9月8日の、エリザベス女王の健康状態が悪化した報道に、あの女王だったら、きっと数日静養したら、再びチャーミングな微笑みを受けべながら、姿を見せてくれると信じてた人も多いと思う。ところが、女王は、さっと地上から去ってしまった。
亡くなった翌日、9日の「ル・フィガロ」誌は、 エリザベス女王一色。 表紙で「アデュー」と女王に永遠の別れを告げ、 中は多くの写真入りで8ページの特集。 |
その発表があった数分後、テレビをつけると、すでに特別番組を放映していて、とても驚いた。司会の女性ジャーナリストもゲストも、みな、黒服。元ロンドン駐在の特派員、王室評論家、政治解説者、世界の王家専門雑誌編集長などが語る逸話は、どれも興味深く、知られざる話題に引きこまれて、約2時間テレビの前から動けなかった。でも、さすが疲れて消したけれど、あの後も続いていたかと思うと、フランス人のイギリス王家への関心が、並々ならないものであると再認識。
半旗を掲げるサントノレ通りのイギリス大使館。 エリザベス女王の大きな写真が入り口に飾られています。 |
朝早くから報道人が集まり、 今日の動きを見逃さないように準備。 |
エリザベス女王はフランスに特別の愛着を抱いていて、公式訪問は4回。フランスの歴史や文化に造詣が深いだけでなく、フランス語も流暢。女王にならなかったら、女優になりたかった、とか、明るい服を着るのは、見られる立場にあるから、目立つ色がいいと思うから、などと、フランス滞在中に親しいフランス人にユーモアある発言をしたこともあるそう。
エッフェル塔は哀悼の意を表し照明を消したし、パリのイギリス大使館前には、在仏イギリス人やフランス人が集まり、悲し気な半旗を静かに見つめていました。エリザベス女王はフランスにとって、格別な女王だったのです。
フランス大統領官邸も、半旗で哀悼の意を示しています。 |
「女王は私の生涯の仕事」と常に語ってたように、女性の新首相を任命した二日後に、その職務から解放され、13歳の時から愛を捧げていた亡き夫、フィリップ殿下が待つ国へと旅立ったエリザベス女王。全世界から敬愛されていた稀な人でした。あの、温かみがある微笑みを再び見れないのは、とても寂しい。
1953年6月2日、戴冠式の日のエリザベス2世とフィリップ殿下。 |
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