パリを散歩していると記念碑がたくさんあることに気が付きます。素晴らしいと思うのは、その記念碑に短いながら歴史が書かれていること。思いがけない場所に思いがけない歴史があったのだと、そうした記念碑を見て発見するのは、私にとって刺激でありときには感動です。
先日もリヴォリ通りを歩いていたら、チュイルリー公園の重厚な鉄柵に石のパネルがあるので近づいてみると、フランス共和国宣言がここで行われたと書いてある。そういえば、革命時の議会はころころと変わったものの、議場は同じでチュイルリー公園近くだと書いてあったのを思い出しました。「ああ、ここがそうだったのか」とすっかり感激。もちろんスマホで写真を撮りました。
「1792年、9月21日、共和国成立」と一番下に大きめの文字で書かれています。 その上は「憲法制定国民議会」「立法議会」「国民公会」と 革命の時の議会の変貌が綴られています。 |
1792年8月10日、当時ルイ16世一家が暮らしていたチュイルリー宮殿に、暴徒たちが押しかけ、急遽宮殿から逃げ出し避難したのはここにあった立法議会の議場だったし、その後王政が廃止され国民公会になっていた時代に、ルイ16世の裁判が行われたのもここでした。
旧屋内馬術練習場が議場になったのでした。 現在のオランジュリー美術館の裏手です。 |
ルイ16世の裁判も行われました。 |
この建物が建築されたのは1721年で、当時チュイルリー宮殿に暮らしていた幼いルイ15世の乗馬の練習所が必要だったためです。長さ51m、幅14m、高さ9mの屋内練習所は国王のお気に入りでしたが、その後ヴェルサイユ宮殿に宮廷が置かれ、屋内馬術練習場は貴族の子供たちが使用するようになりました。革命の際には議会が置かれ、19世紀初頭にリヴォリ通りを造る際に取り壊されてしまったのです。
右の赤い文字Manègeが議場だった元屋内馬術練習場。 その右下はルイ15世広場。現在のコンコルド広場です。 左の白い8角形の広場はルイ14世広場で、現在はヴァンドーム広場。 |
現在は石の碑があるだけですが、激動の時代の歴史を刻んだ建造物があったかと思うと、一瞬立ち止まらないではいられません。
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