2017年5月30日

メトロの駅名は語る 43

Raspail
ラスパイユ(4,6号線)

フランソワ=ヴァンサン・ラスパイユ。
19世紀の化学者であり政治家で医師だったフランソワ=ヴァンサン・ラスパイユの名を冠したこの駅は、かの有名な「カルティエ現代美術財団」の近くなので、催し物があるたびに、特に若者たちで賑わいます。

ラスパイユの名はどちらかというと、ラスパイユ大通りとして親しまれています。
パリ在住の多くの日本人が愛用しているビオ(オーガニック)のマルシェが毎週日曜日に開かれ、一般の人だけでなく、レストラン経営者の顔もちらほら。
ビオの野菜、果物、肉、魚、パン、蜂蜜などの食料品の他、化粧品、シャンプー、石鹸もある。
パリジャンはビオに凝っている人が多く、ビオのレストランも急に増えています。私もビオばかり。

1900年代初期のリュテシア・ホテル
この大通りとセーヴル通りが交差するあたりには、今、リニューアル工事中のリュテシア・ホテルもあります。アール・ヌーヴォーのホテル内にアール・デコのバーを実現したこのホテルは、ボン・マルシェ・デパートの顧客のために、デパートオーナーが建築させたホテル。
第二次世界大戦の時にはドイツに没収され、終戦後には強制収容所に送られていた人々の宿泊所になったこともありました。

ホテル名「リュテシア」は、
パリがローマの支配下だった時代の町名ルテティア(ラテン語)が起源。
4世紀に主にシテ島に暮らすパリシイ族から町名を「パリ」と改名。
リュテシアは昔のパリの名なのです。
現在、日本でも活躍し名が知られているジャン=ミッシェル・ヴィルモットにより改築中。かつての良き部分をそのまま残し、そこに現代の息吹を吹き込むとのことで、完成が楽しみ。ここのアール・デコのバーは大好きだし、魚介類がご自慢のレストランも美味でお勧め。

完成は2017~2018年だそう。
いつも工事が長引くフランス。2年遅れなどということも多いパリ。
気長に待ちましょうね。    

2017年5月27日

パリの犬たち 129

眠い、ねむい、ネムイ
パパがいない間、ボクがあきないよう、
いろいろなものを置いてくれたけれど、
すごくねむくなってきた。

ああ、もうダメ。
睡魔におそわれた。
ダメだ、ダメ、ダ・・・・こっくり、こっく・・・り、

2017年5月24日

メトロの駅名は語る 42

Vavin 
ヴァヴァン(4号線)

ラスパイユ通りとモンパルナス大通りが交差する地にあるこの駅は、18世紀の政治家であり公証人のアレク・ヴァヴァンに由来しています。

大金持ちの政治家、アレクシ・ヴァヴァン。
フランスでもほとんど知られていない政治家ですが、セーヌ左岸のリュクサンブルク公園、ソルボンヌ界隈に広大な領地を持っていた人です。
1839年、47歳のときに議員になり、その後数回立候補を繰りかえし、そのたびに選出されています。ヴァヴァンの名はメトロだけでなく、彼の領地があったリュクサンブルク公園近くの道路にも残っています。
「ラ・ロトンド」での若き日のピカソ(右端)。1916年35歳のとき。
左はポーランド出身の画家キスリング、
中央はフランス女優パクレット。
駅前にはふたつのブラスリー、ラ・ロトンドとル・ドームがあり、著名人が足蹴しく通っています。

新しくフランス大統領に選ばれたエマニュエル・マクロンが、決勝戦に進むことが決定した夜、そこで友人や一部の支持者と集ってお祝いしたと話題になったのはラ・ロトンド。 
昼間も夜もにぎわっているラ・ロトンド。
お肉料理がおすすめです。
1903年に創業し、ピカソやモジリアニも愛用していたラ・ロトンドは文芸人好みで、マクロンとブリジットも常連でしたが、大統領任期中はここで自由を満喫するのは難しいでしょう。

ル・ドームは私も愛用しています。
魚介類が特においしい。
ル・ドームは1898年にオープンし、特にアメリカ人の文学者に愛され、
へミングウエイが作品の中に書いているし、サルトルやボーヴォワールも著書に登場させています。

どちらもお料理がおいしいし、サーヴィスも気持ちいい。 
近くのおなじみレストランTOYOに行く前に、ここでアペリティフをいただくこともあります。
よき時代のパリが今で残っている好きな地域です。 

