アベス(12号線)
アベスは女子大修道院長という意味で、モンマルトルの丘にあったベネディクト派の女子大修道院に由来します。
ルイ6世(1081-1137) |
アデライード・ド・サヴォワ(1100-1154) |
モンマルトルに女子大修道院が建築されたのは12世紀の国王ルイ6世の時代で、王妃アデライード・ド・サヴォワの強い希望でした。この地には聖人サン・ドニに捧げる教会があり、1133年にルイ6世が周辺の土地を含めてそれを購入し、1147年、老朽化した教会を取り壊し、ロマネスク様式の新しいサン・ピエール教会を建築させます。
後妻として迎えられたアデライード・ド・サヴォワは、容姿には恵まれなかったのですが、まじめで信仰深い女性でした。夫が建築させたサン・ピエール教会の南に女子大修道院建築を希望し、それが許されると王妃は全身全霊をあげてその維持にあたります。修道院の敷地は13ヘクタールあり、周りには畑が広がり約50人の修道女が野菜やブドウの栽培を行っていました。現在モンマルトルにあるブドウ畑はその名残とされています。
現在もブドウの栽培がおこなわれている モンマルトルのブドウ畑。 |
国王夫妻の間に王子7人、王女2人が生まれましたが、遠征で負傷したルイ6世(肥満王)はそれがもとで逝去し、王家の墓サン・ドニ大聖堂に葬られます。
37歳で未亡人になったアデライードは大貴族モンモランシーと再婚し娘を生みます。けれども53 歳になったときに夫の許可を得て、自分が設立させたモンマルトルの女子大修道院に入り、そこで翌年に生涯を閉じます。アデライード・ド・サヴォワはこの女子大修道院の最初の修道長として名を残します。
モンマルトルの女子修道院。 |
信仰心が深いアデライード・ド・サヴォワが亡くなると、女子大修道院付属礼拝堂であり、同時に教区の教会でもあったサン・ピエール教会に葬られます。現在も健在のその教会は、左岸のサン・ジェルマン・デ・プレ教会についで古い貴重な建物です。革命でアデライード・ド・サヴォワの遺骸は掘り出され不明になってしまいましたが、墓石は今でも残っています。
18席末のサン・ピエール教会。 屋根にテレグラフが付けられましたが、 周囲の牧歌的情緒は失われませんでした。 |
アデライード・ド・サヴォワの墓石。 |
女子大修道院は革命最中の1790年に閉じられ姿を消し、最後の女子大修道院長マリー・ルイーズ・ド・モンモランシ―=ラヴァルは捕らえら処刑されました。が、幸いなことにサン・ピエール教会は革命家による破壊からある程度逃れ、その後再建されたとはいえ、建築当時のロマネスク様式の一部は残っています。モンマルトルに暮らしていた画家ユトリロは、素朴で小さいサン・ピエール教会を何回か描いています。華やかさがあるサクレクール寺院の陰に隠れるようにたっているサン・ピエール教会には、このように多くの歴史が刻まれているのです。
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