2010年7月20日

ヴーヴ・クリコ その2

シャンパンの
唯一の生産国である
フランスでは、
ルイ16世がロシア皇帝に寄贈した
と思われているシャンパンの話は、
見逃せない重要な出来事。

ついにそのボトルの写真が
公開されました。
すごいですね。
歴史がしっかりと
しがみついているといった感じ。
何しろ230年も前の製品なのだから当然と言えば当然。
それだけでも大変な価値がある。
それなのに、あのルイ16世からロシア皇帝へのプレゼント。
しかも、シャンパンを運んでいた船が難破したなどとは、
小説そのもの。

視界が悪いために、
一本しか引き上げられなかったそうだけれど、
残りの30本の他にも、
何か宝物とかがあったかも知れないなどと、
私の夢はぐんぐん広がるばかり。
当時のロシア皇帝は、かの偉大なエカテリーナ二世。
権力の座につくために手段を選ばなかったすご腕女性。
その反対に
ルイ16世は気弱で臆病な人。
そうした二人のこと、何か他にも約束事があったに違いない。
船に乗っていた人たちの
遺体もあるかも知れないし、
彼らが船上で使用していた食器などもあるかも知れない。
何だかだんだんタイタニック号みたいに
なってきたけれど、
こちらは王家の船だし、
230年前のこと。
歴史の深さや重要性が違う。
ああ、一刻も早く難破船を徹底的に探検して、
すべての事実を知らせて欲しい。

ところでシャンパンの権利は誰のもの?
それを見つけたダイバーたち、
国が買い取ったのだからフランスのもの、
あるいは受け取るはずだったロシアのもの?
などど、私は私レベルで心配しています。

2010年7月19日

ヴーヴ・クリコ その1

本当に驚くべきことです。
バルト海でスウェーデンの7人のダイバーが発見したシャンパンが、
誰もがあこがれるあのヴーヴ・クリコ。
しかも、ルイ16世が1780年代に
ロシア皇帝に贈ったという、
歴史的に重要なものらしいのです。

シャンパンは、
海底55メートルに沈んでいた
難破船の中で発見。
その一本を地上に運び、
ヴーヴ・クリコを生産しているモエ・シャンドン社で、今、調査中。
コルクにイカリのマークがあり、
それはヴーヴ・クリコのみが使用していたということから、
事実である可能性が高い。

ボトルを開けて試飲したところ、
稀にみる絶品だそうで、
関係者は興奮状態。
それはそうです。
夏のヴァカンスどころではありません。
海底には
まだ30本ほど沈んだままだそう。
これから引き上げるのでしょうが、
大騒ぎになること間違いなし。
報道されているように、
これが本当に1780年代の製品で、
フランス国王からロシア皇帝に
寄贈したものであれば、
味はいいし、歴史はあるし、
世界最古の飲むことが可能な
シャンパンでもあるので、
競売で記録的な価格で売れると、
騒ぎは広がる一方。
海底に眠っていたために、
光から守られ、
水の温度も
保存に最適だったそうなのです。

記録によると、
ルイ16世がロシア皇帝に贈ったシャパンは、
皇帝のもとに届かなかったということなので、
バルト海で難破したことは十分に考えられる。
ワクワクする話ではないですか。

ビジネスウーマンの草分けの
ヴーヴ・クリコ〔写真右上〕も、
調査結果を今か今かと待っているはず。
私も待っています。
二つの重要な王家がからんでいる話だけに、
興味はつのる一方。
一刻も早く調査報告をしてほしいですね。

2010年7月17日

シャトレのつぶやき18 今日はワタシのバースディ

そう、いくら小さいといっても
ワタシにもバースディがあるの。
それが今日7月17日なの。13歳よ。時が経つのが早いわね。
それでプレゼントを
ナニにしようかって、
ママンは数日前から
騒ぎ出したの。
「何にしようかな、
何にしようかな」
ってワタシの顔を
見るたびに言うの。
こういうことは本当は心の中で言うものよね。

それで、あっちこっちのブティックやデパートに行って、結局買ってきたのがコレ。
最初ナンだかわからなくて、
びっくりしていたけれど、
思い切ってさわってみたの。
そうしたらやわらかくって、
ふわふわしているの。
おいしいのかと思って
食べてみたけれど、
モジャモジャしていて、
とてもワタシの口に合わない。
それを見てママンが言うの。

「何しているのよ。
これはネズミのおもちゃ。
食べ物じゃないのよ、見ればわかるでしょ」
本当はおいしいモノの方がいいのに、
ちっともネコ心をわかろうとしない人。
まあ、コレも運命とあきらめているけれど。
もしワタシに日本からたくさんのプレゼントがあるのだったら、
飛行機を送るから遠慮しないでネ。
あ、でも、ワタシの飛行機は
ジェットエンジンはついていないの。
紙で出来ているの。そう、紙飛行機なの。
エッ、それじゃナニも運べないだって?
でも、いいの、気持ちだけでうれしいワ。
ワタシってほんとうに奥ゆかしいでしょ?
だからこの人気を保っているのネ、きっと。
最近はワタシのことをもっと書いてというリクエストが多いんだって。
よくわかるわ、ワタシ。
それにしても今年のパリの夏は暑い。
ママンにジッパーをつけてもらって、毛皮を脱ごうかしら。
でも、やっぱり素肌を見せるのが恥ずかしいから、
というか、みっともないから、
今のままのスタイルにするわネ。

