ラ・モット-ピケ=グルネル(6、8、10号線)
有能な海軍総督ピケ・ド・ラ・モットと、かつてあったグルネル平原の二つの名にちなむ駅。
18世紀に大活躍した 海軍の有能な軍人、ラ・モット-ピケ。 |
ルイ15世の時代に、継承問題をめぐってプロセイン王国とオーストリアの間で「七年戦争」が起きます。
フランスはオーストリア側につき、その際に、強力なイギリス海軍相手に戦闘を繰り広げたのがラ・モット-ピケでした。
対イギリス戦で ラ・モット-ピケが使用した帆走軽巡洋艦。 |
フランス最大の軍港ブレストに停泊してるル・ロビュストを、マリー・アントワネットの兄ヨーゼフ2世が出航前に訪れ、アメリカが独立した際に、ヨーゼフ2世はラ・モット-ピケにお祝いの手紙を送っています。
アメリカ独立戦争で活躍した戦艦ラ・ロビュスト。 |
52年にこの平原でローマ人とフランス人の先祖ゴール人の間で激戦があり、勝利を得たローマ人が「シャン・ド・マルス」と名をつけ、それが現在も残っています。
6世紀、国王クロヴィスがサント・ジュヌヴィエーヴ修道院を建造させ、それ以降グルネル平原のほとんどがこの修道院所属になります。けれどもその後パリ市改造に伴い領地は徐々に少なくなります。
オランダとの戦いに出る前に グルネル平原にアンヴァリッド建築を命じるルイ14世。 |
長年に渡ってトレヴィル伯爵が別荘として使用していましたが、ルイ15世の時世に陸軍士官学校が建築されるとグルネル城はその研究機関となり、革命の際には火薬製造所にされます。
当初は貴族の別荘だったグルネル城。 |
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