ビル・アケム(6号線)
リビアのビル・アケムでの戦いが、駅名の起源になっています。
ビル・アケムはリビア砂漠のオアシスで、トルコ帝国が威勢をふるっていた時代には砦がありました。その地で第二次世界大戦の際にドイツ・イタリア軍相手に戦ったのは自由フランス軍。
「自由フランス軍」というのは、第二次世界大戦初期にドイツ支配に陥ったフランスから抜け出た有志たちが、祖国を救うために結束して成立した軍隊組織です。
リビア砂漠のビル・アケムで戦う自由フランス軍。 |
ビル・アケムの砦をめぐる戦いは、1942年5月26日から6月11日まで続きます。その戦いで活躍した自由フランス軍の司令官はケーニグ。
一方ドイツ軍の司令官はロンメル。砂漠での戦いの中でもっとも厳しかったとロンメルが語ったように、ビル・アケムの戦いは過酷なものでした。
ビル・アケムから撤退する兵士たち。 |
約2週間の激しい戦闘を繰り広げ、ドイツ軍を砂漠の中に釘付けした後、ケーニグはビル・アケムから自由フランス軍の撤退を決断。
その2週間は非常に重要で、リビアの隣国エジプトで苦戦していた連合国イギリスが、その間に軍の再編成を行い、ドイツ軍はイギリス打倒の機会を失ったのです。
中央でバトンと手にしているのがビル・アケムの戦いの英雄ケーニグ。 その左で微笑んでいるのが連合国遠征軍最高司令官アイゼンハワー。 後にアメリカ大統領になります。 |
ビル・アケムの戦いがエジプトのイギリス軍に大きな貢献したと、チャーチルは自由フランス軍の功績を称えます。それ以前は、寄せ集めの軍人ばかりだと評価が少なかったのですが、この戦いで一挙に名声を博したのでした。
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