2010年7月14日

パリ祭

7月14日はパリ祭の日。
フランスが誇る軍隊の行進が
シャンゼリゼで華々しく行われるのです。
ビシッとした制服に身を固めた軍人たちの、
一糸乱れぬきびきびとした行進は、いつ見ても気持ちがいい。
どの顔も整って見えるし、
すごいエリートのようにも思える。
こうした人がいる限り、
フランスは安全だなどと
本気で思えるのだから、
制服の力は本当に強い。

空では、
フランスが世界に誇る戦闘機が、
ものすごい音をあたり一面に轟かせながら
勢いよく飛ぶ。
そのハイライトは何といっても赤、白、青、
つまり国旗の色の煙を巻きながらの飛行機の空中行進。毎年見るたびに、しかもテレビでなのに、鳥肌がたつほど感動する。

これを見たら
誰でもフランスの軍事力の強さも、
軍事産業のすごさも感じてしまう。
そして、やはりフランスは素晴らしい国だと
感激してしまうのです。

パリ祭の日、エリゼ宮殿でガーデンパーティー。

ところが、経済が最悪な今年は、
軍隊の行進の後の
大統領官邸エリゼ宮での
ガーデンパーティーはなし、との発表。
経費節約です。残念。
エリゼ宮などめったに行けない私は、
ときたまのガーデンパーティーを楽しみにしていたのに。
でもこうした事態です、当然。
何しろ5000人も招待するのです。
経費も莫大。
エリゼ宮殿でのガーデンパーティーに招待され、
夢のようなひと時を過ごしました。

こうなると、以前の写真が
貴重な存在になります。
いつまた再開されるか
わからないのだから。

早く経済が立ち直って欲しいですね。
とは言っても、
パリの目抜き通りのブティックが、
毎月どこかが閉鎖されているのを見ていると、先は長そう。
それに加えてこのところ続いた異常な暑さ。
そしてパリ祭の日は雷とドシャブリの雨。

いろいろな意味で生き延びるのが大変な今日この頃です。

2010年7月10日

日本大使公邸でオペラの夕べ

パリ市内には、昔、
貴族が住んでいた瀟洒な邸宅が数多く残っていて、
そうした館が現在、
官庁関係の建物として使用されているケースが多い。
フォーブール・サントノレ通りの日本大使公邸も
そうした邸宅のひとつ。

歴史をひも解いてみると、
この建物は1718年に、
偉大な国王ルイ14世の侍従長の館として
建築されたとのこと。
さすが歴史の宝庫パリです。

その後何代かオーナーが変わり、
ナポレオンの時代を迎えると、
彼の兄ジョゼフの邸宅となります。

ナポレオンの出世に伴いジョゼフはナポリ王の座につき、
パリを離れ、その間に、
ナポレオンの妃ジョゼフィーヌが
最初の夫、ボーアルネ子爵との間に持った息子ウジェーヌが
住んでいたこともある。
その後改築が行われ、日本大使公邸となったのです。

こうした由緒ある歴史のぬくもりがある公邸で、
オペラの夕べが開かれました。
しかも、ソロ・オペラ。
つまり、ひとりのオペラ。

團伊玖摩さん作曲、
衣装、コシノ・ジュンコさん、
ソプラノ歌手、家田紀子さんの歌と語りで
「夕鶴」。
フランス人の招待客のために、
要所要所でフランス語のナレーションという配慮が素晴らしい。
日本独特の情緒ある民話をテーマとし、
白い着物と白い羽衣をまとってのソロ・オペラは、
優雅で精美。
まじかで観賞出来るのも、
こうした場ならでは。
その後は和食ディナー、
そして庭園で食後の談話。
そこでも家田さんが特別に歌を披露してくださり、
夏の美しい忘れえぬ夕べが続きます。
こうした隠れた日本の芸術を、
公邸で紹介して下さった斎藤泰雄大使に
感謝、感謝。
サウジアラビア大使、ロシア大使を歴任してきた
ベテラン大使ならではの、
とてもおしゃれな企画。
この次は何を・・・と期待に胸がはずむばかり。


2010年7月7日

オートクチュール

世界的な経済危機が
語られている中、
恒例のオートクチュールが始まりました。
トップを飾るのはいつもの通りディオール。
ロダン美術館の庭園に
テントが張られ、
招待客が華やぎを振りまきながら
次々と到着。
が、いつもと少し様子が違う。そう、
会場の規模が小さくなっていたのです。
通常の半分くらい。もしかしたら、
それ以上に小さかったかも。

