2018年9月29日

イヴ・サンローラン美術館 アジア展

異国へ大きな興味を抱いていたイヴ・サンローランはアジアも訪問し、それぞれの国の文化、伝統、歴史、習慣を鋭敏にとらえ、クリエーションにいかしていました。

その中の日本、中国、インドをテーマとした作品の展覧会を、イヴ・サンローラン美術館で開催中。服だけでなく、貴重な直筆のデッサンも多数あるし、ビジュ―も豊富。

私が一番感動したのは、サンローランが日本を訪問したときの若い姿をうつした数枚の写真。サンローランにインタヴューをした際に、彼がいかに日本人の繊細な感性に感動したか語ってくださったことが、まるで昨日のことのように思い出されました。京都にはぜひもう一度行きたいと、やさしい声で語った記憶もよみがえりました。

日本の着物からインスピレーションを得たコレクション。

1963年、日本をはじめて訪れた若きイヴ・サンローラン。
この時の写真が数枚展示されています。
中国にも大きな興味を持っていたサンローランのコレクション。
着やすいデザインで女性の体に自由を与えています。
サンローラン特有の鮮やかな色使いの中国テーマの作品。
インドをテーマと下華麗なコレクション。
愛らしい子供服もあるインド・コレクション。
貴石の宝庫のインドならではの、ゴージャスな装飾。
ヴェルニサージュで久々に会った人々の間で、
会話がつきません。いつもエレガントな雰囲気です。
2019年1月27日まで

2018年9月28日

おすすめレストラン  ルドワイヤンのラビス

和食ブームといわれているけれど、不思議なことにグルメの街パリに良質の和食レストランは少ない。

そうした中で今一番評判を呼んでいるのは、スターシェフとして名高いヤニック・アレノがオープンした「深海」という意味のラビス、L'ABYSSE。

ラビスはアレノがオーナーシェフを務めるルドワイヤンの1階にあります。シャンゼリゼ大通りを入った木立の中のルドワイヤンは、1792年からの輝かしい歴史を刻む建物の2階にある3つ星レストラン。

それほどのアレノ氏であるからには、和食レストランにも大きな関心と期待が寄せられるのは当然。ヒノキの調理台とカウンター、オリジナリティあふれるインテリア。そこで味わう本格的江戸前寿司はアーティスティックで美味な逸品ばかり。サーヴィスも行き届いていて、またすぐに行きたくなるラビスです。

川俣正さんの割りばしによるインパクトある装飾。
レストランのエントランスを飾るこの画期的な装飾が、
お料理への期待感を盛り上げます。


ヒノキのカウンター席、ゆったりした椅子のテーブル席。
豊かさがある空間です。


彫刻家のアレノ夫人作のランプが幻想的。

独創性に富む絶品のチラシ寿司。
岡崎泰也シェフによるオリジナリティあるクリエーション。
具が驚くほど変化に富んでいて、とても贅沢なチラシ寿司。

ゆずとチョコレートのデザート。
日仏両国の食文化の融合。

セラミックの貝殻が壁を飾っていて、
「深海」にいる思いを抱かせます。

2018年9月26日

ショーメ ジョゼフィーヌの輝き

ファッションウィークの最中、ショーメが新しいジョゼフィーヌ・コレクションをご披露。会場はもちろんヴァンドーム広場の本店。

ナポレオンの妃ジョゼフィーヌは、ジュエリーをこよなく愛した女性でした。彼女は格別な感性の持ち主で、インテリアや服装、ジュエリーに特有のセンスを発揮し、フランスだけでなく、諸外国の貴婦人たちに多くの影響を与えていました。

そうしたジョゼフィーヌがジュエリーをオーダーしていたのはショーメ。麗しいジョゼフィーヌと親密な関係にあるショーメは、何度かジョゼフィーヌへのオマージュ作品を発表し、そのたびに多くの女性たちを魅了。今回はその新作です。