2017年5月21日

ナポレオン史学会主催、おもしろく、ためになる講演

私が会員になっているフランス・ナポレオン史学会は、ナポレオンにちなむ地を訪問するツアーをオーガナイズするほか、専門家を招いて講演も主催していて、とても勉強になります。

今年から新しい試みとして、ティー タイムに講演を楽しみましうという企画が生まれ出席しました。
会員ばかりが集まるから親しみやすい雰囲気で居心地がいい。歴史が好きな人ばかり集まるから、話もあって楽しい。

講演会が行われた、
歴史あるブラスリー「ギャロパン」。
今回の開催場所はブラスリー「ギャロパン」。旧証券取引所の裏にあり、1876年創業の老舗。
キューバ産のマホガニーにおおわれた壁、1900年のステンドグラスがはめられた窓と天井。
シックなパリらしいブラスリーです。

歴史の大家、ゴンザッグ・サン・ブリ。
レオナルド・ダ・ヴィンチが暮らし生涯を閉じた
ロワール河畔のクロ・リュセ城のオーナー。
今回の講演者は,歴史の大家で50冊もの著書がある著名人ゴンザッグ・サン・ブリ。
外交官で伯爵の父の元で、ゴンザッグ・サン・ブリが英才教育を受けながら育ったのは、ロワール河のほとりの城下町アンボワーズのクロ・リュセ城。
彼の先祖が1855年から城主だったのです。

講演者所有のクロ・リュセ城。
ダ・ヴィンチが使用していた家具が残っていて、
ルネッサンスの偉大な人を身近に感じられる
貴重な城館です。
クロ・リュセ城は「ルネッサンスの父」と」呼ばれているフランソワ一世国王が、イタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを招き住まわせ、ダ・ヴィンチが生涯を閉じた歴史上大変重要なお城です。現在は一般に公開されていますが、城主はサン・ブリ伯爵家です。

素晴らしい内容と話し方。
講演はこうあるべきかとお勉強になりました。
こうした環境に育った人だけあって、著書も講演も歴史物がほとんど。
今回のテーマは新しい大統領が誕生したばかりなので、大統領官邸のエリゼ宮にまつわるお話。とくにそこに暮らした女性たちの逸話がほとんどで、一言も聞き逃さないように耳を傾けていました。
ルイ15世愛称ポンパドゥール夫人、ナポレオンの妹キャロリーヌ、ナポレオン3世の妃ウジェニーも登場。そのほか歴代の大統領夫人の裏話もたっぷり。

私が大好きなテーマであっという間に2時間経過。
次回はイギリス人の講演だそうで、今から楽しみ。

2017年5月19日

ブリジット・マクロン旋風

内閣発表も終え、 本格的に動き出したマクロン大統領。
選挙中の公約を実現し、男女同数で、しかも政治家と市民社会から同数の閣僚を選んで、今のところは評価されています。

今後は6月に控えた国民議会議員選挙で、マクロン派が過半数を超える議員を得られるかが注目の的。

おふたりへの興味は一向におさまることなく、 先週表紙になったばかりなのに、引き続き今週も「パリ・マッチ」誌の表紙を飾っているエマニュエル・マクロンとブリジット。

大統領就任式後、姿を見せていないブリジットが、どのようなファーストレディになるか、皆、胸をときめかして公式の場に出てくるのを待ち構えています。

彼女の両親が購入しマクロン一家の憩いの場になっている、ノルマンディー地方のトゥケの別荘まで観光スポットになっているそう。ブリジットにちなむ場所でさえこの騒ぎ。彼女の服装への関心はこの何倍も高い。

熟年のフランス女性の魅力、あり方を世界に轟かせる稀有なブリジット。私も魅了されています。公式行事に姿を現すのを、毎日待ち焦がれているほど。

2017年5月18日

メトロの駅名は語る 41

Saint Sulpice
サン・シュルピス

「ダ=ヴィンチ・コード」 で一躍有名になったサン・シュルピス教会。
その近くなので教会と同じ名を持つ駅。
この周囲には特有のアンビアンスがあります。

19世紀のサン・シュルピス教会。
現在と変らない光景です。

教会前広場の噴水には重厚な彫刻がほどこされ、そこに面した絶好の場所には、カフェやブランドブティックが並び教会横手細い道路にはハイセンスの小さいお店がいっぱい。気負いのないパリらしさがあります。

