2011年12月11日

シャトレのつぶやき 50 クリスマスツリー

白いツリーが人気よ
「今年は白いクリスマスツリー
が大人気よ」
クリスマス装飾の追っかけを
毎日のようにしているママンが興奮してこう言うの。
「やっぱり白は品があっていいわね」

そうよ、白は品があるのよ、
ワタシみたいに。
それにしても
白いクリスマスツリーが大人気というのが、
すご~く気になる。

白は品があるわね


それでワタシも白いクリスマスツリーをつけて、
みんなの注目をひこうと思い立ったわけ。

でも、ワタシはお金がないから、
ただでナニができるかいろいろ考えて、
いろいろ工夫した結果がこれ。

どう、見えるでしょ?
ワタシのあたまの上に
髪の毛で作ったステキなツリーがあるのが。


えーッ?小さすぎてツリーかどうかわからないだって?ほら、よく見て見て、前からも横からも。ね、ちゃんとツリーがあるでしょ?
自分ではうまくできたと思っているのだけれど・・・
自作のツリーよ
        
今年はすごくオリジナリティーがある
クリスマスツリーを作ってとてもうれしいわ。
後はサンタさんが来るのを待つだけニャのよ。

  


2011年12月9日

クリスマス装飾その2

サントノレ通り

今年はシャンゼリゼのクリスマス装飾が、がらりと変わりました。
宇宙をイメージしたのか、大小の輪が街路樹のまわりを囲み、その色が定期的に変わります。

コンコルド広場からロンポワンまでの両サイドには、
もうおなじみになったクリスマスマーケットが
軒を並べ、にぎやかなことこの上なし。

シャンゼリゼが変わったからではないと思うけれど、
サントノレもすごい変化。
昨年まで何となく寂しい装飾だったのが、
今年はゴージャス。心が浮き立つほど華麗。

シャンゼリゼ

高級店が居並ぶ目抜き通りなのだから、こうでなくては。

ヴァンドームも品格ある装飾で大人気。
でもこれは去年と同じ。

今年は北アフリカの政変があいつぎ、
ユーロもがた落ちし、
人々の心が不安いっぱいなので、
このような華やかな装飾で気分を盛り上がるのはいい。

ヴァンドーム広場
ということで、私も時間があると出かけては夜のパリのお祭り騒ぎを楽しんでいます。

2011年12月4日

ナポレオン戴冠式記念日

衛兵に囲まれた
ナポレオンの帽子
ナポレオンがフランス皇帝の座につく戴冠式をおこなったのは1804年12月2日のこと。ゴチック建築の傑作中の傑作の、パリのノートルダム大聖堂で輝かしい式をあげたとき、ナポレオンは若干35歳。ルーヴル美術館とヴェルサイユ宮殿の壁を飾る大きな絵が、絢爛豪華な式典の様子を詳細に語っています。

その栄光の日は、200年以上たった今でもナポレオン崇拝者の間では重用な祝祭日。パリに本拠を置くナポレオン史学会とナポレオン財団は、毎年趣向を凝らしたデイナーを開催。

カクテルの間で

今年、会場として選ばれたのは、ウェスティン・ホテルの「ナポレオン三世の間」このホテルがインターコンティネンタル・ホテルだった時代に、ナポレオン一世の甥にあたるナポレオン三世の妃ウジェニーが長年暮らしていたため。

 今年はナポレオン愛用の、あの特徴のある帽子もカクテル・ルームに展示。出席者のひとりがオークションで購入し、身近で見られるようにこの日に持参。

ディナーは豪勢な
「ナポレオン三世の間」で。
カクテルは20時からというので20時ぴったりについたのに、もうたくさんの人。ナポレオンの衰えない魅力に圧倒されたのは私だけではないはず。

カクテルの後はディナーのために「ナポレオン三世の間」に移動。シャンパンで乾杯のさいに「皇帝バンザイ」の張りのある声がいっせいに上がり、もしかしたらナポレオンがその声に復活するのではないかと思ったほど。

長い会食の間の話題は勿論ナポレオンに関することがほとんど。2015年には、ナポレオンの終焉地セント・ヘレナ島に飛行場ができるという正式発表があり、拍手喝さい。セント・ヘレナ島は行ってみたい地のひとつなので、今から資金など工面しようと心に誓ったよき夜会でした。