ショーメ本店の2階に設けられた会場には、南国のアンビアンスが隅々まで広がっていました。ジョゼフィーヌはカリブ海に浮かぶフランス領マルティニック島生まれ。彼女の故郷へ招かれた思いを抱かせる演出です。

2階の会場の中に入った途端、色鮮やかなオウムがお出迎え。
その周りにはカラフルな植物が豊かに植えられていて、南国情緒がいっぱい。

着飾ったオウムも愛想がよくて離れがたい。
連れて帰りたいほど人懐っこくて、かわいい。

その奥の大サロンも、
南国の花々やフルーツがたくさん飾られていて、
パリの中心にいるのを忘れさせます。
ヴァンドーム広場が一望できる窓辺の鏡に、
ジョゼフィーヌのイニシャルが輝いています、

最新テクノロジ―で
様々なカラーに変化するジョゼフィーヌの肖像画。
パ―ルをセンターにあしらった、
ホワイトゴールドとダイヤモンドのリング。

「ジョゼフィーヌ」コレクションのエグレットペンダントと、
ひとつひとつ、あるいは組み合わせても付けられるエグレットリング。
「お好きなリングをお好きなようにお付け下さい」
などとエレガントな笑顔で係りの人がおっしゃる。

ということで、
「ジョゼフィーヌ」コレクションの3つのエグレットリングを重ねてつけました。
何て華麗で品格あるジュエリーでしょう。数分間の極上ハッピータイム。
奥まった所にあるサロンには「ジョゼフィーヌ・カフェ」まであり、
フルーツジュースやコーヒーのサーヴィスが。

ピンクのカーテンとゴールドカラーのヤシの木が、
ひときわの楽しさをかもしだします。
楽しいひとときを過ごした後、ステキなプレゼントをいただきました。我が家の暖炉の上にぴったりなので、そこに飾ってしばらくの間そこに描かれている夢物語の世界にひたるつもり。


2018年9月25日

アベラールとエロイーズの遺品

中世に愛と信仰を貫いたアベラールとエロイーズが交わした書簡集は、世界中で出版され、私も中学生のころに日本語訳を読みました。

そのふたりの書簡の原本と遺骨の一部が売りに出され、それを美術学校ボ・ザールが買い取りたいと名乗り出ましたが、資金不足。これほど貴重な文化遺産を外国に買われたくないからと文化省が呼びかけ、フランスのデラックス製品グループ、ケリングのメセナ活動によって、無事、ボ・ザールのコレクションに加えられました。


かなり理想化したアベラールとエロイーズ、
二人をのぞき見する叔父フュルベール。

高名な神学者アベラールがエロイーズに出会ったのは、彼女の叔父、聖堂参事会員フュルベールから、美人の誉れ高い姪エロイーズに学問の指導を頼まれたためでした。フュルベールの家に暮らしながら彼の姪に指導を始めたのは1113年で、アベラールは34歳でエロイーズは18歳。

叔父が驚いたことに大きな年齢差にもかかわらず、二人はたちまち愛人になりエロイーズは子供を身ごもります。それが世間に知られることを恐れたアベラールは、自分の生まれ故郷ブルターニュ地方のル・パレに行くよう説得。エロイーズはその地で1117年、男の子アストララブを出産し、翌1118年に二人は若い秘密の内に結婚します。息子はアベラールの妹に託されル・パレで育てられながら成長しナントで聖職にたずさわります。


修道女になったエロイーズ(1095-1164)
1092年、1101年誕生という説もあります。

神学者アベラール(1079-1142)

この事実は秘密にしていたにもかかわらず、叔父が約束を破ってばらし、世に知れ渡り、激しい非難を受け、アベラールはサンドニ修道院に入り、エロイーズはアルジャントゥイユの修道女になります。離ればなれになった二人は手紙を書き合い、それが後に書簡集となったのです。

