2021年1月24日

パリの犬たち 246

気に入った靴を見ると甘えたくなる~ 

「ネェ、ステキなお靴だから、ちょっとさわっていい?」
「まあ、ずいぶん変わったワンちゃん。いいわよ、どうぞ、どうぞ」

わ~~いと喜びながら近づいてみると、
ナンだかすごく怖そうなブーツ。なので遠慮します。

それよりお隣のスニーカーの方がいいわ。
やわらかくて肌触りも満点。しばらくこのまま甘えていたいワ~ン。

2021年1月21日

フランス革命時の議場

パリを散歩していると記念碑がたくさんあることに気が付きます。素晴らしいと思うのは、その記念碑に短いながら歴史が書かれていること。思いがけない場所に思いがけない歴史があったのだと、そうした記念碑を見て発見するのは、私にとって刺激でありときには感動です。

先日もリヴォリ通りを歩いていたら、チュイルリー公園の重厚な鉄柵に石のパネルがあるので近づいてみると、フランス共和国宣言がここで行われたと書いてある。そういえば、革命時の議会はころころと変わったものの、議場は同じでチュイルリー公園近くだと書いてあったのを思い出しました。「ああ、ここがそうだったのか」とすっかり感激。もちろんスマホで写真を撮りました。

「1792年、9月21日、共和国成立」と一番下に大きめの文字で書かれています。
その上は「憲法制定国民議会」「立法議会」「国民公会」と
革命の時の議会の変貌が綴られています。

ここは以前は屋内馬術練習所だったことも記念碑に書かれています。残念ながら建物は姿を消して跡形も残っていませんが、刻まれた歴史は大きく重要でした。その屋内馬術練習所に憲法制定国民議会が1789年11月9日から1791年9月30日まで、その後立法議会が1791年10月1日から1792年9月21日まで、国民公会が1792年9月21日から1793年5月9日まで置かれていたとも記念碑に書いてあります。

1792年8月10日、当時ルイ16世一家が暮らしていたチュイルリー宮殿に、暴徒たちが押しかけ、急遽宮殿から逃げ出し避難したのはここにあった立法議会の議場だったし、その後王政が廃止され国民公会になっていた時代に、ルイ16世の裁判が行われたのもここでした。

旧屋内馬術練習場が議場になったのでした。
現在のオランジュリー美術館の裏手です。

ルイ16世の裁判も行われました。

この建物が建築されたのは1721年で、当時チュイルリー宮殿に暮らしていた幼いルイ15世の乗馬の練習所が必要だったためです。長さ51m、幅14m、高さ9mの屋内練習所は国王のお気に入りでしたが、その後ヴェルサイユ宮殿に宮廷が置かれ、屋内馬術練習場は貴族の子供たちが使用するようになりました。革命の際には議会が置かれ、19世紀初頭にリヴォリ通りを造る際に取り壊されてしまったのです。

右の赤い文字Manègeが議場だった元屋内馬術練習場。
その右下はルイ15世広場。現在のコンコルド広場です。
左の白い8角形の広場はルイ14世広場で、現在はヴァンドーム広場。

現在は石の碑があるだけですが、激動の時代の歴史を刻んだ建造物があったかと思うと、一瞬立ち止まらないではいられません。

2021年1月16日

18時以降、フランス全土で外出禁止

ついに1月16日から2週間、フランス全土で18時以降から朝6時まで外出禁止となってしまいました。コロナ感染者の数字を見るたびに覚悟はしていたものの、やはり緊張感を覚えます。今のところ2週間ですが、この結果によっては外出禁止令延長か、3度目のロックダウンも考えられるそうなので、何とか一人ひとりが自覚して、そうならないようにしてほしい。

テレビニュースで通勤時間帯のメトロの映像を流していましたが、ほとんど例外なしにマスクをしているものの、乗客がひしめき合っているのを見て、あまり期待できそうもないと実感。

ワクチンの普及が一つの救いなのでしょうが、フランス人は懐疑的で約半分の人がワクチン接種を拒否しています。副作用が心配だというのがその理由で、通常、数年かけてワクチンを開発するのに、短い治験の結果生まれたので信用できないのです。それに加えてイギリスや南アフリカで変異種が出現し、フランスにも入ってきているので、今回のワクチンがそれに対して効果があるのかと不信感がますます高まる。しかもワクチン効果は半年くらいらしいので、それも接種拒否の原因になっているのでしょう。最悪状態のイギリスはそうも言っていられないので、接種がどんどん進んでいるようです。

イタリアレストランの看板娘ブランカちゃん。
数年ぶりの登場です。
レストランが閉まっているので、広い店内をひとり占め。

レストラン内に人がいないだけでなく、
お外にもだ~れもいない。
ン?もしかしたら、あれは珍しく人間かニャ。

今までの20時以降の外出禁止が18時以降となり、2時間の差が大きく感じられてなりません。レストランやカフェ、美術館、劇場が再オープンするのは、一体いつになるのでしょう。それまで、時々ブランカちゃんの愛らしい姿を見て心に平和を抱きながら、ポジティブに日々を送ろう。

