2019年6月4日

メトロの駅名は語る 126

Vaneau
ヴァノー(10号線)

「7月革命」で若い命を失ったルイ・ヴァノーに捧げる駅名。

ルイ・ヴァノー(1811-1830)の最期。

エリート校ポリテクニックの学生だったルイ・ヴァノーが、19歳の若すぎる命を終えたのは1830年7月29日でした。

その年の7月27日から29日までの3日間、シャルル10世の絶対王政に断固として反対するパリ市民たちが結束し暴動を起こします。労働者や学生が団結し道路という道路にバリケードを築き、パリ市長舎やルーヴル美術館、チュイルリー宮殿などを占拠し国王を脅かします。

シャルル10世。
革命で処刑されたルイ16世の末弟。
彼のすぐ上の兄プロヴァンス伯とともに亡命し
運良く生き延びます。

ナポレオン失脚後の王政復古で
プロヴァンス伯がルイ18世となり、
国王亡き後シャルル10世として即位。

ルイ・フィリップ。
ルイ14世の弟オルレアン公の子孫。
自由主義者で「国の王」ではなく、
「国民の王」になると宣言し期待を抱かせます。

産業が発達したのはこの国王の時代です。

「栄光の3日間」と呼ばれるこの革命で、国王シャルル10世は家族と共にロンドンに亡命し、革命後の王政復古で王座を取り戻したブルボン朝が終りを告げます。その後選ばれたのはオルレアン家のルイ・フィリップ。自由主義者の彼は立憲君主制を実施し、18年間国を治めます。

1830年の7月革命はヨーロッパの多くの国に影響を与え、オランダの支配下にあったベルギーが独立し王国を設立。ロシア帝国の干渉に不満を抱いていたポーランド王国でも反乱が置き、国際秩序のウィーン体制さえも揺れ動いたほどでした。

制服姿で労働者とバリケードを設置する
ポリテクニックの学生たち。
ドラクロワによる「民衆を導く自由の女神」は、
1830年の7月革命を描いています。

これほど重要な成果をあげた7月革命に、将来を有望視されていたポリテクニックの学生が結束して制服姿で加わったのです。その一人がルイ・ヴァノーでした。若き英雄ヴァノーの名は母校の中庭に付けられただけでなく、メトロの駅名、ロダン美術館近くの道路名にもなっています。

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