時と共に精気を失ったアベラールは、1142年4月21日、当時暮らしていたサン・マルセル・レ・シャロンで病に陥り世を去り、その地の修道院に手厚く葬られました。

サン・マルセル・レ・シャロンの修道院の
アベラールのお墓。
1144年、エロイーズの希望でル・パラクレ修道院に移されます。
18世紀のル・パラクレ修道院。

けれどもそれから2年後、エロイーズの希望でアベラールはル・パラクレ修道院に移されます。それはアベラールが築いたベネディクト派の修道院だったのです。1164年5月16日にル・パラクレ修道院で息を引き取ったエロイーズは、彼女の最期の願い通りに夫の遺骸の下に葬られました。

聖人、聖女のようにあがめられるようになったアベラールとエロイーズの悲劇の愛を、多くの作家が書き、ますます崇拝者が増えます。

 
アレクサンドル・ルノワールが建築させた、
アベラールとエロイーズのお墓。
後にペール・ラシェーズ墓地に移されます。

そうしたひとりがアレクサンドル・ルノワール。考古学者であり、中世美術の専門家であり、革命時に王家の墓や教会、王侯貴族にまつわる美術品破壊に心をいためます。

フランス・モニュメント博物館を
ナポレオンとジュゼフィーヌに案内するルノワール。

革命が終わり共和制になった時代の1790年、ルノワールはル―ヴルの対岸にフランス・モニュメント博物館を建築させます。そこには革命で破壊された歴史上重要な建造物や彫刻などのレプリカが置かれ、ルノワールが自ら管理を行います。その庭にアベラールとエロイーズのお墓をと熱望した彼は政府に交渉します。

その結果二人の遺骸をパリに移す許可を取得し、物語に登場するようなロマンティックなお墓が誕生したのです。

ところが後年、その敷地に美術学校ボ・ザールを建築することになり、フランス・モニュメント博物館は取り壊され、アベラールとエロイーズのお墓はペール・ラシェーズ墓地に移されたのでした。
 
ルノワールは歴史を語る多くの品々のコレクタ―でもありました。その中のひとつがアベラールとエロイーズの書簡集と遺骨の一部。それをボ・ザールが買い取ったのです。美術学校の貴重なコレクションとして奥まった所に保管される前に、わずかな期間公開されると知って心を躍らせながら出かけました。


ガラスケースに治められているアベラールとエロイーズの遺品。
上段は二人が交わしていた手紙。その左は歯と遺骨の一部。
下段は一時期一緒に暮らしていた家のデッサン。

手紙とデッサンのアップ。


手紙と遺骨。その手前は二人の愛を語る数冊の書籍。

おそらくルノワールが特別に制作させたと思われる、美しい小箱に入ったアベラールとエロイーズの遺品。それを実際に見られるとは思ってもいませんでした。

このような貴重な機会はないでしょうから、もちろん記念写真を。
感動しました。

2018年9月23日

パリの犬たち 182

すごい人気者なの

イケメンのお兄さんがワタシを手招きしている。
うれしくうれしくて、顔がほころびるワン。
だっこしてくれるのかしら。

あらッ、あっちからもお声がかかっている。
どうしよう、どっちにしよう。

もててもてて大変だワン。

2018年9月22日

パリコレがもうじき始まる

9月下旬から10月初めはプレタポルテのパリコレのシーズン。このファッションウィークのためにホテルは夏前から予約が入ります。パリに住んでいる人はホテルの心配はないけれど、レストランも早めに予約を入れないと、希望の日の予約がむずかしい。

パリコレが実際に始まるのは9月24日。でもその数日前から世界中から大勢の人が集まるので、今の内にゆっくりお食事を楽しむことに。

高田賢三さんを囲んで会話がはずみます。

賢三さんとお気に入りのレストランでシェフと会話しながら美味を味わっていると、突然「ケンゾー!」と華やかな声が。モード関係の友人が同じレストランに入ってきたのです。

