ルル・ド・ラ・ファレーズ |
アクセサリーのデザインも担当していた
ルル・ド・ラ・ファレーズが、闘病の末11月5日に永眠しました。
由緒あるイギリス貴族の祖母、著名なマヌカンだった母、貴族出身のフランス人の父を持つルルは、
何よりも自由を愛する女性でした。
独自の感覚のルルは既成概念にとらわれることなく、服装にも考え方にも、生き方そのものに彼女ならではのスタイルがありました。
それがルルの無比の魅力になっていたのは当然のこと。
そうした女性だから、イヴ・サンローランと出会ったその瞬間から意気投合。
出会いからサンローランが亡くなるまで、ふたりは離れることがなかったのです。
イヴ・サンローラン |
ルルはいつかこのように裏話を語ってくれました。
「彼が沈んでいるときには、元気が出るようにすごく派手な服を着たり、おどけてみせたり」
ルルはサンローランのミューズだっただけではなかったのです。公私にわたっていなくてはならない存在だったのです。
彼女が画家バルチュスの息子と結婚したときには、率先して祝賀祭を催し、ゴージャスなシャンデリアをプレゼントしたサンローラン。
彼らを中心とする社交界は知的で、文化的で、華やかで、どれほど人々を魅了したことか。そのふたりとも去ってしまった。
寒さが一段と厳しくなった10日、サントノレ通りのサンロック教会で、
ルルへ捧げるミサがおこなわれました。
同じ教会で3年前にサンローランの準国葬がおこなわれました。
そのときルルが黒いサングラスをずっとかけていました。
その色の濃さが、彼女の悲しみの深さを代弁しているようで、
心に残ったことが昨日のように思い出されます。
教会の祭壇とミサの プログラムの表紙を飾った ルルの象徴的な写真 |
本当のパリらしいおしゃれが何であるかを、自らの装いで示していたルルは、
モード界に輝きを与えていた星だったのです。ルルははっきりした色を好む人。そうした彼女自身がカラフルで楽しい女性でした。
ミッテラン文化大臣、ピエール・ベルジェ、カトリーヌ・ドヌーヴ、イネス・ド・ラ・フレサンジュ、フランスの哲学者、イタリア貴族など各界の人々が集まったミサは、
彼女にふさわしく優美でした。