11月11日は、第一次世界大戦におけるドイツと連合国の休戦協定が締結された日で、フランスでは重要な祝日。例年、シャンゼリゼ大通りと無名戦士の墓の凱旋門でセレモニーが行われますが、今年は特別な式典が繰り広げられました。101歳で世を去った第二次世界大戦の英雄、ユベール・ジェルマンの追悼式典だったのです。
ユベール・ジェルマン(1920-2021) |
ユベール・ジェルマンは当時の将軍、シャルル・ド・ゴールの呼びかけに応じ、レジスタンス運動に加わり、勇敢な目覚ましい活躍をし、戦後フランス大統領になったド・ゴールから、リベラシオン勲章を受けたレジスタンス英雄の最後の生存者。
10月12日にユベール・ジェルマンが101歳の生涯を閉じた時、マクロン大統領は「自由フランスの英雄」とたたえ、アンヴァリッドで感動的なオマージュを捧げ、その時点ですでに休戦記念日に特別なセレモニーを捧げると語っていました。
11月11日、フランスの三色旗に包まれたユベール・ジェルマンの棺は、彼が活躍した地のひとつ、リビアの「ビルアケム」と書かれた装甲車に乗り、シャンゼリゼ大通りをゆっくり進み、凱旋門の下に安置され、厳粛な式典が繰り広げられました。
その後、棺はパリ西郊外の小高い場所にあるモン・ヴァレリアンに向かいます。そこで多くのレジスタンスの人々がナチス・ドイツによって処刑され、後年、ド・ゴールがフランスの英雄たちに捧げる記念碑と墓を建築させ、ユベール・ジェルマンもそこに葬られるのです。
モン・ヴェレリアンで三色旗に包まれたユベール・ジェルマンを迎える 若き大統領エマニュエル・マクロン。Le Huffpost |
感動で涙を流すマクロン大統領。Le Huffpost |
記念碑に向かう彼の棺が進むにつれ、それを迎えるマクロン大統領の顔が固まったようになりました。微動もしない大統領の口元がみるみるうちに歪み、ブルーの瞳に涙が浮かび、あふれて頬を伝わっていました。感極まった若きマクロン大統領は、涙が流れるままにした数分後、涙を拭き取り、しっかりと姿勢を正し、記念碑内のクリプトに向かう英雄につづいて行きました。
戦勝国フランスでは戦争記念日にセレモニーがあり、その度にテレビの実況中継をみていますが、今回ほど心を動かされたことはない。43歳の若き大統領の涙が、いまでも忘れられない。
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