 サン・シュルピス教会はブルジュのシュルピス枢機卿に捧げる教会で、いつの時代に最初の建物が生まれたか記録は残っていません。

17世紀には親しみやすい小さな教会でした。

古くから祈りの場があったと思われる地に、ルイ13世の妃アンヌ・ドートリッシュが、サン・シュルピス教会建築のために石を置いたのは1646年その後内戦工事が中断されたり土地の買収に時間がかかったり、建築家交代が数回あったり一応1745年に完成しますがそれ以降も変更が続きます

ドラクロワ作の天井画「悪魔を撃つ大天使ミカエル」

この教会ふたつの塔建築された時期が異なるし、形も異なり、しかも南の塔は未完成という風変わりな教会です

教会内で注目すべき作品はドラクロワによるフレスコ画と、19世紀の日時計グノモン(指時計)、そしてフランスで3番目に大きい重厚なパイプオルガン。

歴史に名を残した人々の結婚式も行われました。
例えば、革命のときに民衆を扇動した弁護士カミーユ・デムーランとリュシル。
フランスが誇るロマン派の大作家であり詩人のヴィクトル・ユゴーとアデール。

左右対称でない二つの塔が結構個性的でいい。

2017年5月17日

イケメンとのディナー、楽しく、美味しく、幸せいっぱい。

大統領も決まってひと安心。
なので、TOYOでお祝い(何の?)

高田賢三さんと建築界の寵児、田根剛クン。
二人のイケメンとご一緒で幸福度満点。
とにかく、何だかんだと理由をつけてはシャンパンでカンパイしてお食事。
生きている喜びをしっかり実感できる貴重なひとときです。

色鮮やかでアーティスティック。
そら豆、かぶ、大根の葉、カラスミ。
珍しく茶巾。
今日は高田賢三さん、建築家の田根剛クンとご一緒。
田根剛クンはもうご存知のように、若手建築家のホープ中のホープ。
美術館、レストラン、住居・・・・多彩な活躍を世界中でしています。
気品と現代性が あって私は彼の建築が大好きです。
 実力があり、性格がよく、話もおもしろく会食にかかせない人。

ヘアスタイル変えて、ますます人気者になった
TOYOのシェフ中山クン。
お食事とおしゃべりが終わったころ、TOYOのシェフ中山クンも合流。
ますます事業に力を入れ、発展し続ける前途洋々の人。
3人の実力マンと一緒の最高の夜でした。
こういう日が毎月1回あるといい・・・・とお星さまにお願いしました。

2017年5月15日

エマニュエル・マクロン、大統領に就任

公私共に異彩を放つエマニュエル・マクロンが、5月14日、最年少のフランス大統領として正式に就任しました。第5共和政8代目の大統領で任期は5年間。テレビではこの重要で話題豊富な就任式の様子を、8時半から放送。いつもの通り見逃しませんでした。

9時55分、ブリジット夫人が7区の自宅をひとりで後にし、エリゼ宮に到着。スカイブルースーツにベージュのバッグとピンヒール。何となくドナルド・トランプ大統領就任式のときに着ていた、メラニア夫人の服に似ている。ただしブリジットのはフランスのメゾン、ルイ・ヴィトンのクリエーション。彼女のお気入りのメゾンだそうで、今後も様々な機会に斬新な装いを披露して楽しませてくれるでしょう。

エマニュエル・マクロンが10時を少し回ったころエリゼ宮に着き、ゆっくり歩を進め、フランソワ・オランドが入り口で迎える。握手を交わし、大統領執務室でふたりだけで国家機密などの重要な引継ぎを行い、11時7分、新旧の大統領が揃って姿を現す。その後、車でエリゼ宮を去るオランドをマクロンが見送り、その姿が見えなくなると入り口にブリジットが晴れやかな姿を見せ、手をつなぎながら中にはいる。

大統領就任の演説は「祭典の間」で行われました。ベルリオーズやバッハの演奏の後、分裂を解決し、一致団結し強いフランスを築き、世界の見本となる国にし、希望を国民にもたらせたい。そのために、最大の努力、最大の貢献をすることを宣言し、今夜から直ちに仕事に従事するという言葉で終えました。
冷静に、一言一言かみしめるように語るマクロンの決意が並々ならないものであることが伝わる演説でした。

