2021年1月21日

フランス革命時の議場

パリを散歩していると記念碑がたくさんあることに気が付きます。素晴らしいと思うのは、その記念碑に短いながら歴史が書かれていること。思いがけない場所に思いがけない歴史があったのだと、そうした記念碑を見て発見するのは、私にとって刺激でありときには感動です。

先日もリヴォリ通りを歩いていたら、チュイルリー公園の重厚な鉄柵に石のパネルがあるので近づいてみると、フランス共和国宣言がここで行われたと書いてある。そういえば、革命時の議会はころころと変わったものの、議場は同じでチュイルリー公園近くだと書いてあったのを思い出しました。「ああ、ここがそうだったのか」とすっかり感激。もちろんスマホで写真を撮りました。

「1792年、9月21日、共和国成立」と一番下に大きめの文字で書かれています。
その上は「憲法制定国民議会」「立法議会」「国民公会」と
革命の時の議会の変貌が綴られています。

ここは以前は屋内馬術練習所だったことも記念碑に書かれています。残念ながら建物は姿を消して跡形も残っていませんが、刻まれた歴史は大きく重要でした。その屋内馬術練習所に憲法制定国民議会が1789年11月9日から1791年9月30日まで、その後立法議会が1791年10月1日から1792年9月21日まで、国民公会が1792年9月21日から1793年5月9日まで置かれていたとも記念碑に書いてあります。

1792年8月10日、当時ルイ16世一家が暮らしていたチュイルリー宮殿に、暴徒たちが押しかけ、急遽宮殿から逃げ出し避難したのはここにあった立法議会の議場だったし、その後王政が廃止され国民公会になっていた時代に、ルイ16世の裁判が行われたのもここでした。

旧屋内馬術練習場が議場になったのでした。
現在のオランジュリー美術館の裏手です。

ルイ16世の裁判も行われました。

この建物が建築されたのは1721年で、当時チュイルリー宮殿に暮らしていた幼いルイ15世の乗馬の練習所が必要だったためです。長さ51m、幅14m、高さ9mの屋内練習所は国王のお気に入りでしたが、その後ヴェルサイユ宮殿に宮廷が置かれ、屋内馬術練習場は貴族の子供たちが使用するようになりました。革命の際には議会が置かれ、19世紀初頭にリヴォリ通りを造る際に取り壊されてしまったのです。

右の赤い文字Manègeが議場だった元屋内馬術練習場。
その右下はルイ15世広場。現在のコンコルド広場です。
左の白い8角形の広場はルイ14世広場で、現在はヴァンドーム広場。

現在は石の碑があるだけですが、激動の時代の歴史を刻んだ建造物があったかと思うと、一瞬立ち止まらないではいられません。

2021年2月2日

18時以降の外出禁止令が続いています

 イギリスやブラジル、南アフリカからのコロナ変異種がますます広がり、きっと3回目のロックダウンが発表されると多くの人が覚悟していたけれど、どうやら今の所は免れたフランス。

カステックス首相のテレビでの発表によれば、1月31日から、外出禁止令違反者のコントロールを一層強化し、EU内の国からの入国者は72時間以内のPCR検査陰性の証明書提示の義務があり、数か国を除いてフランスへの入国禁止。このように外国とのコンタクトを極力避けるのです。残念ながら日本との行き来も特別な事情がある以外禁止。商店は営業を続けられけますが、2万㎡以上のショッピングモールは、食料品店、薬局以外は閉鎖。すべてのデパートも閉まります。

経済対策と精神的苦痛を避けることに重きを置いている感じです。たしかに多くの人がロックダウンにならないで、ホッとしたと言っています。ショッピングも、時間制限があるとはいえ大きな不便はないし、海外旅行ができなくてもフランス国内移動は問題なし。ただレストランやカフェは今でもクローズされていて、テイクアウトのみOK。こうした生活にもすでに慣れてきたようで、ランチタイムには結構楽しそうに列を作っています。

