イギリスの元交皇太子妃ダイアナが、パリで劇的な生涯を閉じて早くも25年。8月31日の命日を目前にして、フランスではテレビや雑誌が特集を組み、美しい盛りに去って行ったダイアナ妃に、再び想いを寄せています。
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仲睦まじい時代もあったのに・・・1985年 |
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寂しげな表情のダイアナ妃。1995年。 |
運命の事故が起きたトンネルの上の、アルマ広場の「自由の炎」は、いつの日からかダイアナ妃の慰霊碑のようになり、一年中、訪れる人が絶えない。「自由の炎」はニューヨークの「自由の女神像」が手にしている炎のレプリカで、ダイアナ妃と何の関係もないけれど、彼女を慕う人々の心のよりどころになっていて、何かしないではいられないのでしょう。
アメリカ独立100年記念の1886年に、独立を支援したフランスからアメリカに寄贈した「自由の女神像」は、自由のシンボル。それから100年たち、老朽化した女神像の修復をフランスが担当。そのお礼に、アメリカがフランスに贈ったのが、アルマ広場の3, 5メートルの高さの銅に金を施した「自由の炎」。
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悲劇的最期を閉じたダイアナ妃を慕い、「自由の炎」を訪れる人は後を絶たない。 |
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早くも25年経ち、 それを記念してハートに囲まれた25の数字が加えられました。 |
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彼女が望んでいたように、 ダイアナ妃は人々の心の中の生き続けている「民衆のプリンセス」なのです。 |
この「自由の炎」が、いつの間にかダイアナ妃を偲ぶ記念碑になったばかりでなく、アルマ広場は2019年に「ダイアナ広場」になったのです。実は、ダイアナ妃が亡くなってすぐに、パリ市はアルマ広場を「ダイアナ広場」にしたいとイギリスに願い出たのが、あっけなく断られ、その後も交渉を続け、実現したのは2019年。
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かつてのアルマ広場は「ダイアナ広場」となり、 パリの空の下で「自由の炎」を訪れる人々を見守っているようです。 |
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「ダイアナ広場」 1961-1997 プリンセス・オブ・ウェールズ と書かれています。
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王家がないフランスは、世界のロイヤルファミリーに大きな関心があるのです。日本の皇室の様々な行事も、その都度報道されます。
世界に先駆けて革命を起こしたフランス。でも、いつまで経っても、かつての王朝時代の栄華が忘れられないフランス国民。「もしも、フランスで王政復古が起きたら、誰が王座に就くのか」などと,ありえないことが雑誌で特集されることもあるのです。