2017年5月12日

エマニュエル・マクロン、政界の寵児

5月7日に、次期フランス大統領に選ばれた39歳のエマニュエル・マクロンに関する報道が連日続いていて、それを見逃がさないようにする私もチョー忙しい。

テレビでは彼を半年間追っていた特別番組を報道するし、夕方のメインニュースの大半も、彼のその日の行動に多くの時間を割いている。

新聞はもちろん、週刊誌も彼を表紙にしたのばかり。
ソフトで知性と気品を漂わせる彼は、いい印象を与えている。
服装もネクタイを含めて無地ばかりで、シック。
何よりも礼儀正しい正統なフランス語が心地よい。

ずっと気になっていた右手の薬指のリングは、彼が国立行政学院に通っていたときに、ブリジットがプレゼントした記念すべきものだと分かってひと安心。かの有名なカルティエの3連リングです。愛、忠誠、友情を表すこのリングを受け取った27歳のときから離さないでいたとは、ナンとロマンティックな人。これも特集で知ったこと。

でも多くの試練が 待っています。
14日、大統領職に正式に就き、首相を誰に決めたか発表したとき、マクロンへの評価がまた変るでしょう。

2017年5月11日

メトロの駅名は語る 40

Saint-Germain-des-Prés 
サン・ジェルマン・デ・プレ

初期のゴシック建築を取り入れたサン・ジェルマン・デ・プレ教会の界隈は、17世紀から知識人が好む場となり、後年にメトロ名になり、地域の名になり、文芸人のたまり場として栄えました。

1618年のサン・ジェルマン・デ・プレ大修道院。
サン・ジェルマン・デ・プレ教会の前身は大修道院で、その歴史は驚くほど古く558年に建築。当時の国王キルドベルト一世が聖人ヴァンサンの衣服を入手し、それに捧げるために王家の大修道院を建築させたのです。
パリ司教サン・ジェルマン。
パリ北郊外にある王家の墓サン・ドニ大教会が生まれる前は、この大修道院に王家の人々が埋葬され、キルドベルト一世もここに葬られました。
当時のパリ司教だったジェルマンが576年に世を去りそこに葬られ時に、修道院はン・ジェルマン・デ・プレと命名されます。

革命で大修道院は破壊され付属教会のみ残り、それが現在見られるサン・ジェルマン・デ・プレ教会です。
1925年のサン・ジェルマン・デ・プレ界隈。
1880年になると、教会がすぐ近くに見える絶好の場所にブラスリー・リップが、1885年にはカフェ・ドゥ・マゴとカフェ・ドゥ・フロールが生まれ、時と共に著名な文学者や芸術家のたまり場となり、キラ星のような輝きを放つようになったのです。

バルザックのお墓の前に立つ、
サルトルとボーヴォワール。
哲学者のサルトルやボーヴォワールを中心として、実存主義について熱気に満ちた議論をたたかわせていたのもサン・ジェルマン・デ・プレ界隈でした。

サン・ジェルマン・デ・プレの女王だった
歌手で女優のジュリエット・グレコ。1972年。
黒髪のエキゾティックな容姿と独特の歌い方、知的会話で文芸人を魅了し、女王的存在だったジュリエット・グレコは今90才。 カフェ・ドゥ・マゴやカフェ・ドゥ・フロールの椅子に座って、サルトルやボーヴォワールを語り、グレコの歌を口ずさみながら当時を思い浮かべるのもパリらしくていいものです。

2017年5月10日

パリの犬たち 128

わぁ、すご~い美女!!
ほら、あっちを見てごらんよ。
世にもまれな美女だよ。

キャーッ、どうしたのあの完璧なスタイル。
ママンのチョー短い脚ばかり見ているから、
ほんとうにびっくりだワン。

2017年5月8日

フランス大統領選 5 ついに大統領決定

フランス中を熱狂の渦に巻き込んでいた大統領選の結果、若干39歳の中道・独立派のエマニュエル・マクロンが、66 ,1%の高い支持率で選ばれました。

20時に当選がテレビで発表されると、マクロンは支持者が待つ15区の陣営で、神妙な面持ちで言葉を述べました。笑顔をまったく見せず、引き締まった顔で語るマクロンには、大統領に選ばれた喜びよりも、この重要な任務を5年間背負う大きな責任感、それをしっかりこなす強い意志が感じられ、それだけに心の奥に響く感動がありました。