2011年12月3日

フランソワ・ルサージュ さようなら

ルサージュの代表作。
イヴ・サンローランのためのゴッホの
ひまわりとアイリスをテーマにした作品

刺繍の巨匠、フランソワ・ルサージュが12月1日に亡くなりました。82歳。

オート・クチュールに欠かせない人物であっただけに、その死は惜しまれています。

フランソワの父がパリでモード界と密接な関係を保ち、ルサージュの名を広めていたころ、フランソワはアメリカ征服の大きな希望を抱きながらハリウッドに向かい、多くの女優の顧客を得ていました。そうしたときに父親が病に倒れ、急遽フランスに戻ることになったのです。

ルサージュの自宅。
ベル・エポックの素晴らしい邸宅

20歳で父を失ったフランソワは、その後のオート・クチュールの飛躍に伴い目覚しい発展を遂げ、さらに、スパンコールや、パール、ビーズ、リボンなどを刺繍に取り入れ、斬新さをモード界にもたらし、センセーションを起こしたほど。

クリスチャン・ディオール、イヴ・サンローラン、クリスチャン・ラクロワなどのコレクションに欠かせないルサージュの刺繍は、フランスの貴重な財産。

ひと針ひと針手で刺繍をするその作業は、気が遠くなるほどきめ細かく、フランスが世界に誇る立派な芸術作品。彼の残したものは、はかり知れないほど偉大。

私の宝物のひとつ
ルサージュ作のブレスレット
「私はアーティストではなく、単なる刺繍の職人です」
と、謙虚に、けれども大きな喜びを浮かべながら語ってくれたことがあります。
フランソワ・ルサージュは永遠に旅立ちました。
けれども彼のアトリエは、彼の才能を彼が望むとおりに継承していくはず。

2011年11月26日

オペラ座でガラ・ディナー

華やかなユニフォームの
共和国騎兵隊のファンファーレ

フランスのパスツール研究所とイスラエルのワイズマン研究所が、難病の共同研究を始めるようになったのは36年前のこと。

イスラエル系フランス人の女性政治家シモーヌ・ヴェイユのイニシアティヴで、共同研究は年を重ねるごとに目覚しい成果をあげ、今では世界的に知られるようになりました。

毎年、資金を集めるために様々なイヴェントが行われますが、そのひとつが「科学と平和のためのガラ・ディナー」場は年によって異なり、今年はオペラ座。

心を弾ませながらオペラ座に入ると、そこは別世界。共和国衛兵隊の華々しいファンファーレ。優雅に着飾った人々。交差する香水の香り。シャンデリアから放たれるまぶしいほどの光線。往年の映画の一場面のように素晴らしい奮囲気。

フランスの科学者と記念撮影
ゆっくりと歩を進めながら全員が着席し、ざわざわとした話し声がやみ、いよいよソワレ開始。オーガナイザーの挨拶の後、ソプラノとバリトンの見事な歌。それに続きオペラ座のエトワールによる「白鳥の湖」のもっとも美しい場面のバレー、最後はポピュラーのメロディー。このように誰にも親しまれそうな、盛りだくさんのプログラム。その後は美味のディナー。


科学者、弁護士、建築家・・・
多彩な顔ぶれ
私のテーブルは国際色豊かで、イタリア、ポーランド、フランスの科学者、弁護士、建築家など。みな初対面なのに話題がはずみ、ディナーが終了したのは真夜中すぎ。

心の豊かさが感じられるさわやかな夜会でした。

2011年11月19日

ジェイエムウェストン 120周年記念

靴といえども
見とれてしまう素晴らしさ
南仏のリモージュに1891年に創業された靴の老舗ジェイエムウェストンが、
120周年記念のイヴェントをパリで11月17日に行いました。

確固たる伝統技術、トラディショネルとコンタンポラリーの融合あるデザインで、こだわりの趣味のクライアントを満足させているジェイエムウェストン。
現代に適した様々な企画でも話題を呼んでいます。

共和国護衛兵のブーツも製作

例えば、著名な作家による小説「ジェイエムウェストン」の出版、映画「The Shoe」の上映、そして今回の120周年記念の大イヴェント。
それも単なる記念パーティに留まらず、小説をテーマとした空間の中に招待客を招くのです。

煌びやかなユニフォームで知られている、フランス共和国護衛兵のブーツも、ジェイエムウェストン製作。
そのノウハウを駆使した限定版「カントリー・クラブ」を、この記念すべき年に発表。シックでスポーティ。

