2024年6月7日

ノルマンディー上陸作戦80周年記念

 連合軍によるノルマンディー上陸作戦が行われて、今年は80周年記念の年。1944年6月6日、夜の落下傘部隊降下に始まったこの作戦は、大成功をおさめ、ナチスドイツに占用されていたノルマンディーが激戦の後解放され、その後、パリに向かいながら町や村が次々自由を取り戻し、パリが解放されシャンゼリゼで凱旋パレードが行われたのは8月26日。

1944年2月1日、ロンドンで行われた連合軍遠征軍最高司令部会議。
前列左から、テダー空軍司令官、連合軍最高司令官アイゼンハワー大将、
陸軍総司令官モンゴメリー大将。
後列左から、ブラッドリー中将、ラムゼー提督、マロリ―元帥、スミス中将。
1944年6月6日、ノルマンディーに向かう連合軍船団。

正式には「ネプチューン作戦」と呼ばれるノルマンディー上陸作戦は、前代未聞の史上最大の作戦で、今年80周年記念を迎えます。この重要な年にいくつもの式典が行われましたが、その最大のセレモニーは、激戦地ノルマンディーのオマハビーチで開催されました。イギリスからチャールズ3世国王、カミラ王妃、ウイリアム皇太子が、アメリカからはバイデン大統領とジル夫人、カナダはトルドー首相などが続々とノルマンディーに到着。招待されたのは25か国の元首。ウクライナ支援を世界に示すためにゼレンスキー大統領や、連合軍総司令官のアイゼンハワーの孫娘も特別招待。

これに先立ち5月30日には、オリンピック聖火がオマハビーチを通過。2016 年のリオのオリンピックで障害馬術で団体の金メダルを獲得した選手のひとりが、馬に乗り聖火を高々とかかげながら颯爽と通過。それを皮切りに、様々なイヴェントがあり、花火、浜辺での大規模なランチ、パラシュート降下の再現など連日記念行事。アメリカ、イギリス、カナダから作戦に参加した英雄たちもノルマンディーに到着。99歳、103歳などとかなり高齢で車いすの人が多かったことに、80年の長い歴史を感じます。深く印象に残ったのは、インタヴューにハキハキと答え、記憶が驚くほど明確だったこと。

「ネプチューン作戦」に参加した国はアメリカ、イギリス、カナダ、オランダ、デンマーク、ノルウェー、ポーランド、チェコスロバキア、オーストラリア、ニュージーランド、ギリシャ。国土の三分の一をナチスドイツに占領されていたフランスは、ロンドンに亡命したドゴール将軍が結成した臨時政府「自由フランス」の呼びかけに応じたわずか177人が参加。

もっともこの「自由フランス」をアメリカのルーズベルト大統領が信用しておらず、作戦会議にフランスは参加していなかった。イギリス首相チャーチルの説得によってギリギリになってが通告したために、出兵が少なかったとされています。

6月6日のセレモニーは午前中からアメリカ兵墓地、イギリス記念碑など数ヵ所で行われ、それぞれ国王、大統領、首相がこの作戦に貢献した勇気ある兵士たちの功績を讃え、献花やクラシックの演奏、哀愁をおびた歌、異国で散った兵士たちが残した最後の手紙の朗読などがあり、式典に出席した老いた英雄たちが何度も涙をぬぐっていて、心が打たれました。こうした全てを朝から夕刻までテレビで実況中継。あまりにも感動的で、私もテレビの前から動けませんでした。

イギリス記念碑でチャールズ3世国王は英語とフランス語で演説し、カミラ王妃共々涙を浮かべていたのが、深く印象に残りました。国王はガン治療中であるにもかかわらず、この式典に出席することを強く望んでいたそうです。その後イギリスに戻り午後のオマハビーチでのセレモニーにはウイリアム皇太子がイギリス代表として出席。

バイデン大統領、マクロン大統領に迎えられた
ウクライナのゼレンスキー大統領。Le Figaro

自由を獲得するために命をかけて戦い、故郷から遠く離れた地で短い生涯を閉じた兵士たち、そしてまた、100歳近くまで、あるいはそれ以上、歴史の証人として生きてきた退役軍人たちを称える盛大で爽やかで、美しいセレモニーでした。

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