2011年10月15日

アレキサンダー大王の王国展

紀元前3世紀の
アレキサンダー大王の大理石像
中国の故宮展開催中に、ルーヴルはもうひとつ大規模な展覧会を開催。
それが、アレキサンダー大王の王国、古代マケドニア展。
フランスとアレキサンダー大王?
どんな関係?
そう、何だか接点がないようですが、実はあるのです。

アレキサンダー大王が生まれた古代マケドニアは、何世紀もの長い間、謎に包まれてその実態がわからなかったのです。
ところがフランスの考古学者レオン・ウゼイが大掛かりな発掘を行ない、古代に栄華を誇っていたマケドニア王国の君主の宮殿跡らしきものを発見。1855年のことでした。

けれども資金不足や疫病で発掘を断念。
そのまま忘れられていたのが、1977年にギリシャの考古学者間マノリス・アンドロニコスが再開。宮殿跡だけでなく、王家の人々の墓も発見し世界を驚かせました。
その中には、アレキサンダー大王の父ピリッポ二世の墓もあったという貴重な発掘。ピリッポ二世の宮殿は12500平方メートルもあり、
アレキサンダー大王はそこで成長。

ブロンズの兜とゴールドのお面。
招待状にも使用した重要な作品。

引き続く発掘により、金の冠、兜、装飾品、ブロンズの剣、大理石や石灰岩の彫刻、モザイク、色彩豊かな壷、透明ガラスの壷・・・宝物が続々と地上に姿をあらわし、紀元前に栄え今はその姿を消してしまった古代マケドニアが、いかに重要な国であったかを世界は知ったのです。
今回ルーヴルでその主だった作品を紹介。古代の人類がいかに優れた文化を築いていたか伝わってきます。

アレキサンダー大王の大遠征によってその名は知ってはいたものの、
マケドニアが古代において、これほどの文化を築いていたことは、やはり驚異。

このような史跡が土の中に埋もれたままでなくてよかった。
そのきっかけを作ったフランス人考古学者に感謝。

そういえば、ナポレオンが子供のころから憧れていたのは、シーザーとアレキサンダー大王。ナポレオンも彼らのように大帝国をヨーロッパに造りたかったのでしょうネ。彼にこの展覧会を見て欲しかった。

2012年1月16日まで開催。