庭園にも120年記念の飾り。
友人たちと
招待客は圧倒的に男性が多く、
視線が足元に集中するのは自然の成り行き。
パーティはエッフェル塔が見える庭付きの邸宅で行われ、
パリのエスプリたっぷりでいい感じ。
シャンパンも上等。

やはりいいものはいい。

2011年11月17日

齋藤大使 帰国


斉藤大使ご夫妻と
ジャック・ラング、アラン・ドロン
齋藤泰雄駐仏全権大使が帰国されます。そのレセプションが、11月15日にサントノレ通りの大使公邸で行われました。

輝かしい経歴にもかかわらず、親しみとユーモアのある会話、しなやかな振る舞い、小さなことでも日本に関することであれば必ず出席する熱意。

2011年は東日本大震災があり、特に大変な年でした。親日家が多いフランスのこと。支援行事は各地で催されました。その多くに出席するのは、並大抵のことではなかったはず。
それなのに、当然のことだと笑顔を浮かべながらさわやかに語る。

アラン・ドロンのお嬢さんアヌシュカと
フィアンセのジュリアン。年齢も背丈も
知名度も異なるけれど、最近
知り合ってとても気が合うのです。
国の代表という重要な公務だけでなく、「皆の大使」という表現がぴったりの気さくさ。そのために在仏日本人の間で大評判でした。

夕方から始まったレセプションには、日仏の様々な分野の方々が多数出席。
その顔ぶれが素晴らしい。
ミッテラン現文化大臣、ラング元文化大臣、女性のために多くの改革をしたシモーヌ・ヴェイユ、俳優アラン・ドロン、歌手ミレイユ・マチュー、そのほか経済界の方々など多彩な顔ぶれ。大使夫妻を囲んでの会話は途切れることがありませんでした。

齋藤泰雄大使、千恵子夫人。
たくさんの素敵な思い出を本当にありがとうございました。
今後のご活躍も楽しみです。

2011年11月15日

マリー・アントワネットのバスルーム公開

マリー・アントワネット
革命で大々的に破壊されたマリー・アントワネットのバスルーム。長年の修理が終わりいよいよ公開。

バスルームといえども広々とした部屋で、床は黒と白の大理石。壁にはフェミニンな浮き彫りが施され、一日中いたいほど優雅で素晴らしい。バスタブの他にベッドがあるのが不思議ですが、これはちょっと一休みしたいときのためとか。

王家の人は通常ふたつのバスタブを置いていました。
ひとつは体を洗うためで、もうひとつは石鹸を洗い流すため。部屋は、もちろん、湯冷めしないようにたっぷりと温めていました。

マリー・アントワネットのバスルームは、何度か場所が変わりましたが、今回公開されたのは 二階の王妃のベッドルームの左にあるドアを開け、階下におりたところ。王妃はこの細い階段を通って直接バスルームに行っていました。
時代によっては、足つきバスタブをベッドルームに運んでもらっていたこともありました。

フェミニンな
マリー・アントワネットのバスルーム
photosEPV/C.Milet
女官や侍女に体を見られたくなかったマリー・アントワネットは、フランネルの長い服を着てバスタブに入っていたし、そこから出るときには大きなシーツを広げて、誰にも見られないようにしていたのです。
再現されたバスルームには三人の女性がいます。マリー・アントワネット、女官カンバン夫人、侍女。その三人のドレスは驚くべきことに紙製。見事な細工に驚嘆。そのほかのインテリア製品も興味あるものばかり。

ヴェルサイユはあまり衛生的でなかったように伝えられていますが、それは医師たちが、水が伝染する病気の素因を含ん
でいるなどと信じていたため。
体も顔も水を使わず、
乾いたタオルなどで
こすったり。その後香水。
                                                                          
                                                                
時代が進んで、それがまったく根拠のないことがわかり、バスル
ームが重視されることになりました。
マリー・アントワネットのバスルーム見学には予約が必要。
王妃のプライベートな部分を垣間見られることは、貴重です。

ヴェルサイユ宮殿
℡ 01ー3083ー7800

2011年11月12日

クリスマス装飾 その1


ロック一色の
ギャラリー・ラファイエット
11月半ばだというのに、パリはもうすっかりクリスマス。
ユーロが危ないし、経済が不調だし、そうしたときにモラルをあげようということなのか、とにかく華やぎがあちこちに輝いているパリ。

