ツイッターで世界中に無事が伝えられた風見鶏。 これは奇跡だとフランスでは大騒ぎ。 ジャック・シャニュー氏が発表したこの写真は、 世界中をかけめぐりました。 |
ところが火災翌日の16日、ノートル・ダム内の瓦礫の中にいるのが見つかったのです。それをフランス建設業協会会長ジャック・シャニュー氏がツイッターで写真を発表すると、これはまさに奇跡と大変な喜びが沸き上がりました。
風見鶏は衝撃で形が崩れたとはいえ、原形をとどめています。雄鶏はフランスのシンボルのような存在。昔フランスがゴールだった時代に、そこに暮らしていた人々はゴール人と呼ばれていました。ゴール人はラテン語で雄鶏という意味もあり、フランス人と雄鶏は切っても切れない関係になったのです。
19世紀に修復が行われ、尖塔と風見鶏が設置されました。 これが今回の火災で崩れたのです。 |
第二次世界大戦直後のノートル・ダム。 尖塔も無事に戦いを生き抜きました。 |
ノートル・ダムの修復が行われた19世紀に今回崩れた尖塔が建てられ、その先にブロンズの風見鶏が君臨していたのですが、それは単なる風見鶏ではなく、3つの聖遺物がおさめられていたのです。キリストが処刑された時に被っていた茨の冠のトゲが一本(冠自体は前のブログに書いたようにノートル・ダムの宝物庫で保管)、聖人サン・ドニと聖女サント・ジュヌヴィエーヴの聖遺物。このようにフランスにとって最も重要な3つの聖遺物なのです。
イエス・キリストの聖遺物を受け取る聖ルイ王。 |
茨の冠は信仰心が格別にあついルイ9世が1239年、コンスタンチノープル皇帝ボードゥアンから大金と引き換えに譲ってもらい、引き続き入手した十字架の破片、釘と共に聖遺物としてサント・シャペルに保管していました。サント・シャペルをその目的で建築させましたが、革命後聖遺物はノートル・ダムに移されます。後世にルイ9世はカトリック教会から列聖され、聖ルイ王(フランス語でサン・ルイ)と呼ばれるようになりました。。
切られた自分の頭を持つサン・ドニ。 |
聖人サン・ドニはキリスト教が禁止されていた3世紀に、モンマルトルの丘で斬首され、自分の頭を手で抱えながらパリの北に向かって歩き、6キロほど行ったときに息絶えたとされている守護聖人です。サン・ドニが息絶えたのが現在その名を持つ街で、歴代のフランス王家の人々のお墓となっているサン・ドニ大聖堂があります。
羊飼いの少女だった サント・ジュヌヴィエーヴ。 |
パリの守護聖女とされている聖女サント・ジュヌヴィエーヴは、パリ近郊のナンテールに生まれた羊飼いの少女でした。両親を失った後パリに行き信仰を深めます。451年にフン族の王アッティラが大軍を引き連れてゴールに攻め入ったとき、断食をしながら祈り続け、パリ市民たちを励ましアッティラを退却させ、恐ろしい襲撃から救いました。ジュヌヴィエーヴは28歳でした。
こうした聖遺物が無事かどうかは、発見された風見鶏を開けて中を確認しないと分かりません。その結果を早く知りたいと興奮に包まれているパリです。
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