振り返ってみると、彼の飛躍は歴史に残るほど目覚しい。
2016年4月、「前進」という政治運動を創立、
8月、経済相辞任、
11月、大統領選に出馬する意向があると発表、
2017年3月、中道・独立派として大統領選に出馬。
5月7日、フランス大統領に選出。

これほど驚異的な短期間でフランス国民の支持を得した人は過去にいない。

当初は懐疑的だった多くの人を、飛ぶ鳥を落とす勢いで支持者に変えたマクロンは、高校時代から文学青年で大学で哲学を専攻し学位を取得。

それにふさわしい正統な美しいフランス語で、母国の大きな改革を訴えるマクロンの言葉には、説得力がある。深い知性、教養、強い正義感、使命感が感じられる。若い年齢にもかかわらず公約を実行に移す強靭さがある。

政界、財界、芸能、スポーツ界、若者だけでなく、アメリカ前大統領オバマがビデオ・メッセージを送って応援したほどの輝きが彼にある。

私から見るとマクロンは21世紀のナポレオンに匹敵する人。
ナポレオンは革命で混乱していた時代に、突然、彗星のごとくに登場し、驚異的に素早い決断力、実行力、勇気で矢継ぎ早に改革を行った。
当初は彼の若い年齢と経験不足に不安を抱き、懐疑的だった兵士や国民でしたが、それをまたたく間に抑えた類稀な人物。

このように、マクロンとの間にいくつも共通点がある。
でも大きな違いもあります。ナポレオンが粗野で女性を軽視していたのに対し、マクロンはブルジョアの家庭に生まれ育った品があり、女性を重視していること。

決戦の正式発表があったとき、マクロン支持者はルーヴル美術館のピラミッドの前にいた。そこには大きなスクリーンがふたつ設置されていて、マクロン当選が映し出されると大歓声があがり、手にしているフランス国旗がいっせいに揺れ動きました。

12世紀のフィリップ・オーギュスト国王の時代から、19世紀のナポレオン3世皇帝の時代までの歴史を刻んだ重厚な建造物のルーブル。そこに展示してあるのは古代から19世紀までの世界の美術品。
この地こそグローバル主義のマクロンにふさわしい。

22時30分ころ、陣営を離れたマクロンが大掛かりな警備の中ルーヴルに到着。
コートに身を包んだマクロンは、EUの歌とされているべートーヴェン作曲の交響曲第9番「歓喜の歌」にのって、ひとりでピラミッドに向かいゆっくり歩を進めていました。 それも深く感動的な場面でした。

高い台にのぼり約15000人の人の波の前に立ったとき、マクロンは初めて笑顔を見せた。顔いっぱいに広げた笑顔で何度もうなづき、両手を挙げて勝利の喜びを分かち合い、
「友よ・・・」
と張りのある声でエネルギッシュに語りかける。
「友よ、これは民衆主義の勝利なのだ。新しい時代が始まったのだ、
私は全力をあげてフランスを守る、ヨーロッパを守る。
今やしっかりと団結しなければならない。
期待をかけている多くの人々を失望させたくない。
私には、友よ、あなたたちが必要なのです」

演説が終わるとブリジット夫人が壇上に現れた、感激の涙がこぼれおちていた。
その後マクロンとの家族とブリジットの子供や孫もジョイントし、支持者たちと一緒にフランス国歌を力強く歌う。
すっかり暗くなった5月の空に歌声が響き、39歳の新大統領誕生の歴史的日は終わった。

今、フランスは新しい時代を迎え、大きな変化が生まれようとしている。
こうした時期にフランスに、パリに住んでいるのは刺激的で感動的です。

2017年5月6日

大統領選の決戦投票前に体力を

いよいよ7日はフランス大統領が決定する日。
この日もテレビで特別番組があるので、今から体力を蓄えかなければと大好きなTOYOでお食事。もちろん高田賢三さんとご一緒。

たっぷり日焼けしてハツラツ顔の賢三さん。
うらやましいほどの長期ヴァカンスを過ごし、日焼けした顔の賢三さん。元気いっぱいだし、いつまでも若々しい。
美味を堪能しながら大統領選や日本の歴史、人生、健康管理など、いつもの通り話題はつきない。その間に次々お料理が運ばれてくる。