大掛かりなクリスマス装飾は、まずデパートで始まりました。
オスマン通りのふたつのデパート、ギャラリー・ラファイエットとオ・プランタンは、毎年、装飾競争を繰り広げ、それを見るために何と多くの人が集まることか。

ギャラリー・ラファイエットは今年はロックがテーマ。どのショーウィンドーもロック歌手が狂ったように歌い、踊り、
観客が奇声をあげ、
すべての悩みを吹き飛ばしそう。
ショーウィンドーのひとつでは、17時から本物のロック歌手がライヴで演奏。11月17日まで。その後はデパート内でもイヴェントがあるらしい。

それと対照的なのがオ・プランタンのショーウィンドー。
世界の主だった大都市の特徴を捕らえた大掛かりな装飾の中で、
お人形さんたちが動いたり、踊ったり。
多彩なアイディア、品格あるディスプレイが魅力。
オ・プランタン
上から東京、モスクワ、
ヴェニス

小さい子供たちが見やすいように、階段つきの台を設けているのが素晴らしい。定休日にもショーウィンドーが活躍しているのも素晴らしい。

カトリックの国フランスはクリスマスは重要な祭日。
そのために多種多様な装飾があるパリ。

それをいろいろと見ないと気がすまない私。だからクリスマス装飾のブログの続きあり。
お楽しみに!

2011年11月10日

サンローランのミューズ 永眠

ルル・ド・ラ・ファレーズ
イヴ・サンローランのミューズとして、約30年間インスピレーションを与え、
アクセサリーのデザインも担当していた
ルル・ド・ラ・ファレーズが、闘病の末11月5日に永眠しました。

由緒あるイギリス貴族の祖母、著名なマヌカンだった母、貴族出身のフランス人の父を持つルルは、
何よりも自由を愛する女性でした。

独自の感覚のルルは既成概念にとらわれることなく、服装にも考え方にも、生き方そのものに彼女ならではのスタイルがありました。
それがルルの無比の魅力になっていたのは当然のこと。

そうした女性だから、イヴ・サンローランと出会ったその瞬間から意気投合。
出会いからサンローランが亡くなるまで、ふたりは離れることがなかったのです。

イヴ・サンローラン
「いつも必ずお化粧をしていました。そうしないとイヴが顔色が悪いって心配するから」
ルルはいつかこのように裏話を語ってくれました。
「彼が沈んでいるときには、元気が出るようにすごく派手な服を着たり、おどけてみせたり」
ルルはサンローランのミューズだっただけではなかったのです。公私にわたっていなくてはならない存在だったのです。

彼女が画家バルチュスの息子と結婚したときには、率先して祝賀祭を催し、ゴージャスなシャンデリアをプレゼントしたサンローラン。
彼らを中心とする社交界は知的で、文化的で、華やかで、どれほど人々を魅了したことか。そのふたりとも去ってしまった。

寒さが一段と厳しくなった10日、サントノレ通りのサンロック教会で、
ルルへ捧げるミサがおこなわれました。

同じ教会で3年前にサンローランの準国葬がおこなわれました。
そのときルルが黒いサングラスをずっとかけていました。
その色の濃さが、彼女の悲しみの深さを代弁しているようで、
心に残ったことが昨日のように思い出されます。

教会の祭壇とミサの
プログラムの表紙を飾った
ルルの象徴的な写真
サンロック教会には多くのアーティストが葬られているために、芸術に生きた人々に捧げるミサが行われることが多いのです。

本当のパリらしいおしゃれが何であるかを、自らの装いで示していたルルは、
モード界に輝きを与えていた星だったのです。ルルははっきりした色を好む人。そうした彼女自身がカラフルで楽しい女性でした。

ミッテラン文化大臣、ピエール・ベルジェ、カトリーヌ・ドヌーヴ、イネス・ド・ラ・フレサンジュ、フランスの哲学者、イタリア貴族など各界の人々が集まったミサは、
彼女にふさわしく優美でした。

2011年11月1日

ホテル・リッツが閉まる

由緒あるホテル・リッツ
パリの名所的存在になっている高級ホテル・リッツが閉まります。
とはいっても約二年半かかるリニューアル工事のため。

現オーナーはエジプトの大実業家モハメッド・アルファイド。
1979年にリッツを購入し、その際にある程度のリニューアル工事をしたものの、
それ以降大々的な模様替えをしていなかったのです。
今回ホテルを全館閉めて工事ということは、
かなり本格的な変貌がなされるはず。