フランスの国旗、赤、白、青の3色がウインドウを飾り、
道行く人々を元気づけているようです。


椅子を積み上げたままのレストラン。街中どこでも見られる光景です。
テーブルを囲んでおしゃべりに花を咲かせていた時代が懐かしい。

ワクチンや治療はまだまだ時間がかかるようで、当分ガマンが必要。政府は国民に自己管理をしっかり行っていれば、最悪のロックダウンにはしない、だから頑張りたまえと鼓舞しているように思えます。今回のカステックス首相の言葉からそれを強く感じました。

2021年2月12日

元気で長生きするフランス女性

フランス最高齢者であるばかりでなく、ヨーロッパ最高齢者でもあるシスター・アンドレが、2月11日に117歳のバースデイをお祝いし、話題になっています。現在は南仏のトゥーロンにある高齢者施設で暮らしていますが、驚くのはこの年齢でコロナを克服したこと。

2月11日に117歳を迎えた
シスター・アンドレ。AFP

シスター・アンドレがいる施設では80人ほどの人が感染し、多数の方が亡くなったのに、彼女は感染していることさえ自覚がなく、ちょっと疲れを感じたくらいだったとインタビューで答えていました。テレビの映像では、目と足が不自由のようでしたが、しっかりした言葉使いが深く印象に残っています。


122歳まで生きたジャンヌ・カルマン。
20歳ころの写真。


人類史上最高齢者のジャンヌ・カルマンもフランス人です。彼女が122歳まで生きた記録は今だに破られていませんが、こうなるとフランス女性が元気で長生きしていることが気になります。食生活がいいのか、お喋り好きが健康にいいのか、自分の軸を持っていて精神的自立をしているのがいいのかも知れない。確かにフランス女性は、自分をよく知っていて、自分の価値を自覚し、自信を持った言動を行う。

元気で長生きするファクターを定義付けることはできないけれど、見習えることは見習いたい。なので、ジャンヌ・カルマンは毎日たくさんのチョコレートを食べていたと知ると、それを真似して、連日、無農薬のカカオ85%のチョコレートを食べるし、ワインも欠かさなかったと知って飲むようにしたけれど、これは長続きしないで、途中でギブアップ。ワイン好きはシスター・アンドレも同じようです。やはり体にいいのでしょうね。毎日飲んでいると嬉しそうにインタビューで語っています。

シスター・アンドレの117歳のバースデイのメニューは・・・これがまたすごい。

オードブルはフォアグラ、メインはシャポン(最高級の去勢鶏)とセップ茸、デザートは、スポンジケーキの上にヴァニラアイスクリームをのせ、メレンゲで飾ったこってりしたお味のノルウェイ風オムレツ。これがシスターの好物だそう。ドリンクはポルトワイン。

さすが、美食の国フランスならでは。100歳を超えても人生を楽しんでいるのがうらやましい。ぜひあやかりたい。

2021年2月14日

寒波におそわれて寒いパリ

 このところ約1週間ほど、マイナスの気温続きで寒いパリです。午前中だけでなく、午後でもさほど気温が上がらずマイナスの日もあり、ヒートテック、カシミアのセーター、ダウンコート、マフラー、厚手の帽子、レザーの手袋、ロングブーツでも、とっても寒い。

寒いから何度もお買い物に出かけるのはイヤ。
とはいえ、毎日の食事は欠かせないから、まとめ買いをする。
防寒具で身を守って、ショッピングカート、トートバッグ2つ持って
スーパーに行ってきま~す。


南仏は洪水で道路が川のようになり、小舟で行き来する地域もあり大変だし、パリでもセーヌ川が氾濫していて、河畔の木が水中からのびているように見えます。コロナに加えてこの異常気象。やはり、何かおかしい。


幸い池は凍っていないので、カモたちが元気に泳いでいます。
噴水のつららが芸術的で見とれます。

18時以降の外出禁止も解除されていないどころか、いつ3度目のロックダウン発表があっても不思議ではない。あれこれ心配事が多く、それから逃れたくて、2月の学校の冬休みに合わせて家族でどこか遠くに、と出かける人が多いようです。いつ何があるかわからないから、乗り物もホテルも直前に予約。とはいえ、ホテルといえどもレストランは営業できないので、ルームサーヴィスのみ。