こうなるともうおしゃべりにおしゃべりが続き、華やかなこと極まりない。お店にたくさんの花が咲いたみたい。

こうした場面はパリコレ中は毎日のように見られます。好みのレストランが同じようで、皆、そこで偶然に会うのです。それも楽しみの一つになっているパリコレ。

またファッションウィークのいくつかの報告をしますね。でも24日は、別の大切な予定があります。それもブログで報告します。ということで、急に忙しくなった秋のパリ生活。

2018年9月21日

香取慎吾さん ル―ヴル美術館で個展

タレントの香取慎吾さんが、ルーヴル美術館の地下にあるシャルル5世ホ―ルで個展を開催しています。会場の入り口に近づいただけで、カラフルで楽しげなアンビアンスが伝わってきます。

中央に頭巾で作ったドームがあり、
意表をついたアイディアに驚かされます。

頭巾を生かした個性的なドレス。
足元にも頭巾が並んでいます。

最初に目に入るのは数多くの頭巾で作ったドーム。柔らかい布地がドームを形成していて、その中に入ると守られているような安心感を感じます。優しさもある。それでいてアート性が高い。そのドームの周囲にはドレスをまとった女性像があり、足元にも頭巾が置かれている。

カラフルでポエティックで夢と希望がある「スケープ・ゴート」。
一番気に入った絵です。

大作の前に長いすがあり、じっくり鑑賞できる配慮がなされています。
小さい作品も結構多い。
絵が豊富でそのどれも色鮮やかで個性的。大小様々な作品でタイトルがないのが多い。多分観る人に、好きなように解釈してくださいということなのでしょう。

カルティエのアイコンウォッチ「タンク」誕生100年記念に創作したオブジェ。
カルティエカラーのレッドとキャンドル、画期的な発案。

「宝箱」というタイトルにふさわしく、
いいものがいっぱい集まっている感じ。

フランスの3色旗が意のままに飾られていて、
自由を尊ぶ国にふさわしい。

この展覧会は「ジャポニズム 2018」の催し物のひとつで、さすが人気者の香取慎吾さん。多くのファンがこの個展のために日本からいらしているようで、香取さんのポートレート前で交代で記念撮影。

香取慎吾さんのポートレートが展示室のほぼ中央に。
多くの人がここで記念撮影をしていました。

でもルーヴル美術館には世界中の人が足を運ぶので、多くの外国人も興味深げに鑑賞しています。彼らがどのようにとらえているか分かりませんが、ポップアートと認められている漫画大国の日本。そうした国ならではのコンテンポラリーな作品と思っているかも知れません。

10月3日まで

2018年9月20日

メトロの駅名は語る 100

Michel・Bizot
ミッシェル・ビゾ(4号線)

クリミア戦争で輝かしい業績をなしたミッシェル・ビゾ将軍を称える駅名。

ミッシェル・ビゾ将軍(1795-1855)

1853年から1856年まで続いたクリミア半島での戦いのさなかに、黒海の要塞セバストポリを陣取っていたロシア相手に、イギリス、フランス、トルコ軍の連合軍が約1年間戦い、1855年9月11日、セバストポリが連合軍によって陥落。

クリミア戦争のさなか、黒海のセバストポリをめぐり激しい戦闘が繰り広げられ、
ミッシェル・ビゾは勝利を知ることなく命を落とします。

皇帝ナポレオンの皇太子をひざにだく、
妃ウジェニー。

ミッシェル・ビゾは勝利を見る半年ほど前の4月15日、ロシアの弾丸を受け59歳で世を去りました。ビゾの妻ソフィは夫が亡くなった翌年に生まれた、皇帝ナポレオン3世の唯一の王子の養育係に任命されます。

息子ブリス=アドリアン・ビゾも父のように軍人になり、第一次世界大戦の際に将軍として活躍し、81歳の長寿を全うしました。フランスのために戦った輝かしいビゾ父子です。