リッツといえば、ダイアナ元イギリス皇太子妃と
オーナーの子息ドディの最後の地となった所。
ふたりが揃ってホテルに入る場面と、裏口から外に出る場面のビデオが、
事件の後、何度テレビで流されたことか。

リッツはまたヘミングウェーやプルースト、チャップリン、ディートリッヒが愛し、シャネルが長年住み生涯を閉じたホテル。

友人が宿泊していた
リッツのお部屋。
王朝時代を彷彿させるインテリアが
素晴らしい。

シャネルの部屋は当時の面影をそのまま残しているし、ホテルの奥まったところにあるバー・ヘミングウェーは、彼が今そこでカクテルをじっくりと味わっているかのような、第二次世界対戦直後の雰囲気が満ち溢れています。
彼は戦いが終わったときにリッツに一番乗りし、自由に乾杯した人。
このバーでのカクテル・ヘミングウェーは、
一度は味わっていただきたい美味。

近年に続々と新ホテルが建築されてパリですが、ノスタルジーを掻き立てないではいない貴重な歴史を刻んでいるリッツは、やはり格別な存在。
工事後の2014年にどのような姿を見せてくれるか楽しみ。
でも、過去が葬られるようで寂しい気がしないでもなく、とても複雑。
バーに行ってカクテル・ヘミングウェーを飲みたい気分。

2011年10月28日

シャトレのつぶやき 49 ワタシの秋は「食欲の秋」

食欲の秋はワタシにぴったり
この前は「読書の秋」なんていわれて、ちっともおもしろくない秋だったわ。
でも、やっとママンはワタシの気持ちをわかってくれたみたいで、
「食欲の秋」を実行しているの。

つまり、食べて食べて、また食べているの。
しかも、いつものネコ専用食料品じゃないの。本物、というか、人と同じのをおねだりしているのよ。

たとえば、ママンが食べている鳥のから揚げとか、ヨーグルト。

ヨーグルトは少なめに
しないといけないのよ。
これでは野菜不足と思ったので、ベランダで育っている葉っぱも食べたの。
そうしたら、ママンがおこるの。
「ワーッ! !  君はいったい何しているの。せっかく手入れして育てた
大切な植物を食べて~!」

でもワタシには植物もお野菜も同じに見える。
いったいどこが違うのかしらネ。
人間ってほんとうにわからない
決まりを作るのね。
どっちも同じにしか思えないのに。

まあ、それでも鳥のから揚げもヨーグルトも食べたから、
「食欲の秋」の実感がわいたわ。

お野菜も食べなくては


よかったよかった。

2011年10月25日

サルコジ大統領に娘誕生

サルコジ大統領に娘が誕生。
すでに3人の息子がいる彼にとって、娘が加わったことは、この上ない喜びにちがいない。

サルコジ自身も三人兄弟として育ち、カルラの最初の子供も男の子。
このように男児ばかりだった家庭に、突然、授かった女の子。
これを手放しで喜ばないはずがない。

しかも、現役のフランス大統領に子供が生まれたのは初めてのこと。そういえばサルコジは「初めて」が多い。離婚経験者であることも、再婚者であることも初めて、そして今回の大統領任期中の娘誕生。

そのどれも、彼ならではの大統領スタイルと言える。
大統領官邸のエリゼ宮
何でも「初めて」は勇気いることだし、世の中の進化が感じられていい。

大統領夫妻の娘の名はジュリア。それをカルラはウェブサイトで発表。これも初めてのこと。

トップモデルとしてのずば抜けた容姿、トップ歌手としての魅惑的な声、知性と教養、財産、フランス大統領夫人という地位、息子、そして娘の誕生。

カルラ・ブルーニ・サルコジは、女性が望むすべてを手にしているような人。こういう女性が世の中にはいるのですね。

2011年10月17日

ルイ16世の血か?

