ギィ・モケ(13号線)
第二次世界大戦でナチス・ドイツの犠牲になった最年少ギィ・モケの名が駅名になっています。
ギィ・モケ(1924-1941) |
共産党員を両親としてパリで生まれたギィは早くから感化を受け、中学生ですでに若者の共産主義運動に加わります。第二次世界大戦初期にフランスはドイツに降伏し、1940年6月22日独仏休戦協定が結ばれ、北フランスはドイツ支配に置かれ、南は自由フランスとなります。
16歳のギィは共産主義のビラなどを配っていましたが、1940年10月に警察に捕まり、数カ所の刑務所を転々とし、フランス東北のクレルヴォ―刑務所にいる間に17歳の誕生日を迎えます。そこには青年共産党員も数人いて、後年にギィと同じ運命を辿ります。
1941年10月20日、ブルターニュ地方のナントに駐屯していたドイツ司令官、カール・ホッツが青年共産党員によって暗殺され、その報復として刑務所に捕らえられていた数10人が処刑される運命に陥ったのです。その中にギィ・モケもいました。彼は17歳で最年少でした。10月22日、仲間たちとフランス国家を歌いながら処刑場に向かい銃殺されたギィは、その前に両親に宛てて最後の手紙を書き、そこに綴られた感動的な言葉が今でも語られています。
僕の愛する小さなママン、大好きな弟、愛するパパ・・・
僕は死ぬのです!
僕が望むのは、特に愛するママン、勇気を持っていてほしいことです。
僕だって生きたかった。
でも、心から願うのは、僕の死が何かに役立つこと。
パパ、あなたが僕に示した道を歩むために、 最善をつくしたことを知ってください。
17 歳半、僕の人生は短かかった。
でも後悔はしない、あなたたちと別れるのでなければ。
ママン、約束してほしい、勇気を持って苦しみを乗り越えることを。
後年、名誉あるクロワ・ド・ゲール、レジスタンス勲章、レジョン・ドヌール勲章シュヴァリエを授与された他、彼の名を冠した道路や学校が生まれ、そしてメトロの駅にも名が残されたのです。
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