外出禁止初日の今日、午後から雪。いまだに残っているクリスマス装飾と相まって、パリが美しく見えます。

2021年1月14日

メトロの駅名は語る 162

Varenne 
ヴァレンヌ(13号線)
近くにあるヴァレンヌ通りがそのままメトロの駅名になっています。18世紀にヴァレンヌ通りに多くの貴族が大邸宅を構え、今でも数件残っていて、官庁関係の建物や美術館になっているのもあります。
その中でもっとも重要なのは、首相官邸になっている57番地のマティニョン館。1723年、ゴワイヨン=マティニョン家がこの地に広大な屋敷を持ち、ジャック・ド・ゴワイヨン=マティニョンが、1725年、父亡き後館を引き継いだときから新たな歴史が加わります。

18世紀に建築されたマティニョン館。
館の裏に広大な庭園があり現在も健在です。

ジャック・ド・ゴワイヨン=マティニョンの妻はモナコ公女ルイーズ=イポリット・グリマルディで、後に彼女はモナコ公妃となり、彼女が世を去ると夫はジャック1世としてモナコを統治するようになったのです。父ジャック1世の跡を継いでモナコ公になった息子オノレ3世は、モナコのプリンセス、マリー・カトリーヌと結婚し、パリではマティニョン館に滞在し、ヴェルサイユ宮殿にも頻繁に通っていました。

ジャック・ド・ゴワイヨン=マティニョン(1689-1751)

ルイーズ=イポリット・グリマルディ
(1697-1731)

フランス革命の際の1793年7月、モナコはフランス共和国に合併され、モナコ公オノレ3世も1794年まで投獄され、後に釈放されましたが翌1795年に世を去ります。亡くなったのはマティニョン館だったとされています。
その後彼の息子オノレ4世が1804年に館を銀行家に売却。それ以降マティニョン館はナポレオンやオルレアン家の手に渡り、さらにパリ伯爵の住まいになったり、オーストリア大使館になったこともあります。第二次世界大戦後、フランスをナチス・ドイツ支配から解放した英雄、ド・ゴール将軍が住まいとし、1953年からフランス首相官邸になっています。


フランス首相官邸、マティニョン館。

現在ロダン美術館になっているビロン館は、18世紀初頭に裕福な金融業者アブラハム・ペイレンク・ド・モラス(1686-1732)がロココ風の私邸を建築させたのが始まりです。ド・モラスは館が完成する前に世を去り、未完成だった瀟洒な建物を未亡人から買ったのはビロン元帥(1700-1788)で、その名が現在まで残っているのです。

ロダン美術館になっているビロン館

ビロン元帥亡き後館の主が何度か変わり、館はいくつかに分けられ、ジャン・コクトー、画家マチス、彫刻家ロダンなど多くのアーティストが借家人として暮らします。1911年に館は国の所有となり、アーティストたちは立ち退かざるを得なかったのですが、1916年、ロダンは国に自分の全ての作品を寄贈することを条件としビロン館を手にし、1919年からロダン美術館となったのでした。

このほかヴァレンヌ通りの旧貴族邸が、イタリア大使館や農林水産省になっています。

2021年1月10日

シャネル没後50年

現代モードのパイオニアのシャネルが87歳の生涯を閉じたのは1971年1月10日で、今年はその50周年記念の年にあたり、モード美術館ガリエラでは回顧展「ガブリエル・シャネル」が開催されています。(現在はコロナの影響で閉鎖中です)

従来の服装に関する既成観念を次々に破り、女性たちの体や動きに解放感を与えたシャネルが、わずか50年前まで同じパリの空の下で生きていたのかと思うと、感慨を覚えます。服装の改革だけでなく、人生の生き方でも多くの教えを残したシャネルの業績があまりにも大きいので、歴史上の人物のように感じられるのです。そのような稀有な女性が、私たちと同じ20世紀を生きていたことが不思議に思えてなりません。


人生を力強く生き抜いたココ・シャネル。
亡くなる前年の1970年、カンボン通りの自宅でのシャネル。


シャネルは時代と共に変化する「流行」ではなく、一定の形式を表す「スタイル」つまり様式を築いたクチュリエです。それがいかに偉大なことかは、彼女が去って50年経った今でも、変わることなく残っていることからよくわかります。しかもシャネルの刻印は服だけでなく、バッグ、靴、アクセサリー、香水に至るまで多岐に及んで刻まれていて、これらすべての製品は、年月が過ぎても、世の中がいかに変わろうとも、一見しただけでシャネルだとわかるのは驚くべきことです。

ジャケットもバッグも、
ひと目でシャネルだとわかります。
特有のスタイルを保ちながら、
毎回のコレクションに新鮮味と変化を与えているのが、
大きな強みです。私も長年愛用しています。