フランスでいつも繰り返し話題になっているのは革命。
マリー・アントワネットの本は、手を変え品を変え毎年のように発行されているほど。そのたびに気になって書店で手にとってパラパラと見るけれど、
新しい情報がそう頻繁にあるわけがない。

今回はルイ16世が話題。
今話題になっているのは、ルイ16世が処刑のときに流した血が残っているらしいということ。

イタリアの貴族がひょうたんの入れ物に、彼の血を浸したハンカチを保存していたそう。ハンカチはすでに紛失してしまったが血痕が残っているのです。なぜ、それがルイ16世のだと考えられるかというと、そのひょうたんの外側に、革命家の名やデッサンや文字が刻まれているため。
それほどの容器に入っているからには、重要人物に違いないということらしい。

ルイ16世
幸い科学の力で分析ができ、今判明しているのは、その血の主が男性でブルーの瞳ということ。確かにルイ16世はそれに該当します。

でも、後日に他の人の血が混ざったことも考えられるので、慎重。
タンプル塔で死亡した彼の王子ルイ17世の心臓のDNAと比較することも、
考えているとのこと。但しそれは保存状態がよくなかったために、DNAは難しいかもとのこと。

後はルイ16世の母親の脚があるようで、そのDNAと比較の可能性のあるらしい。それにしても王家の人ともなると大変。墓の中で安眠しているわけにはいかないのですね。いつ、突然、呼び出しがかかるかわからないのだから。

科学分析の結果はいつ発表されるかわからないけれど、
何か情報がわかり次第お知らせします。
私も早くしりたくて、そわそわの日々。

2011年10月15日

アレキサンダー大王の王国展

紀元前3世紀の
アレキサンダー大王の大理石像
中国の故宮展開催中に、ルーヴルはもうひとつ大規模な展覧会を開催。
それが、アレキサンダー大王の王国、古代マケドニア展。
フランスとアレキサンダー大王?
どんな関係?
そう、何だか接点がないようですが、実はあるのです。

アレキサンダー大王が生まれた古代マケドニアは、何世紀もの長い間、謎に包まれてその実態がわからなかったのです。
ところがフランスの考古学者レオン・ウゼイが大掛かりな発掘を行ない、古代に栄華を誇っていたマケドニア王国の君主の宮殿跡らしきものを発見。1855年のことでした。

けれども資金不足や疫病で発掘を断念。
そのまま忘れられていたのが、1977年にギリシャの考古学者間マノリス・アンドロニコスが再開。宮殿跡だけでなく、王家の人々の墓も発見し世界を驚かせました。
その中には、アレキサンダー大王の父ピリッポ二世の墓もあったという貴重な発掘。ピリッポ二世の宮殿は12500平方メートルもあり、
アレキサンダー大王はそこで成長。

ブロンズの兜とゴールドのお面。
招待状にも使用した重要な作品。

引き続く発掘により、金の冠、兜、装飾品、ブロンズの剣、大理石や石灰岩の彫刻、モザイク、色彩豊かな壷、透明ガラスの壷・・・宝物が続々と地上に姿をあらわし、紀元前に栄え今はその姿を消してしまった古代マケドニアが、いかに重要な国であったかを世界は知ったのです。
今回ルーヴルでその主だった作品を紹介。古代の人類がいかに優れた文化を築いていたか伝わってきます。

アレキサンダー大王の大遠征によってその名は知ってはいたものの、
マケドニアが古代において、これほどの文化を築いていたことは、やはり驚異。

このような史跡が土の中に埋もれたままでなくてよかった。
そのきっかけを作ったフランス人考古学者に感謝。

そういえば、ナポレオンが子供のころから憧れていたのは、シーザーとアレキサンダー大王。ナポレオンも彼らのように大帝国をヨーロッパに造りたかったのでしょうネ。彼にこの展覧会を見て欲しかった。

2012年1月16日まで開催。

2011年10月9日

シャトレのつぶやき 48 読書の秋だって?


たまには新聞を読んだらどう?
 「日本ではね読書の秋っていって、みんな秋になると本を読むのよ。だから君も本とはいわないまでも、新聞くらい読みなさいネ」
そういってママンがフィガロという名の新聞を、ワタシも目の前でチラチラさせるの。

でも、ちっともわからない。ニョロニョロした字がどこまでもどこまでも並んでいるばかり。
ときどき写真もあるけれど、どれもワタシの好みじゃないの。

だから、興味を示さない顔をしてそっぽを向いたら、
本箱にのっていたら
カツジと仲良しになれるかな
 「君はほんとうに向上心がないのネ」
だって。
ナンだろう、そのコウジョウシンて。