それでも十分気分転換になる。このように不便ながらもヴァカンスを楽しんだ後は、仕事がはかどるもの。意外に思うかもしれないけれど、フランス人は結構仕事の効率がいいのです。

4,5日後には気温が上がって午後は14度くらいになるそう。数週間前には、アフリカのサハラ砂漠の赤い砂が風に乗ってフランスに舞い降りたし、今回の寒波はシベリアからわざわざ到来。と、いろいろ変化がある国です。

2021年2月24日

春のような気温

 10日ほど前までは寒波到来で寒さに震えていたパリなのに、何と、今は春のような暖かさ。今日のパリの最高気温は19度で4月半ばの気温。このまま春になってくれるといいけれど・・・でも、まだ2月だから、いつまた寒い日に戻るかわからない。天気予報ではウイークエンドの最低気温3、4度、最高気温10度らしい。

いいお天気だから、家の中にいたくニャイと、
太陽にあたりながら、路上で堂々とお昼寝するニャンちゃん。

お馴染みになったブランカちゃんも、窓にできるだけ近づいて日光浴。
最大に細い目がかわいい。やはりネコです。

こうした激しい気温の変化を経験するたびに、はっきりした区切りがある日本の四季が思い出されます。春、夏、秋、冬にそれぞれ自然の美しさを見せてくれる日本は、心から恵まれた国だと思います。それに比べるとフランスは気まぐれ。いつ、急減な気温変化があるかわからないから、日本のように衣替えもできない。

だから、ダウンコートや夏服が洋服ダンスで一年中隣同士になっている。このように、いつでも取り出せるようにしておくのは、とっても便利。ハンガーにかけてあるから、シワにもならず、アイロンかけも必要ない。ハンガーもできるだけ細いのにすると、場所をとらないので、たくさん並べられる。それと心がけているのは、一品ずつにビニール袋をすっぽりかけること。そうすると、ますますシワになりにくい。

春のような気温だから、当然、公園がにぎわっています。
関心なのは広い公園といえども、ほとんどの人がマスクをしていること。

日本は春を告げる梅の花の季節でしょうか。その後は桜ですね。
フランスはマロニエが咲くのを、皆、待っているのにまだまだ早い感じで、蕾さえもほとんど見えない。春のような好天気続きだというのに・・・・

2021年3月6日

パトリック・デュポン、天空のエトワールに

 フランスが誇るバレエダンサ―、パトリック・デュポンが3月5日に旅立ちました。61歳という年齢も、突然の死も、多くの人にとって衝撃でした。詳しいことは報道されませんでしたが、数か月前から病に伏していたそうです。

10歳にもならない幼い年齢で、すでに比類なき才能を発揮し、15歳でパリ・オペラ座に迎えられたパトリック・デュポンは、超人的な飛躍や、ダイナミックでありながら優美なバレエで、世界中の人々を魅了していました。

21歳でオペラ座のエトワールになり、31歳の若い年齢で芸術監督も務めるようになったパトリック・デュポンは、クラシックバレエだけでなく、コンテンポラリーバレエにも意欲を燃やし、勇気を持って新たな分野を切り開いた人でもあります。


インタヴューに応じて下った、
稀に見る天才エトワールのパトリック・デュポン

このような格別なカリスマ性の持ち主であるパトリック・デュポンに、2度もお会いできたのは貴重なことでした。1回目は、雑誌のオペラ座特集のためのインタヴューで、オペラ座内の彼の事務所でお会いしました。

近くで見るパトリック・デュポンは、明るいブルーの瞳が限りなくチャーミングで、声にはやさしさがあり、くったくのない笑顔は、汚れなき少年のようでした。時々動かす手は、空気の中を舞っているかのようにエレガント。初めてお会いするのに、数年来の友人のように気さくに話してくださり、感動したのをよく覚えています。

インタヴューを終えてお礼を言って事務所を出ようとすると、「〇〇日に公演があるけれど、興味ある?」と言うので、もちろんですと間髪を入れずに答えると、招待状を手渡してくださっただけでなく、何とその日は、舞台の袖にまでは入れるようしてくださったのです。キレイにメーキャップし、コスチュームを身に付けたパトリック・デュポンから、秀でたエトワールの輝きがほとばしっていて、まぶしいほどでした。