けれどもガリアーノによるコレクションの中身の濃さはさすが。
どのマヌカンも華麗な花となって、
そこにいたすべての人を
平和で幸せが満ち溢れる花園へと誘惑。
たとえ刹那的であっても、
マヌカンが身につける服が織り成す花園に身を置けるのは、幸せ。
今回はクリスチャン・ディオールが発表した
チューリップ・ラインへのオマージュ。
彼の故郷、
ノルマンディーの実家の庭園に咲く花も美麗な姿で登場。

こうした場には、
やはりおしゃれな人が多い。
最新流行は招待客を見れば
一目瞭然。
オートクチュール健在を示した
ディオールですが、
その反面、ジヴァンシーはショーをしないと発表。
やはり経済危機は深刻なのですネ。
テレビでは、予算大臣が真剣な引き締めを
真剣な顔で呼びかけ、
もう黙っていられない、
様々な分野への国の援助金を大幅に減少する、
この危機に対しての国民の自覚を求めるなどと、
恐ろしいことを語っている。
せめてそうした現実を
このオートクチュールの期間は忘れていたい。

2010年7月2日

モナコ、フィアンセはシャルレーヌ

婚約の公式写真
モナコのアルベール二世大公とシャルーレヌの
正式な婚約記念写真が公開。
こうして見ると平凡な表現だけれど、
お似合いですね。
本当に平和で豊かさが満ち溢れているモナコにふさわしい。

ところでこの写真を撮るにあったって、
アルベール二世は父母の写真を見習ったようです。
おふたりの55年前の婚約時代の写真は、
宮殿の庭園で植物をバックに撮影。今回も同じ。
その時グレース・ケリーが着ていたドレスは、
無地のパステルグリーン。シャルレーヌも同じ。

こうしたことからも、アルベール二世がいかに母がモナコに与えたイメージを大切にしているかわかります。

だから結婚にも時間がかかったのでしょう。
アルベール二世は52歳、シャルレーヌは32歳。
婚約指輪はレポシ作。そういえば、先日のスウェーデン王女の結婚式のときにシャルレーヌがつけていたのもレポシのイヤリング。

モナコに本店があるモナコ公室ご用達の宝飾店です。
イギリスの元皇太子妃ダイアナに、恋人のドディーが準備した婚約指輪もレポシの作品。
何がそれほど魅力かというと、デザインが独創的で、ゴジャースでそれでいて品格がある。すでに宝飾品をいくつも持っている人にはたまらないようです。

もちろん私はひとつも持っていない。アルベール二世がこの婚約指輪を手にしたのは、発表の前日。レポシ自身が宮殿に持参したそうです。このことからも、いかに婚約が急だったかわかります。式は来年夏。

ホテルはもう満席のはず。
モナコにとって55年ぶりの君主の結婚式なのだから、華やいだ結婚式になりそう。日本からはどなたがお見えになるのかしら。皇太子さまと雅子さまかしら。今後この結婚式に関する報道がフランスで増えること間違いなし。

何しろ、アルベール二世が生まれなかったらモナコはフランスに合併される運命にあったのだから。ということで私も情報の報告に忙しくなりそう。

2010年7月1日

シャトレのつぶやき17 バーゲン、バーゲン

きのうの6月30日のことだけど、ママンが朝起きて、こう言ったの。
「今日から大バーゲンが始まるのよ。だから君は一日中お留守番」
そう言ってワタシの頭をチラッとなでて、
「君の好きなカンヅメをたっぷり入れておいたから、これで生き延びていてね」
とさっさと出かけてしまったの。お水もかえたし、ミルクも入れてくれたから、まあ、許してあげよう、と寛大なワタシ。

ところがナニをしているのか、午後になっても戻って来ないママン。
ワタシはすることもないから、好き勝手な格好でひっくり返っていたの。夕方になってやっと帰って来たかと思うと、
「すごかった、すごかった、ああ疲れた」
と、ドサッとソファーにくずれる始末。
フランスはバーゲンの日が全国的に決まっていて、それを知るとすぐに、仕事の予定を変えたり学校を休んでさえも行くみたい。
とはいっても、一日中バーゲンのハシゴをするわけにもいかないので、
その数日前から準備。
自分が買いたい服をバーゲン前に試着して、
お店の一角に一まとめにしておく人もいるんだって。
たくさん買う人はトランク持参だって。みんなそれぞれ苦労しているのね。
「バーゲン製品を売るんじゃなくて、今までのを50パーセントも引くのよ。
定価で買うのがバカバカしいくらい」
そういう経験がいくつもママンにはあるのです。
デパートも初日は特別に8時オープン。
それを知らないで10時ころに行ったママンは、
すれ違う人が大きな袋をいくつも抱えているものだから、
自分が買いたい物を全部他の人に買われてしまったかと、大変だったみたい。
ほら、彼女はとにかくおおげさだからネ。
この騒ぎはまだまだ続くようなので、
ワタシの孤独な日々も続くのヨ。
かわいそうなワタシ。