2024年5月11日

マリー・アントワネット自叙伝 28

 お母さまがお亡くなりになりました

 お兄さまと共同で国の統治にたずさわっていたお母さまは、すでに64歳になっていました。カール6世の長女として生まれたお母さまには兄君レオポルトさまがいて、本来ならばその方が皇帝を継承することになっていたのです。ところがレオポルト皇太子さまは、1歳になる前に世を去ってしまったのです。その後生まれたのは王女2人。王子に恵まれないので、長女のお母さまが後継者になったのです。


1740年10月20日にハプルブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世が逝去し、お母さまがその後継者として即位しようとすると、ハプスブルク帝国に所属する諸国が、女性の統治など認めないと、激しい反対があがりました。23歳の若い年齢だったのに、お母さまは驚くほどの才知と勇気でそれに対処したのでした。しかも、そのとき4番目の子供を身ごもっていたのですから、賞賛するほかありません。私にはとても真似できない事です。執務に明け暮れしながらも、子供たちに愛情を注ぎ、家族生活を大切にしていた偉大なお母さま。

お母さまのハンガリー女王戴冠式。1741年6月24日。
ハンガリーはハプスブルク家の支配下にありました。

1750年、33歳の美しい盛りのお母さま。
お父さまが亡くなった1765年以後は、
黒い服しか着ませんでした。


その後も帝国維持、外交を見事に続け、しかも16人もの子供を産み、それぞれの結婚相手まで決めていたのですから、超人的な女帝だったのです。でも、年と共に気力も体力も衰え始めた1780年11月8日、狩りを見物している間に大雨にあい、急性肺炎にかかったのでした。必死の手当のかいもなく、29日夕刻、お母さまは家族に見守られて逝去なさいました。そのとき私はまだ王子に恵まれていなかったので、お母さまはきっと心配なさっていたことでしょう。それが大きな心残りでした。

お母さまの逝去を悲しむウィーン宮廷。

お母さまは歴代のハプスブルク家の墓所となっている、ウィーンのカプツィーナー教会地下にある納骨堂に葬られました。そこではお父さまが待っていました。強い愛で結ばれていたお父さまとお母さまに捧げるお墓には、見つめ合うおふたりの彫刻がほどこされ、訪れる人々に深い印象を与えているようです。フランスに嫁いだ私は一度もお墓参りができませんでした。


お母さまがお亡くなりになったことを知らせて下さったのは、ヴェルモン神父さまでした。この悲しくつらい知らせを最初に受けたのは夫だったのですが、気が弱い夫は私に伝える勇気がなく、ヴェルモン神父さまにお願いしたのです。亡くなられたときの様子も詳しくわかりました。最後の最後まで意識をしっかり持っていて、亡くなった11月29日に

「今日が私の最期の日です」

 とさえおっしゃたのです。

夜8時ころ、外の空気に触れたかったようで、お兄さまに支えられながら窓辺に行き、あまりにも息苦しそうなのでお兄さまが

「具合が悪いのですか」

 と問うと、

「死ぬ力はあります」

 と答えたそうです。

その後、主治医に向かって、死者のキャンドルを灯し私の目を閉じてくださいと命じ、お兄さまの腕の中で息絶えたのでした。


亡くなられる2日前には、外国に嫁いだ娘たちの名をひとりひとり呼び、祝福したそうです。私は末娘なので最後に呼ばれ「マリー・アントワネット、フランス王妃」とはっきりおっしゃったのだそうです。それを知ったとき涙を止めることができませんでした。私室に閉じこもって何時間も何時間も泣き続けていました。


帝国の統治者としても母親としても、この上ない立派な人でした。歴史にその名を残すに値する人でした。お母さまの希望通りの王妃でなかっただけに、後悔は大きかったのです。よき王妃になるように、激務の間をぬってこまめに手紙で指導して下さっていたのに、それに従わなかった自分を恥じました。親が子を思うほど子は親を思わないという言葉を、このときほど痛切に感じたことはありませんでした。


政治も子育ても立派にこなしていたお母さまは、芸術を愛する人で、特に音楽や絵画の知識は驚くほどでした。訪問したこともない東洋に発達していた漆にも大きな興味を持っていて、シェーンブルン宮殿に「漆の間」を造らせたほどでした。子供だった私はその良さがまったくわからなかったのですが、お母さまは「ジュエリーよりも漆の方が何倍も美しい」と言っていたことが思い出されます。日本や中国の漆器を多数コレクションしていて、その内の50点ほどの日本の漆器を形見として私に下さったのです。遺言書にそのように書いてあったので、お兄さまがそれを実行したのです。どこまでも子供思いのお母さまでした。


私が受け取ったのは18世紀の日本の漆器で、ほとんどが手の中に入る大きさ。鳥や花、人、風景が繊細に描かれ漆加工がなされているのですが、どれも気が遠くなるほど精巧。四角や扇型、動物の形の小箱もあれば、引き出しがついた小物入れ、すずり箱もありました。あまりにも素晴らしく、すっかり心を奪われた私は、業者を通して買い求め、お母さまからいただいたコレクションに加えて、それを私室に飾っていました。

18世紀の日本の漆器をお母さまから遺品としていただき、
すっかり魅了された私は、霧中になってコレクションを増やしました。


フランス革命のときに暴徒たちに略奪されたくないと思って、専門知識がある方に頼んで、この貴重な漆器コレクションを、ヴェルサイユ宮殿から秘かに安全な場所に移し、保管していただきました。そのために無傷で後世に残りました。

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