シャガールが描いたオペラ座の天井画の一部。

エトワールと芸術監督を長年こなしていたパトリック・デュポンは、1998年、オペラ座を離れ、2000年には自動車事故で重傷を負いました。バレエはもう無理だと誰もが思っていたのですが、強靭的な精神を持つ彼は、リハビリを続け、再び踊りを披露します。その後は子どもたちにバレエを教える学校を設立したり、テレビ番組に出演したり活躍していたのですが、数年前からマスコミから完全に遠ざかり、3月5日に突然、悲報にが告げられたのでした。

「日本は大好きで、畳の上に寝ることもあるんだよ。僕の体には畳が合ってあるみたいだ」
パリでも時々和食レストランに行くよ、と日本びいきを明るく語っていたパトリック・デュポンでした。

「オペラ座は僕のメゾンで、家族だ」
「ダンスは体で表現するもの。言葉を発しないで、体だけで伝えるべきことを伝えるんだ」
「踊りに情熱がこもっていれば、見る人にしっかり伝わると僕は信じている」
「舞台と観客の間に距離があってはいけない」
「優れたバレエダンサ―と呼ばれるには、踊りと演技の両方が要求される。それが一つになった時、バレエは生きたものになり、観客を感動させるんだ」

多くの教えを地上に残して、パトリック・デュポンは去って行きました。今後は広い空で星たちと踊るのでしょうか。

2021年3月9日

国際女性デー

 3月8日の国際女性デーに、フランス各地で女性たちのデモが繰り広げられました。パリ、マルセイユ、ナント、リール、ストラスブールなどの主要都市では、多くの女性がマスクをしながら行進。町によっては音楽を奏でながらのお祭だったそうです。

スローガンは毎年同じようで、男性との平等を要求することがほとんど。サラリーや社会的地位の差別をなくしてほしいことです。意外に思われるかもしれませんが、家庭内暴力は驚くほど多く、2-3日に一人の女性が夫、あるいはパートナーに暴力で命を奪われているのが現状です。それをニュースで知ったときには、大きな衝撃でした。家庭内暴力廃止も、もちろん大事なスローガンのひとつでした。

フランスで国際女性デーが祝われるようになったのは、ミッテラン大統領の時代の1982年からです。女性の主体性、平等、尊厳を目的にしていました。そのときから女性の地位向上を公に訴えるようになったのです。

フランスは王政時代に女王が生まれなかったし、革命後、共和制になってから現在まで女性大統領は存在していません。2022年に大統領選がありますが、出馬に意欲を燃やしている女性がすでに数人います。どうなるか、今から楽しみです。

たくさんのお花を
たくさんの女性に捧げます。

2021年3月12日

東日本大震災10周年記念、フランスでも大々的に報道

 世界中を震撼させた東日本大震災が起きて、今年は10周年の年。フランスではテレビで大きく報道し、新聞「ル・モンド」も「ル・フィガロ」も数ページに及ぶ特集を組み、週刊誌「パリ・マッチ」は、8ページにわたって復興の詳しい状況などを伝えています。

マクロン大統領は3月11日に、日本、フランス、EUの旗の前で、ビデオメッセージで日本人に語りかけました。

被災者たちに心を寄せているという言葉で始まり、試練に見舞われた人々の勇気を称え、復興への力強さに敬意を払い、活気を取りもどす努力をしてきたことを高く評価していました。それは希望を与えてくれるとも語っています。現在コロナウイルスと戦っている我々に、それを乗り越える力を与える、希望のメッセージでもあると述べています。一緒に未来に目を向けよう、「皆さんと一緒に、未来を」

この力強いメッセージは、決して儀礼的でも、表面的でもなく、マクロン大統領の心の底からの言葉だと、語りかけ方から伝わってきました。セーターとジャケットのラフな服装だったのも親しみやすく、温かみが感じられました。

世界中に一刻も早く平穏な日々が訪れますように・・・