検査までし、看守と言葉を交わすことも禁じられます。
親しくなったり同情するのを恐れ、看守の交代が頻繫に繰り返されていたほどです。
庭に面した窓からも、監視が四六時中目を光らせていました。
監視は24時間続いていました。

牢屋には簡素なベッド、マットレス、枕、毛布、籐椅子、テーブルが置かれただけでした。

起床後、王妃はロザリーが買ってきた小さな鏡に向って髪をとかします。輝くばかりのブロンドは、タンプル塔にいる間に白髪となってしまったけれど、それを丁寧に時間をかけてとかす王妃でした。

ボロボロに擦り切れた喪服のまま、彼女はココアとパンの簡単な朝食を済ませ、昼食と夕食にはわずかな肉が出ることもありました。
与えられた本を開いたり、鉄格子がはめられた窓から外を見たり、思いにふけったりして、ひたすら時間が経つのを待ち、祈りを捧げてベッドに入る変化のない日々が続いていました。
牢屋の入り口の厳重な錠前。

散歩も許されない王妃は日に日に体力が落ち、食欲もなくなり、ついにはスープしか口にできない状態に陥ります。

一日中陽が入らず、カビが悪臭を放ち、セーヌ川に近いために湿気が異様に多い牢屋。それが、かつて、金と大理石に象徴されるヴェルサイユ宮殿で、煌びやかなドレスに身を包んでいた王妃の最後の住まいだったのです。
王妃の最後の牢屋。

2016年3月13日

カルティエのオリジナリティあふれるコレクション発表

ドラマティックな演出ばかりの
カルティエのプレゼンテーションは
深く印象に残ります。
美女と豪奢なジュエリーに
圧倒されます。
さすが、ジュエリーの不動の地位を保っているカルティエ。今回のニューコレクション発表を拝見して、このメゾンがいかに革新的か再認識。

サンジェルマンデプレのホテル・モンタナを借り切ってのコレクション発表は、まるで映画の中に引き込まれたかのような画期的な演出。

重厚なドアから一歩中に入ると、そこは別世界。
若いミュージシャンが軽快な音楽を奏で、左側のバーには様々なドリンクが並んでいる。

その向い側には、驚くほど綺麗なマヌカンが、ソファに腰かけて優しい微笑を称えている。
着飾った彼女たちが身につけているジュエリーが、幻想的なアカリの中でキラキラと輝いている。
びしっとした身なりの美男が4人も。

奥に進みエレベーターで最上階に着くと、パリを屋根の上から一望できる客室で、4人の選りすぐったイケメンが、ゲームをしている。

彼らがつけている時計や装飾品も、もちろんカルティエ新製品。男の価値がぐ~んと上がります。やはり見かけは重要ですね。

その後、階段をおりながら各部屋に入ると、真っ赤なドレスの美女が、ベッドの上でダイヤモンドの煌きに見とれたり見せびらかしていたり、あるいは、若い子が元気に飛び跳ねたりしている。

数秒間だけ
カルティエのリングをつけて
最高に幸せ!!
ルイ・カルティエが愛していたアフリカをテーマにしたコーナーもある。メゾンの代名詞的存在のパンテールを主役とした階もある。

ジュエリーだけでなく、カラフルなバッグ、使いやすそうな大きさのペンもあって、カルティエの創作意欲が多岐に及んでいることがわかります。

短時間であっても、夢のような世界に浸れたのは素晴らしかった。
この日味わった高貴な雰囲気は、きっと細胞に極上の栄養を与えてくれるでしょう。
メゾンの代名詞的存在のパンテール。
忘れがたいインパクト。

2016年3月12日

アラン・デュカス ニュー・チョコレート店

爽やかな店内

昔ながらのテクニックと、最新のテイストの融合で評判を呼んでいるアラン・デュカスのチョコレート店。

バスティーユ近くにチョコレートのマニュファクチュールをオープンして、話題をまき、その後あっという間にあちらこちらに店舗を増やし、3月9日に何とパリ市内で5件目がオープン。

12カ国から仕入れるカカオ豆に、25種類の香りを入れた種類豊富なチョコレートは、さすが、こだわりのシェフならでは。

ジャン=ポール・エヴァンやピエール・エルメの元で腕をあげた、ニコラ・ベルジェがチーフ・シェフ。

チョコレート、アラン・デュカス
9 rue du marché St-Honoré
75001

パリは、今、チョコレート競争時代です。
専門店が多いこと多いこと。

オープンして二日目にこのお店に行ってみたら、やはり名がものをいうのでしょう。プレゼント用を求める人がひっきなし。
チュイルリー公園とマルシェ・サントノレの間という立地条件もいい。
お店は小さめだけど、中身が濃い。

