1815年の ワーテルローの戦い |
イギリス・ベルギー連合軍がベルギーのワーテルロー近辺に駐屯していることを知ったナポレオンは、そこに強力なロシア軍とプロシア軍が合流する前に徹底的にたたこうと計画し、軍を進めました。
ライオンの丘 |
226段の階段ものぼりました。 |
以前に一回訪問したことがあるけれど、
何しろ今年はロシア遠征200記念の年。それに続く最後の大戦だから、と自分なりの勝手な理由をつけての旅。
こうした場所は訪問するたびに感動があるもの。
ワーテルローで最初に目につくのは、なんといっても小高い丘の上のライオン像。高さ約40メートルの丘は、連合軍側のオランダ王太子が負傷した場に作らせた人工的なもの。戦いで命を失った兵士への慰霊碑でもある。
ナポレオンの総司令部が 置かれた畑の中の農家 |
226の階段をのぼると戦地が一望でき、そこに両軍の多くの兵士の血がしみ込んでいるかと思うと感無量。この戦いでフランス軍兵士30、000、連合軍兵士25、000が死傷。
頂上までの階段はかなり急で、何度か立ち止まり、そのたびに兵士の苦労を思えばこれくらいのこと、と比較にならない比較をしながらやっと到着。
ナポレオンがワーテルローで 使用した野戦用ベッド |
畑の中の農家を急遽司令部にした家は小さいけれど、中に展示してある多くの品の価値は大きい。
ナポレオンの野戦用折りたたみ式ベッド、彼がワーテルローでも身に付けていた指輪、頭髪、日本も参考にした部分がある「ナポレオン法典」、戦略会議に使用した長テーブル、そのほか武器、ナポレオンのデスマスク、数点の肖像画など。
ここまでの道のりが不便なためか、訪問する日本人は少ない。
ナポレオン法典 |
日本語のオーディオ解説があるほど。その司令部はワーテルロー市内にあり、もともとホテルだった建物でより豪華だからかも知れませんが、ぜひナポレオンの無念の思いが満ち満ちている司令部にも足を運んでほしい。
ナポレオンがワーテルローで 身につけていたダイヤのリング。 連合軍兵士が盗み後に返却 |
ドイツのフランクフルト出身ロスチャイルド家は、そのとき創立者から数えて二代目。
5人の息子たちがヨーロッパの主要都市でそれぞれ金融業を営み、ロンドンのネイサン・メイアー・ロスチャイルドがフランス・ロスチャイルドを通して、いち早くフランス敗北の兆しを知ったのです。
その結果、極秘でフランを売りポンドを買う計画を立てる一方、イギリスでは逆にイギリス敗北の偽の情報を流し、ポンドを売らせ価格が大幅に下がったときに大々的に買い占めたという、ナポレオンもびっくりの戦略。
これがロスチャイルド財閥の基盤を作ったというから、想像を絶するほどの、大げさにいえば天文学的数字の利益だったに違いない。
ワーテルローの戦いで 大々的な利益を得た ネイサン・メイアー・ロスチャイルド |
ハプルグルグ家も有利な結婚や血族結婚によって領土を拡大し、権力安泰にやっきになっていたのだから、歴史に名を残す家系が教えてくれることは破格。
もっともそれは過去のことで、近年は本人の自由意志ということ。よかったよかった。