2010年8月31日

ダイアナ妃

8月31日はイギリスのダイアナ妃の命日。
彼女がパリで亡くなって
すでに13年。
にもかかわらず、
事故現場のアルマ橋の上には、
いつもお花が捧げられています。
アルマ橋の上にある
大きな金色の炎の記念碑。
そこに
お花や手紙を捧げるのです。
なぜなら多くの人が、
それがダイアナのための記念碑だと思っているから。

自由の炎
誰が捧げたのか
13年記念の文字も
見られます。
ところが、残念ながら事実は異なるのです。
この記念碑は「自由の炎」と呼ばれ、
1989年のもの。
当時ダイアナはその美しい姿で
人々を魅了していた最中。
しかもイギリスとまったく関係がなく、
アメリカがフランスに寄贈したもの。

パリの「自由の炎」は、ニューヨークの
自由の女神像の炎と同じ大きさ。
これにはわけがあるのです。

フランスはアメリカ独立戦争に
多くの援助をした国。
当時の国王はルイ16世。
そう、革命で処刑されたあの国王です。
国の経済が悪くなり、
革命を起こすまでになった理由のひとつは、
このアメリカ独立戦争への援助があるのです。
それなのに、国王の命が危うくなっても
助けようとしなかったアメリカ。
理解しにくいことですね。

ダイアナに想いをはせ、
お花と手紙が一年中あります。
アメリカ独立が実現し、その100年記念の1886年に、
フランスはアメリカに自由の女神像をプレゼント。
それがニューヨークの自由の女神像。
それからさらに100年たった1986年に修理を行い、
炎も新たに。
その際、再びフランスが援助。
そのお礼がアルマ橋の「自由の炎」となったのです。
このように記念碑はダイアナとは無縁ですが、
そのすぐ下のトンネルで事故にあった彼女のために、パリを訪れる人は何かしないではいられない。
ダイアナの恋人ドディの父が経営する
リッツホテルとともに、
ダイアナを偲ぶ旅に
欠かせない存在の「自由の炎」。
いずれにしてもダイアナは
歴史に残る女性。
王室の近代化を試みた勇気あるダイアナが、
現代女性の共感を呼ばないわけがない。
プリンセスであり、美しく、若くして悲劇的な最後だっただけに、
いつまでも記憶の奥に残るダイアナです。