いろいろいただいた中でもっとも印象に残ったのは、たけのこ。
皮ごと茹でたたけのこが、
爽やかなお皿に載って登場。

次々に皮がむかれ、だんだんスマートになるたけのこ。
春の味覚を代表する茹でたたけのこが運ばれ、目の前で手際よく皮をむき、一番奥に潜んでいるたけのこが顔を出し、もっとも上等な部分だけ取り出しお皿に載せる。
こんなことは初めてでびっくり。 もう最高の贅沢。
ますますスーマトになり、まるで貴婦人みたい。
それを切ってお皿に・・・かと思っていたら・・・
さらに手が動き、一番奥に潜んでいる部分が取り出され、
もっとも美味しい箇所のみ食べやすい大きさに切って
お皿の上に。
7日の選挙速報を長時間見る気力がばっちり養われました。
最新の支持率発表によるとマクロン62%、ルペン38%。
マクロンが優位ですが、アメリカの例をみると開票するまで分からない。

2017年5月4日

フランス大統領選 4  最終テレビ討論

5月3日夜、7日に控えている決戦投票前の最後のテレビ討論がありました。

今回は右翼、左翼の2大政党代表ではなく、中道・独立派の39歳のエマニュエル・マクロンと、48歳の極右翼・国民戦線のマリーヌ・ルペンの対決。有権者は正直言ってどちらに投票すべきか迷っている人が多い。それだけにこのテレビ討論が重要視されている。


21時、マクロンとルペン、そして司会のふたりのジャーナリストがすでに席についている場面がテレビ画面に映し出される。

室温18~20度、14台のカメラが取り囲み緊張した空気が流れる中、質問が開始され、まずルペンが言葉を発する。
当初からマクロンを辛らつに非難したり、中傷的な、時には侮辱的な言葉を攻撃的に連発。
マクロンはそれにすこしもひるまず、ルペンの矛盾を指摘したり具体的な政策案がないこと、彼女が語ることは嘘ばかりだと数回に渡って発言。

司会者がいないかのように二人の激しい討論は続き、いつものように声が重なり、それぞれの主張が聞き取れないことも度々。

テーブルを挟んで向かい合っての討論の間、相手の厳しい視線と言葉を目の前で浴びながら、ふたり揃って少しの躊躇も戸惑いも見せない。
ルペンがテーブル上に書類を広げ、ときどきそれを見ながら発言したのに対し、マクロンは何も見ずに流暢に具体的に語るこの違いが印象的でした。

マクロンが提唱することは野蛮なグローバリゼーションだと何度も繰り返すルペン。国民の怒りを利用するあなたの態度そのものが極めて危険だと応酬するマクロン。

いまだかつてみたことがない非難に染まった約2時間30分続いた討論は、最初から最後まで熱気に包まれ、23時半に終わりました。
どちらが選出されるかは7日の投票日に判明しますが、この討論の後の統計によると、63%の視聴者がマクロンに説得力がありルペンは34%。1600万人がこのテレビ討論を見たそうです。

多くの支持者を得ているマクロンの公約のいくつかは・・・・

右派左派のそれぞれの利点を結集し、新しい政治を実施する。
政治家だけでなく一般市民も政治参加をさせる。
公務員を減らし出費を抑える。
法人税を減らし企業の負担を少なくする。
週の労働時間は35時間を維持。ただしそれぞれの企業内での交渉によって変更も可能。
失業者対策のひとつとして、専門の職業訓練を充実させる。
子供たちの将来のために学校教育に力を入れる。特に小学校の教育を重視し、1クラス12人の生徒で行き届いた教育を行う。
定年は62歳。
ヨーロッパの中に位置しているフランスは、EUに残留すべきである。他国との交易は国に必要なのであるから。
EUの方針を重んじ難民を受け入れる。それは我々の義務である。

無名の一青年から、後ろ盾もなく自分の力のみで最高峰にのぼったナポレオンと同じに、マクロンも3年前までは無名で、自らの力でここまでのぼった人。議員になった経験がない若い彼に、国の指導者になる器がないように思っている人も多いようですが、私はマクロンに全面的な信頼を置いています。

