2020年8月11日

メトロの駅名は語る 155

Corentin Celton
コランタン・セルトン(12号線)

第二次世界大戦でレジスタンス運動に参加し、ナチス・ドイツに捕まり処刑されたコランタン・セルトン(1901-1943)の名を伝える駅名。

ブルターニュ地方の小さな村プロアレに生まれたセルトンは、その地でしばらく漁師をした後、パリ12区のサント・アントワーヌ病院で病室の仕事につきます。24歳の時にフランス共産党に入り、ソ連国際赤色救援会で積極的に活動。その後パリ南近郊のホスピス、プティ・メナージュで恵まれない老人たちの相談係りになります。

セルトンが最初に働いた
18世紀に建築された
パリ12区のサント・アントワーヌ病院。


セルトンが働いていた老人たちのホスピス。
左のチャペルは姿を消しましたが、アーチが連なる回廊は残っています。

第二次世界大戦がはじまった1939年に看護士として動員され、1940年5月に始まった対ドイツ戦での勇敢な行為が評価され、名誉ある勲章を授け取ります。その後レジスタン運動に加わりますが、1942年春逮捕され、監獄に入れられ1943年、裁判で死刑判決を受け、要塞があったパリ近郊のモン・ヴァレリアンで、多くの同士たちと同じように処刑されます。後年、レジスタンスを呼び掛けたド・ゴール将軍が大統領に就任した際に、小高いモン・ヴァレリアンの丘の上にフランス戦士に捧げる記念碑を建築させ、毎年戦争記念日には盛大なセレモニーが行われます。

ミリタリ―・クロス勲章。
第二次世界大戦で功績があった人々に授与した勲章で
セルトンもその名誉に授かりました。

1945年2月9日にセルトンが働いていたホスピスに彼の名が付けられ、2004年、ホスピスは再建され、現在コランタン・セルトン病院となっています。その病院の庭と、セルトンが最初に働いていたサント・アントワーヌ病院内に、彼の名が刻まれ記念碑があります。

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