フェリックス・フォール(8号線)
フランス大統領を務めた政治家の名です。
フェリックス・フォール(1841-1899) |
フォ―ルの政治家としてのキャリアは、港町ル・ア―ヴルの町議会議員で始まります。
1870年、ナポレオン3世の第二帝政が崩壊し、第三共和制が生まれると、フォ―ルは熱烈に新体制を支援します。
熱意が認められ、矢継ぎ早に重要な職につくようになり、海軍大臣に就任した後、1895年、フランス大統領に選出されます。フォ―ルは54歳でした。
フォ―ルが大統領だった時代のもっとも大きな出来事は、ドレフュス事件です。陸軍参謀部につとめるユダヤ人のドレフュスが、スパイ容疑で逮捕され、国は有罪、無罪で二分されます。
ドレフュスの軍法会議。 |
軍法会議で有罪判決が下り、一貫して無罪を主張していたドレフュスは流刑。
その間に真犯人が判明しますが、事実はうやむやにされ、南米近くのデビルズ島で生涯を過ごすドレフュスの運命は変わりませんでした。
怒りに燃えた作家エミール・ゾラは、フォ―ルに宛てた非難の文を新聞に投稿。ゾラは名誉棄損で逮捕され、後にイギリスに亡命します。
フランス領ギアナのデビルズ島でのドレフュス。 |
この事件の真っただ中で、フォ―ルは大統領官邸のエリゼ宮殿で、突然、世を去ったのでした。1899年のことで、それからわずか4カ月後、ドレフュスは特赦を受け釈放され、1906年、無罪判決を勝ち取ります。
エリゼ宮殿で倒れ、息を引き取ったフォール大統領。 |
エリゼ宮殿でのフォ―ルの死はドラマティックだったようです。
1899年2月16日、フォ―ルは愛人マルグリットに電話をかけ、夕方5時ころに会いに来るよう伝えます。
ドレフュス事件に関して、パリ枢機卿とモナコ君主との話し合いがそのころ終わるとみていたのです。
マルグリットが到着し、しばらく個室で語り合っていたとき、突然、マルグリットの悲鳴が聞こえました。その声に数人が急いで部屋に入ると、大統領が長いすに横たわっているのが見えました。
フォ―ルはチョッキのみの姿で、マルグリットは乱れた服を直しているところでした。
この状態を知った新聞は、フォ―ル大統領はエリゼ宮殿で愛人の腕の中で息絶えたと書き立て、大スキャンダルになったのです。
正式の発表によると、フォ―ルの死因は心臓発作。
ドレフュス事件が彼の寿命を縮めた、とも言われています。
いずれにしても、エリゼ宮殿で世を去った唯一の大統領と、いつまでも語られているのは気の毒です。
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