シャネルの魅力、強さはそこにある。ブランド名を見なくてもシャネルだとわかるのは、それを持つ女性たちに満足感や幸福感を与え、自信が生まれ、自己肯定感が高まり、人生をポジティブに生きるようになるのだと思う。ココ・シャネル自身がそうであったように。


昨年7月出版のシャネルの生き方を綴った本です。
知れば知るほど稀に見る女性であることがわかりますので、
ご覧いただけたらうれしいです。

シャネルが生涯を閉じたのがわずか50年前なのは、私にとって驚くべきことですが、かの有名な香水「シャネル№5」が誕生して、今年で100年というのはそれ以上に大きな驚きです。香水名をナンバーにしたことも、装飾を徹底的に排除したシンプルなボトルも、あまりにもコンテンポラリーで、それが1世紀も前にクリエイトされたなどとは信じがたいのです。この香水は1921年5月5日、カンボン通りのシャネルのブティックで公式に発表されました。

「シャネル№5」の1921年のパブリシティ。

「シャネル№5」を発表した38歳の年に、
イギリス首相ウインストン・チャーチルと。

ココ・シャネルがいかに先進性に富んだ女性だったか、記念すべき年を迎えますます興味が深まります。ということで、今年もまたシャネルに関する本を手がけています。

2021年1月8日

メトロの駅名は語る 161

Liège
リエージュ(13号線)

リエージュはベルギー東部の工業都市で、第一次世界大戦のときにフランス侵略をもくろむドイツ軍相手に激戦が繰り広げられ、ドイツ軍を激しく攻撃し進軍を遅らせます。その功績を称えるために駅に名を残したのです。
19世紀にリエージュの町を取り囲むように、12の要塞が建築されていました。その要塞をめぐっての戦いは8月5日から16日まで続きました。当時、攻防戦の指揮を取っていたのはリエージュ生まれのジェラール・ルマン将軍でした。

ジェラール・ルマン-1851-1920)

ルマンの指揮のもとに3万の兵士が戦い、当初はドイツの攻撃にもかかわらず要塞は持ちこたえ、敵の予定を狂わせたのですが最終的にすべて破壊されます。ドイツに敗れたとはいえ12日間の防御戦闘は高く評価され、リエージュはレジオンドヌール勲章を受けたのでした。
リエージュの要塞で1914年で8月7日、
ドイツ軍相手の激しい戦いが繰り広げられました。

古い歴史を誇るリエージュは、多くの教会がある美しい街です。ハプスブルク家の支配下にあった時代もあります。フランス革命のときにフランスが、その後はネーデルランドルランドが支配し、1830年の独立運動の結果ベルギーの一部となったのです。

初期フランドル派画家、ファン・エイクの
1435年の名作「宰相ロランの聖母」に
リエージュの町が描かれています。

リエージュが神聖ローマ帝国の領地だった時代にはリエージュ司教領と呼ばれ、10世紀から18世紀のフランス革命まで、偉大な権力を持ち大きな繁栄をとげました。現在も過去の栄華を語る建造物が多く残っているし、軽くおいしいワッフル(ゴーフル)でも有名です。

2021年1月5日

カルティエ本店 工事中でも上質な輝きが

イギリス国王エドワード7世が「王の宝石商、宝石商の王」と称えたカルティエ。パリのラぺ通りの本店にはそれにふさわしい風格があり、前を通るだけで高貴な輝きを全身に浴びたように、幸福感に浸れます。建物の外観自体に歴史が刻まれていて、今ではパリのモニュメント的存在。

そのカルティエが工事中。昨年から始まっているのですが、全館のリニューアルをしているようで、完成までにまだまだ時間がかかりそう。こうした工事の間でも、宝石商の王としての品格を保つことにこだわるカルティエの配慮が素晴らしい。

工事中のカルティエ本店。
大規模なトロンプルイユで
パリの美観を損ねない心遣いが素晴らしい。
京都の趣が感じられ、思わず立ち止まってしまいました。

工事の人々が出入りするエントランスも、柱も、鉄柵も
このままとっておきたいほどキレイ。

作業にあたる人々が出入りするエントランスは、まるで本物のガラスがはめられているように描かれ、その左右に描かれている重厚な大理石の柱も、下を飾る整然とした長い鉄柵も実物とまったく同じに描かれている。

さすがだと思うのは、エントランス右手の網目模様の向こうに見えるショーウインドウ。全体をトロンプルイユにしないで実物のショーウインドウと組み合わせて、単調にならないように変化をつけるのは、芸術の街ならではの美的感性のあらわれです。

2021年1月3日

パリの犬たち 245

 新年だから、新しいお洋服

ワタシを溺愛しているパパが、
新しいお洋服を買ってくれたの。

今日、初めて着るんだけれど、
ナンとなく落ち着かないの。
ちょっと派手な色のせいかな。
ネ、ワタシの顔に似合っているか、
よ~く見てほんとうのことを教えてほしいワン。

2021年1月2日

明けましておめでとうございます!

 

2021年が皆さまにとって、
健康に恵まれ、喜び、楽しみ、希望、輝きに満ちた年でありますよう、
心から願っております。