ラトゥール=モブール(8号線)
フランス革命時代、ナポレオン時代、王政復古時代の長きにわたって活躍した、軍人であり政治家の貴族ラトゥール=モブールの名を冠しています。
ヴィクトール・ド・ラトゥール=モブール (1768-1850) |
1789年7月14日にバスティーユが襲撃され、10月6日、パリの女性たちを中心とした群衆がヴェルサイユ宮殿に押しかけたとき、王妃に付き添って国王の寝室に避難させたのはラトゥール=モブールでした。
1792年、革命が日に日に過激化し、ついに国王一家がタンプル塔に幽閉されると、ラトゥール=モブール家族はロンドンへの亡命の道を選びます。
やがてナポレオン・ボナパルトの時代を迎え、フランスに戻った彼は、ボナパルト将軍が試みたエジプト遠征でめざましい活躍をします。
皇帝になったナポレオンの大軍団に所属し、数々の輝かしい戦勝をフランスにもたらし、1814年、皇帝から伯爵の称号を得ます。
間もなくしてナポレオンが失脚し、処刑されたルイ16世の弟が王政復古でルイ18世の名で国王に即位。貴族出身のラトゥール=モブールは、新国王に忠誠を誓うようになり、信頼を獲得し、侯爵の地位を与えられます。
処刑されたルイ16世の末の弟が、 シャルル10世となり国を治めていました。 中央がシャルル10世国王。 革命前、マリー・アントワンットと親しかった義理の弟です。 |
ロンドン大使、戦争大臣、国務大臣など次々に要職に就き、ルイ18世亡き後を継いだその弟シャルル10世にも忠実でした。
ところが1830年にクーデターが起き、ルイ・フィリップ国王の時代に入り、シャルル10世はスコットランドに亡命。その後オーストリアへと移住。ラトゥール=モブールは常にシャルル10世に同行していました。
晩年のラトゥ―ル=モブール。 誇り高い貴族でした。 |
ラトゥ―ル=モブールが生涯を閉じたパリ近郊のシャトー。 今は存在していません。 |
時が経ち、クーデターを起こして王座に就いたルイ・フィリップが1848年に失脚したことを知ったラトゥール=モブールは、フランスに戻りパリ近郊のシャトーで余生を過ごし、その館で波乱に富んだ生涯を終えました。
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