彼女がパリで亡くなって
すでに13年。
にもかかわらず、
事故現場のアルマ橋の上には、
いつもお花が捧げられています。
アルマ橋の上にある
大きな金色の炎の記念碑。
そこに
お花や手紙を捧げるのです。
なぜなら多くの人が、
それがダイアナのための記念碑だと思っているから。
自由の炎 誰が捧げたのか 13年記念の文字も 見られます。 |
この記念碑は「自由の炎」と呼ばれ、
1989年のもの。
当時ダイアナはその美しい姿で
人々を魅了していた最中。
しかもイギリスとまったく関係がなく、
アメリカがフランスに寄贈したもの。
パリの「自由の炎」は、ニューヨークの
自由の女神像の炎と同じ大きさ。
これにはわけがあるのです。
フランスはアメリカ独立戦争に
多くの援助をした国。
当時の国王はルイ16世。
そう、革命で処刑されたあの国王です。
国の経済が悪くなり、
革命を起こすまでになった理由のひとつは、
このアメリカ独立戦争への援助があるのです。
それなのに、国王の命が危うくなっても
助けようとしなかったアメリカ。
理解しにくいことですね。
ダイアナに想いをはせ、 お花と手紙が一年中あります。 |
フランスはアメリカに自由の女神像をプレゼント。
それがニューヨークの自由の女神像。
それからさらに100年たった1986年に修理を行い、
炎も新たに。
その際、再びフランスが援助。
そのお礼がアルマ橋の「自由の炎」となったのです。
このように記念碑はダイアナとは無縁ですが、
そのすぐ下のトンネルで事故にあった彼女のために、パリを訪れる人は何かしないではいられない。
ダイアナの恋人ドディの父が経営する
リッツホテルとともに、
ダイアナを偲ぶ旅に
欠かせない存在の「自由の炎」。
そのすぐ下のトンネルで事故にあった彼女のために、パリを訪れる人は何かしないではいられない。
ダイアナの恋人ドディの父が経営する
リッツホテルとともに、
ダイアナを偲ぶ旅に
欠かせない存在の「自由の炎」。
いずれにしてもダイアナは
歴史に残る女性。
王室の近代化を試みた勇気あるダイアナが、
現代女性の共感を呼ばないわけがない。
プリンセスであり、美しく、若くして悲劇的な最後だっただけに、
いつまでも記憶の奥に残るダイアナです。
歴史に残る女性。
王室の近代化を試みた勇気あるダイアナが、
現代女性の共感を呼ばないわけがない。
プリンセスであり、美しく、若くして悲劇的な最後だっただけに、
いつまでも記憶の奥に残るダイアナです。