マドレーヌ(8、12、14号線)
マドレーヌ教会が駅近くにあり、コンサートや時には著名人の葬儀も行われます。国民的ロック歌手ジョニー・アリディが亡くなったとき、大イヴェントともいえるミサが行われたのはつい最近でした。
マドレーヌ教会はマグダラのマリアに捧げられている教会です。
マグダラのマリアはフランス語でマリー・マドレーヌとなります。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名作 「聖なる炎の前のマグダラのマリア」 |
マリアが生まれたマグダラ。 |
パオロ・ヴェロネーゼ作「マグダラのアリアの改宗」 |
イスラエルのマグダラで生まれたマリアは、イエス・キリストに出会い7つの悪霊を追い払ってもらい、それ以後ずっとイエスに伴っていたとされています。
一説では彼女は罪深い娼婦だったとも言われていますが、聖書にはその記述はありません。
マグダラのマリアはイエスのゴルゴダの丘での処刑と、その後の埋葬を見守り、イエスが復活した姿を最初に見ています。
主を失い意気消沈している弟子たちに、イエス復活を伝えたのもマグダラのマリアでした。それにより弟子たちは勇気を持ち、布教に情熱を注ぐようになったのです。
イエス処刑後、マグダラのマリアはラザロやマルタ、マリア・サロメたちと小舟に乗り、フランスのマルセイユ近くのサント・マリー・ド・ラ・メールに流れ着きます。
ジオットが描いたマグダラのマリアたちが 小舟でマルセイユに向かう姿。 |
上陸後、弟子たちはその界隈でキリスト教布教を熱心に行い、マグダラのマリアはサント・ボームの洞窟の中で祈り続けます。その地で世を去った彼女は、そこから遠くないサン・マキシマン・ラ・サント・ボームに葬られたとされています。
このように、マグダラのマリアがフランスに逃れてきたことから、フランス各地に彼女に捧げる教会が多数あります。
そのひとつがパリのマドレーヌ教会で、ルイ15世の時世の18世紀に建築開始。
ところがフランス革命で工事が中断され、ナポレオン時代に当初の目的とまったく異なる軍団を称える殿堂になります。
ナポレオンが失脚し王政復古で王朝時代が始まると、ルイ15世の意思を尊重し、再びマグダラのマリアに捧げる教会になります。
ナポレオン時代に古代ギリシャ・ローマの神殿のように建築されたために、建物の周囲をコリントの列柱が囲み、通常の教会とかなり異なる建築様式です。
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