「どうでもいいから、とにかく活字になれることね。だから、ほら、あそこの本棚にいって、活字と仲良しになりなさ~い」

《ネコと仲良しになるのならわかるけれど、カツジってどんな動物かしら。もしかしておもしろいかも》
そう思って本棚にのぼってみたの。

でも、ちがうのね。ちっとも動物じゃない。そうかといってオモチャでもない。
文字、モジ、文字、モジ。

読書の秋はもうイヤッ!
 こんなのと、とても仲良しになんかなれないワ。
ということで、さっさと本箱にサヨ~ナラ。

ワタシがしっている秋は、食欲の秋だけれど、時代が変わったのかしら。
と、悩んでいる今日このごろニャノ。

2011年10月1日

パリコレのシーズン

9月27日から10月5日まで、恒例のパリコレ。
毎回絶対に欠かさない
ディオールのショー。
そよ風が吹き抜けるような
清新な作品ばかり。
そのためにとても華やいでいるパリです。

この期間に世界中からジャーナリスト、バイヤー、顧客、モデルが大集合。
その人たちの装いが面白い。
特に今年目立つのは足元。
複雑でヒールも高く歩きにくそうだけど、
とてもファッショナブル。
これこそ動くアートとばかりに、それぞれ趣向が凝らされている。

特に目立った足元
パリコレはもちろん各メゾンの新作発表の場。
けれども招待客によっては、自分をアピールする日でもある。
そのために服装もかなり突飛な人もいる。突飛でないと目立たないのが事実。

昼間のショーであるにもかかわらず、そして、人々の視線がランウェイに集中することがわかっているにもかかわらず、カクテルドレスの人もいれば、ロングドレスもいる。派手な帽子をかぶったり、カラフルな奇妙な形のサングラスをかけっぱなしの人もいる。

個性的なおふたり
今年は世界的に大不景気。
でも、パリコレの会場にいるかぎる、それはまったく感じない。現実とかけ離れた独特な世界が形成されている空間だからです。

もちろんショーが終わって外に出ると、いつものパリ。
でも、たとえ30分という短時間であっても、非現実の世界を浮遊するのは心地よいことなのです。

パリコレのために
ロンドンから来た知人と。

つまりこの騒ぎも四回あるパリ。年に四回あるコレクション発表があるパリ。
そのたびに出かける私は、次回は何を着ていこうかと、今から気にかかる。
でも、こうしたことが細胞を刺激し活性化すから心身にいいはず。

そういえば、ファッションにこだわる人は元気で長生きの人が多い。
宇野千代さんをご覧なさい。
88歳の米寿のお祝いに、
振袖を着たではないですか。
彼女は99歳まで女性であることをやめなかった見上げるばかりの人。
だから私もいつまでもおしゃれを楽しんでいたいのです。

2011年9月28日

ルーヴル美術館で故宮(紫禁城)展開催

見事な演出の故宮展
フランス人の中国への関心は深く、
パリの東洋語学校でも中国語を学ぶ生徒数が一番多いそう。
それに拍車をかけるように、ルーヴルで大規模な故宮展を開催。
9月29日から一般に公開されます。

27日の休館日に、学芸員の2時間30分にわたる詳しい説明つきで一足早く拝見。
その充実した内容から、いかにフランスと中国が才知をあわせて
この展覧会実現に取り組んだかわかります。

展示されているのは、北京の故宮博物院所属の貴重な130点にも及ぶ作品。
故宮の模型
元王朝から約800年に及ぶ中国の王朝文化の素晴らしさ、そして雅が、それぞれの作品から漂ってきます。

主だった皇帝、皇妃の肖像画、彼らが使用していた調度品、服、皇帝直筆の書・・・
ルイ14世を模倣してカツラをかぶり洋風の服を着た皇帝の肖像画もあったのは以外。そういう皇帝もいたのですね。

圧巻は何といっても玉座。まるで、いまにもそこに皇帝が姿を現しそう。
城塞だった時代のルーヴルも
展覧会に一役かっています。
故宮の巨大な模型もあり、その設計図とルーヴルの設計図を並べて展示しているのが面白い。
このふたつの建造物は、ほぼ同じ時期にそれぞれの国の君主の居城だったのです。大きさの比較ができるのが興味深い。
両国の同時期の皇帝と国王の比較も面白い。


招待状にもなった
康熙皇帝の肖像画
会場は3つにわかれていて、それらをじっくり訪問していると、自分が今中国にいるように思えるから不思議。
外に出てはじめてパリにいることを再認識。

展覧会会場は3箇所あるので、ひとつだけ見て帰らないように。
2012年1月9まで開催。