ルイ17世になった息子
国王が世を去ったからには、その息子を直ちに新たな国王とすることです。それはフランス王家の習慣なのです。私たちもルイ15世が世を去った日に、「国王崩壊」「新国王バンザイ」と貴族たちの祝福を受けたのです。当時と状況はまったく異なりますが、捕らわれの身であっても、フランス王妃の誇りを持っていた私は、その習慣を守りたかったのと同時に、革命への秘かな反発でもあったのです。
![]() |
| 父を失った時、息子は7歳の少年でした。 |
![]() |
| ブロンドの髪とブルーの瞳の 明るくおしゃまな子で、私の宝物でした。 |
夫が処刑された1793年1月21日には、ルイ=シャルルは7歳の幼い子供でしたが、この日、タンプル塔でルイ17世になったのです。
息子を直立させ、その前にひざまずいた私は
「ルイ17世バンザイ」
と小さな声で即位のお祝いをしました。
もちろん、革命を起こし共和国になったフランスでは認められませんでしたが、認めてくださった国もありました。私の祖国オーストリアをはじめとし、プロシア、イギリス、アメリカ、スペインが。
![]() |
| 本来なら華やかな服装で、立派な即位式をあげる息子が、 捕らわれの身で塔の中で即位せざるを得なかったことが、 あわれで仕方ありませんでした。 |
夫が処刑され、息子が非公式にルイ17世となりましたが、新国王が幼く、しかもタンプル塔に幽閉されていて何もできないからには、我こそがブルボン家の家長であると、義理の弟プロヴァンス伯が亡命先のコブレンツで摂政を宣言しました。
そうした話を耳にしても、私たちは無関心でした。ただその日その日をひっそり生きているだけでした。
今までは夫が階下に暮らしていて、いつか会える日がくるかも知れないという、かすかな希望を持っていたのですが、今やそれも打ち砕かれました。
最初の数日は会話も途絶え食欲もなく、ただ茫然と過ごしていました。そのうち、気を取りなおして楽器を奏でたり、刺繍をしたり、子供たちとゲームしたりしながら、長い1日を過ごすよう努力しました。
![]() |
| 夫を失ってから、私たちは何の目的もなく、 ひっそりと暮らしていました。 |
| 夫の妹とふたりで刺繍タペストリーを手がけたこともあります。 ヴェルサイユ宮殿に暮らしていた時から、私たちは同じ趣味を持っていたのです。 これはタンプル塔で作った作品です。 |
未亡人になった私は喪服を身に付けたいと希望を告げると、直ぐに届けてくれました。服だけでなく、黒いヴェールや靴も扇もありました。それ以後私は喪服しか着ませんでした。自慢していたブロンドの髪の毛はすっかり白くなり、自分でも一挙に年をとったことがわかりました。これほど早く喪服を着る運命におちいるとは、想像もしていませんでした。
![]() |
| 喪服しか着なくなった私は、朝晩のお祈りの時間が 以前よりずっと長くなりました。 |





































コメントを投稿