私から見るとデュカスは、シェフというより優れたビジネスマン。
規模が大きい人ですが、繊細な心の持ち主でもあるし、日本と日本人大好きというのが何よりも嬉しいですね。

2016年3月11日

マリー・アントワネット 絵で辿る生涯 65

王妃の牢屋の窓から見える、女囚たちが散歩する中庭。
王妃は一度もそこに行くことを許されませんでした
朝7時の起床から、夜10時にベッドに入るまで、狭い牢屋でひたすら時間がたつのを待っていたマリー・アントワネットに、ある日、突然、変化が起きます。

狭い牢屋は二つに仕切られ、
片側に看守が24時間
控えていました。
1793年8月28日、監獄長ミショニがひとりの男性と一緒に牢屋に入ってきました。
その小柄な男性の顔を見た王妃は、思わず声をあげるところでした。それは一年前の6月20日、チュイルリー宮殿に暴徒たちが進入したときに、機敏に助けてくれたアレクサンドル・ゴンス・ド・ルージュヴィルだったのです。彼は忠実な王党派でした。

ハッとしているマリー・アントワネットに会釈したルージュヴィルは、ふたつのカーネーションを、秘かに王妃に目配せしながら落とします。

しばらくした後、彼がミショニと連れ立って牢屋から出て行くのを見届けると、王妃は急いでカーネーションを拾い上げます。ひとつのカーネーションの中には、小さくたたんだ紙が入っていて、「救出に必要な資金と人の用意があります」と書かれていました。もうひとつのカーネーションにはコンシエルジュリーの簡単な地図がありました。

王妃救出を試みた
ルージュヴィル。
すでにあきらめかけていたマリー・アントワネットでした、けれども救出する計画があることを知り、勇気が湧いてきます。

「私は見張られています。
 誰にも話しません。
 貴方にお任せします。参ります」

急いで紙切れに針で文字を綴った王妃は、それを看守のひとり、ジルベールに渡します。
ルージュヴィルは立ち去る前に「明日また来ます」と、マリー・アントワネットの耳元で秘かにささやいたのです。王妃は脱出に同意することを知らせようと、針で文字を刻み、それを翌日来るルージュヴィルに、ジルベールから渡してもらうと考えたのです。
当然そのとき彼女は、彼に報酬を約束したと思われます。

ミショニもすでにルージュヴィルに買収されていて、そのために彼を王妃の牢屋まで案内したのです。当時は買収が頻繫に行なわれていました。お金次第で味方にも敵にもなっていたのです。

マリー・アントワネット救出は9月2日夜から3日朝方にかけて行なうことも決まりました。コンシエルジュリーの看守たちを味方にするための資金もそろい、脱出後、リヴィリー城に向う手はずも整いました。その後王妃をドイツにお連れすることも決まっていました。
王妃が最期の日まで使用していた水差し。
彼女が好きだった花々が描かれています。

その日、ルージュヴィルとミショニが予定通り迎えに来て、王妃は牢屋からこっそり出ます。薄暗い通路を通り、看守たちが控えている部屋の前を通り、後一歩で自由の世界に入れると思ったその瞬間、看守のひとりが裏切ったのです。
買収されていたにもかかわらず、恐怖を抱いたのか行く手をさえぎったのです。

ジルベールも恐れを抱いたのか、あるいは最初から裏切る積りでいたのか、王妃が針で綴った手紙を証拠として上司に提出します。
このようにして、最後のチャンスの脱出は失敗に終わってしまいます。

どこまでも王党派だったルージュヴィルは、ナポレオンの時代に敵の連合軍側につき、1814年にフランス軍に捕われ52歳で銃殺されます。

2016年3月10日

凱旋門近くのお勧めレストラン、パージュ

一年ぶりにパリにいらした
佐藤夏実さんと、ロゼのシャンパンで乾杯し、
その後は白、赤ワインで絶品の数々を堪能。
ここ数年、日本人シェフのフレンチレストランの評判が上がる一方。
決め細やかな味、一品ずつ異なる食器、アート性高い盛り付け、行き届いたサーヴィス、清潔感漲るインテリア。評価が高いわけです。

一年ぶりにパリにいらした佐藤夏実さんと、パージュで楽しいディナーをいただきましたが、絶対にお勧めしたいレストラン。オーナーシェフはもちろん日本人。
石庭のようなお皿と
季節感あるおすましのような逸品。

真っ白いシンプルなインテリア、余裕ある席、日本を感じさせるテーブルウエアとセッティング。小花があちらこちらに飾ってあり、そこにも四季を愛する日本人の心が感じられます。

アミューズ、アントレ、魚料理、肉料理、ゆで加減満点のアスパラガス、数種のデザート、どれも、皆、絶品。ひとつ星をあっという間に得たことが当然のお味。
ファンが大勢いるのもよくわかります。
私もまた行きたい。