もはや戦うほかない
国王が3時間にも及ぶ抵抗に凛とした態度を示し、表面的には国民たちの怒りが収まったかのようでしたが、王の権力に対する不満や怒りの炎は燃え続けていたのです。いつそれが爆発するかわからないので、外に出ることも控え、ひたすら宮殿内に留まっていました。
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チュイルリー宮殿の庭園は ヴェルサイユ宮殿の庭園を手がけた造園家ル・ノートル。 典型的なフランス庭園で、どこまでも幾何学様式。 国民たちが自由に入れたので、連日にぎわっていました。 でも、悲しいことに私たちはそれさえも出来なかったのです。 |
衛兵に囲まれてたとはいえ、彼らの中には、革命家の影響を受けて、裏切り行為に走る人がいるかも知れないと、宮殿の中でさえも緊張していました。それに耐えられなく、毎日のようにフェルセンさまにお手紙を書いていました。危険があちらこちらにはびこっているので、お手紙はすべて3人称で、しかも暗号で書いていました。とはいえ、その多くは心底から忠実な王党派ゴグラ男爵にお願いしていました。万が一没収されても誰が何を訴えたいのか判断しにくい内容で、例えば、
急いでください。時間がないのです。あなたのお友だちは大変危険な状態にいます。病は怖ろしい勢いで進んでいるのです
といったお手紙でした。
それでもフェルセンさまは、きちんとわかってくださっていたのです。お手紙で、多額の資金をフランスから外国、特にベルギーに運ばせたこともお知らせしました。オーストリア=プロシア連合軍が軍資金を必要としていると思ったからです。革命家たちの動きも、もちろん細かくお知らせしていました。
私もフェルセンさまも、国王一家が捕らわれの身から解放されるためには、連合軍がパリに攻め入り、革命家たちの軍を徹底的につぶすことしかないと考えていました。側近の中には、命がけでパリからの脱出をお手伝いします、と申し出て下さった方がいましたし、ラ・ファイエット将軍は、7月14日のシャン・ド・マルスでの2回目のバスティーユ監獄襲撃記念の連盟祭の折に、国民がお祝いに酔っているころを見計らって逃亡するのが最良などと、具体的な案を出していました。でもどれもお断わりして、熟練兵で固めた連合軍がパリに進軍し、自由になる日を待ちわびていたのです。
7月になると連合軍の動きが活発になったとの噂が広がり、迎え撃つ準備がまったくなく慌てた議会は「祖国は危機にある」と大げさな宣言をしました。それに動かされて、フランス各地からパリを目指して多くの兵が集まってきました。14日には愛国者の集まりの連盟祭もあるので、それに間に合うように大挙してパリに向かったのです。
そうした中に、南仏のマルセイユで結成した義勇兵たちがいました。遠方から来る彼らは、14日の祭典には間に合いませんでしたが、行進の間に、愛国心を高めるために歌を歌っていました。それはストラスブールでルジェ・ドゥ・リール大尉が作曲したもので、その地域の守備にあたっていたライン軍団のための行進曲だったのです。けれども、歌詞も曲も革命派を勇気付けるもので、特にマルセイユ義勇兵たちの心を打ち、長く厳しいパリへの道をこの歌を合唱しながら進んでいたのです。
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作曲した曲を披露するルジェ・ドゥ・リール大尉。 |
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その楽譜 |
以前から、私はメルシー大使を通して連合軍に宣言書を書くよう依頼していました。革命家たちに威圧感を与えるのが目的ですが、刺激するような言葉は使わないでほしいと伝えていました。連合軍の目的は、国王ルイ16世の自由と権利を以前のように認め、国王一家の安全を確保することであり、国内政治に干渉するつもりは一切ない、という内容を希望していたのです。宣言書は、連合軍総司令官ブラウンシュヴァイク公が手掛けましたが、最後に付け加えた内容は革命家だけでなく、それまで王家寄りだった人々の怒りさえもかうものだったのです。
連合軍総司令官が発表した宣言書の最終行に書かれていたのは、
パリ市とパリ市民は直ちに国王に服従すべし。
万が一、チュイルリー宮殿に押し入ったり、国王、王妃、その他の王家の人々に暴力、侮辱を与える場合には、見せしめとして永久に残る容赦ない刑罰を受けることになる
これは怖ろしい脅しの文です。
ブラウンシュヴァイク公はプロシア王家の親戚の身分が高い家柄で、妃として迎えたのはイギリス国王ジョージー3世の姉君オーガスター・オブ・ウェールズでした。戦いが好きな軍人で、アメリカ独立戦争にも参加したような人ですから、連合軍総司令官として威圧的な文を加えたかったのでしょうか。
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ブラウンシュヴァイク公爵 プロシア=オーストリア連合軍総司令官。 |
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ブラウンシュヴァイク公爵が発表した 宣言書の一部 |
7月25日に発表された脅迫的なこの宣言書は、直ちにパリ中に知れ渡り、あらゆる階級の人々を激怒させました。人々は王政が続いている限り祖国を救うことはできない、自分たちが望んでいる自由と平等の国家は生まれない、王政に終止符を打つためには、国王は邪魔な存在だ、と思うようになったのです。
国民は今や一致団結して、一刻も早く行動に移らなければならないと血を沸かせ、ますます危険な状態になりました。それは、連合軍に軍事的介入を求めた私が願った結果と正反対の事態を招いたのです。団結した国民が、今後どのような行動に移るかと心配で、夜もゆっくり眠れないほどでした。