2021年1月14日

メトロの駅名は語る 162

Varenne 
ヴァレンヌ(13号線)
近くにあるヴァレンヌ通りがそのままメトロの駅名になっています。18世紀にヴァレンヌ通りに多くの貴族が大邸宅を構え、今でも数件残っていて、官庁関係の建物や美術館になっているのもあります。
その中でもっとも重要なのは、首相官邸になっている57番地のマティニョン館。1723年、ゴワイヨン=マティニョン家がこの地に広大な屋敷を持ち、ジャック・ド・ゴワイヨン=マティニョンが、1725年、父亡き後館を引き継いだときから新たな歴史が加わります。

18世紀に建築されたマティニョン館。
館の裏に広大な庭園があり現在も健在です。

ジャック・ド・ゴワイヨン=マティニョンの妻はモナコ公女ルイーズ=イポリット・グリマルディで、後に彼女はモナコ公妃となり、彼女が世を去ると夫はジャック1世としてモナコを統治するようになったのです。父ジャック1世の跡を継いでモナコ公になった息子オノレ3世は、モナコのプリンセス、マリー・カトリーヌと結婚し、パリではマティニョン館に滞在し、ヴェルサイユ宮殿にも頻繁に通っていました。

ジャック・ド・ゴワイヨン=マティニョン(1689-1751)

ルイーズ=イポリット・グリマルディ
(1697-1731)

フランス革命の際の1793年7月、モナコはフランス共和国に合併され、モナコ公オノレ3世も1794年まで投獄され、後に釈放されましたが翌1795年に世を去ります。亡くなったのはマティニョン館だったとされています。
その後彼の息子オノレ4世が1804年に館を銀行家に売却。それ以降マティニョン館はナポレオンやオルレアン家の手に渡り、さらにパリ伯爵の住まいになったり、オーストリア大使館になったこともあります。第二次世界大戦後、フランスをナチス・ドイツ支配から解放した英雄、ド・ゴール将軍が住まいとし、1953年からフランス首相官邸になっています。


フランス首相官邸、マティニョン館。

現在ロダン美術館になっているビロン館は、18世紀初頭に裕福な金融業者アブラハム・ペイレンク・ド・モラス(1686-1732)がロココ風の私邸を建築させたのが始まりです。ド・モラスは館が完成する前に世を去り、未完成だった瀟洒な建物を未亡人から買ったのはビロン元帥(1700-1788)で、その名が現在まで残っているのです。

ロダン美術館になっているビロン館

ビロン元帥亡き後館の主が何度か変わり、館はいくつかに分けられ、ジャン・コクトー、画家マチス、彫刻家ロダンなど多くのアーティストが借家人として暮らします。1911年に館は国の所有となり、アーティストたちは立ち退かざるを得なかったのですが、1916年、ロダンは国に自分の全ての作品を寄贈することを条件としビロン館を手にし、1919年からロダン美術館となったのでした。

このほかヴァレンヌ通りの旧貴族邸が、イタリア大使館や農林水産省になっています。