イエナ(9号線)
ナポレオンのイエナの戦いに由来する駅名。
イエナの戦いのナポレオン皇帝。 |
ドイツのイエナでフランス軍とプロセイン軍の間で交わされた戦闘は、1806年10月14日、フランス軍の大勝利に終わり、皇帝ナポレオンの名声をさらに高めました。
当初、プロセイン王ヴィルヘルム3世は、自国の兵力がフランス軍よりはるかに劣ると判断し、戦闘を避けようとしていました。
プロセイン国王ヴィルヘルム3世。 |
プロセイン国王妃ルイーゼ。 |
ところが王妃ルイーゼは、ヨーロッパの支配者のようにふるまう成り上がり者ナポレオンを毛嫌いしていて、これ以上好きかってにさせておくわけにはいかないと、国王にけしかけます。
軍事経験が乏しいプロセイン王ヴィルヘルム3世が指揮をとる軍は、統制がとれずバラバラに行動。その戦いの最中に国民が大きな期待を寄せていた軍人のプリンス、ルイ・フェエルディナントが、33歳の若さで戦死、プロセイン軍は戦闘力を一気に失います。快勝したナポレオン軍団はプロセイン王国の首府ベルリンに、10月25日に意気揚々と入城。
プロセインの首都ベルリンに勝利者として入城する ナポレオン皇帝。 |
プロセインの運命が決定される際、何とかナポレオンの気持ちを和らげて講和の条件を寛大にしてもらおうと、ヴィルヘルム3世は妃ルイーゼを送ります。けれどもナポレオンにはまったく効果がなかったようで、プロセインはフランスの支配下に置かれたのです。
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