ロマノフ家の結婚式は、ロシア最後の皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ妃の挙式以来で、何と127年ぶり。ロシア宮廷人はフランスに傾倒し、フランス語を流暢に話し、文化や歴史にも精通し、1917年にロシア革命が起きると多くの人がフランスを亡命先に選びました。このようにロシアとフランスの絆は強いので、今回の結婚式も特別関心があるようです。
皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ妃の結婚式。 |
ゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフ大公は亡命先のマドリードで生まれ、子供時代から長年の間フランスで過ごし、イギリスのオクスフォードで法律を学んだ博学な人。大公は皇帝ニコライ2世の従兄、キリル・ウラジ―ミロヴィチ大公のひ孫にあたります。曾祖父キリル・ウラジ―ミロヴィッチ大公は、ニコライ2世とその弟ミハイル大公が革命で処刑されると、ロシア帝室家長、あるいはロシア帝位請求者となり、その地位がひ孫まで引き継がれています。母マリア大公女がプロセイン王子フランツ・ヴィルヘルムと結婚し、二人の間に一人息子として生まれたゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフ大公は、ロシア帝室家長だけでなく、プロセイン王子の称号も持ち、ヨーロッパの宮廷から重視されていて、結婚式にはスペイン王太后、元ブルガリア国王など多くの王族が出席。
曾祖父キリル・ウラジーミロビッチ大公(1876-1938) |
ゲオルギー・ミハイロビッチ・ロマノフ大公(1981年生まれ) |
結婚式が行われた壮麗な聖イサアク大聖堂。 |
お二人の出会いはブリュッセルで、ヨーロッパ機関で働いていたとき。大公は3年ほど前からモスクワのクレムリン近くに住み、今後は慈善事業に力を入れていくそう。テレビで結婚式の映像を見ていると、お二人の頭上に王冠が捧げられ、その姿は皇帝夫妻そのもの。ロマノフ家の歴史を語る街であるから、サンクトペテルブルクで結婚したかったようです。
革命で王室がなくなったフランスでは、王家の人々への関心がとても高い。ブルボン朝の子孫が健在しているけれど、王政復古があるとは誰も思っていないのが事実。
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