フェデルブ・シャリニー(8号線)
軍人で政治家だったルイ・フェデルブと、鋳物師シャリニ―家を駅名に残しています。
軍人で政治家だったルイ・フェデルブと、鋳物師シャリニ―家を駅名に残しています。
トリコット製造販売を営むごく普通の家に生まれたルイ・フェデルブは、数学に目立った成績を発揮し、フランスで最も優秀なエリート校、ポリテクニックに入学。その後カリブ海のフランス領グアダループに駐屯し、北アフリカのフランス植民地アルジェリア駐在大佐、セネガル総督などを務め、それぞれの国の発展に従事します。
ルイ・フェデルブ(1818-1889) |
プロシアとの戦い、普仏戦争で指揮をとるフェデルブ。 |
1870年の対プロシア戦でも活躍。けれどもフランスは敗戦。時の皇帝ナポレオン3世はロンドンに亡命し、第二帝政に終始部が打たれ第三共和制になります。フェデルブは議員に選出され、政治家としてそれまでと全く異なる活躍を始めたのでした。
一方、シャリニ―家はロレーヌ地方の鋳物師の仕事を代々続けていました。そのファミリーの中で特に有名なのはジャン・シャリニ―で、ルイ14世の時代に7メートルの長砲を手がけています。残念なことにそれは革命で失われました。
シャリニ―兄弟作、ロレーヌ公騎馬像の模型。 |
その際に造った模型のブロンズ像が、現在ナンシー博物館に展示されています。60cmの小さな像ですがブロンズの騎馬像の傑作とされています。
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