ルイイ=ディドロ(1,8号線)
パリの東郊外にあったルイイ村と、18世紀の作家で哲学者のディドロを称える駅名。
ルイイ村には7世紀のダゴベルト1世国王の時世にシャトーがありました。彼はメロヴィング朝の4代目の王で、後年フランス王家の墓となるサン・ドニ大聖堂の元となるサン・ドニ修道院を建築させた国王です。ダゴベルト1世もサン・ドニ大聖堂に葬られています。
メロヴィング朝はフランク王国最初の王朝で、481年から751年まで14代も続きました。
ダゴベルト1世国王(602-638) メロヴィング朝4代目の国王。 |
サン・ドニ大聖堂内のダゴベルド1世のお墓。 |
ルイイのシャトーにはその後も代々国王が暮らしましたが、年月が経つに連れて放置され、廃墟と化し、今は何も残っていません。数世紀後にパリからその村へ向かう道路にルイイの名がつけられ、その後メトロ名にもなったのです。
一方ディドロは「百科全書」の編集と刊行を手がけた人物で、「百科全書」は18世紀のもっとも偉大な業績と評価されています。ディドロはヴォルテ―ル、ルソーと並ぶ王政時代の啓蒙思想家で、彼による「百科全書」は近代知識の集大成とみなされています。
ドゥニ・ディドロ(1713-1784) |
ディドロが手掛けた18世紀最大の大作「百科全書」 |
リシュリュー通りにあったディドロの自宅で、 議論し合う知識人たち。 |
リシュリュー通り39番地のディドロの自宅。 ここで1784年7月31日に世を去ります。 |
約20年かかったこの大作を手がけている間に資金的な困難におちいり、ロシアのエカテリーナ二世の援助を受けて続行。
「百科全書」の重要性を知っていたエカテリーナ二世は、 資金援助を大々的に行いました。 |
エカテリーナ二世はフランスの啓蒙思想に傾倒していた女帝で、ディドロだけでなくヴォルテールとも親交がありました。資金難におちいっているディドロに女帝は、「百科全書」を自分が買い上げるが、その管理はディドロが手元に置いて行っていいという寛大な提案をしました。
当初は懐疑的だったディドロでしたが、「百科全書」刊行後の1773年にロシアに行き、恩あるエカテリーナ二世に会見します。
後のフランス革命に影響を与えたのは「百科全書」でした。ここに書かれた思想が精神的に革命へと導いていったのです。
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