彼は大統領という名誉がほしいのではない。
多くの問題を抱え、経済も治安も何もかも悪化する一方の祖国を救いたいのです、改革したいのです。そのためには国の指導者になる必要がある。今こそ立ち上がらなければならない。ただし自由な立場で。
その信念を貫くために、どの政党にも所属せず自ら政治運動「前進」を創設させたのが2016年4月。数人の支持者だった「前進」は短期間でフランス中に旋風を起こし、今では25万人の支持者を持つまでになったのです。

マクロンが大統領に選ばれれば、彼が力説している「革命」 がフランスを生まれ変わらせるのです。
私はそれに大きな期待を抱いています。

2017年5月2日

5月晴れの日に

日本の5月はさぞかし爽やかでしょうね。
パリはまだ朝晩は寒いとはいえ、晴れの日の午後は太陽が惜しみなく照っていい時期です。

きれいな青い空。やはり5月です。いい気候。
この好天気の中、広いテラスがあるアパルトマンに暮らすフランス人の友人を訪問。
青い空、ベランダの花々と木々。そこでいただくティーは格別おいしい。

大統領選で緊張している日々が続いているので、そこで一休み。
とはいえ、やはり選挙の話題は欠かせない。
ルペンかマクロンかとまたすぐにその話題。
今回ほどスリルがある選挙は初めてだから、雑談でも熱気がこもる。

やはり広いベランダはいい。
今の我が家にないから、急に引っ越したくなりました。
3日には最後のテレビ討論があるから、動きたくない。
この結果はまたご報告しますね。

トム・クルーズのパリ路上での映画撮影

パリは世界が認めているように美しい街。
19世紀末の均整が取れた美観を長年保ちつつ、それを損なわないよう近代化も進めているパリは絵になる。だから映画の舞台になることも多い。

すごい人出のオペラ通り。何も見えない。
テロなどで撮影が長い間遠ざかっていたパリですが、アメリカから大規模な撮影隊がパリに登場。
街中での撮影が多いようで、
「撮影のために、何日の何時から何時まで、どこそこの道路が封鎖されます」
と、あちらこちらに張り紙がなされる。
もちろん、何の撮影で誰が出演などとは書いてない。

望遠レンズをつけたカメラを構えているからには、
かなりの有名人が来るに違いない、と期待に胸がふくらむ。
こうした表示を何度も目にしているので、
「ああ、また撮影ね」
と気にしていなかったのですが、その日の通行禁止の規模は半端ではなかった。

うしろ姿だけれどトム・クルーズです。
オペラ通りが封鎖されているだけでなく、その界隈の細い道路もすべて封鎖。
車の通行禁止だけでなく、歩行者もダメ。
鉄柵ががっちり並び、その前でフランス人とアメリカ人の係員が緊張した顔で立っている。
パトカーも随所で待機している。

撮影のための特別装置の車。
何でも確かめないと気がすまない私は、オペラ通りに行く。
すごい人。オートバイの上にのっている人もいれば、椅子の上にのっている人もいる。皆、カメラを構えて目をこらしている。望遠レンズをつけたカメラを手にしている人も数人。

これはただ事ではないと、ますます興味が深まり、一体誰がこの騒ぎを起こしているのかと群集の中でじっと待つ。
突然、オートバイを勢いよく走らせこちらに向かってくる男性が見えた。
その途端、一斉にカメラのシャッターを下ろす音がカチャカチャと鳴る。まるで機関銃のよう。

パトカーも数箇所で待機。
ナンとオートバイを操っているのはトム・クルーズ。
後で調べたら、「ミッション・インポッシブル」6の撮影なのです。

ならばこの厳重な警戒もわかる。
撮影はまだ続きます。5月4日にはサノトノレ通りを中心に交通規制があるようです。

2017年5月1日

スズランの日

造花のスズランをチョコレートにいけた、
おしゃれな「幸せを運ぶメッセンジャー」
5月1日はメーデーの日であり、スズランの日。
労働祭の日なので、当然、有給休暇。

街角のこの日限りのスズラン・ショップ。
車がほとんど走っていないので空気も澄んでいる。
そうした中をスズランを手にした人々が行き交っています。

スーパーでは1週間前から大きなスズラン・コーナーを設置。
日頃お世話になっている人、特に母親や友人に幸福でいてほしいという願いこめて贈るスズラン。路上に繰り出しているその日だけのショップでスズランを買う人が多い。
この日はスズランのさわやかな香りに街が包まれ、誰もが幸せ感に浸れる嬉しい日。とてもいい習慣です。