2010年3月31日

不死の人シモーヌ・ヴェイユ

© D.R.

フランスを代表する女性政治家だったシモーヌ・ヴェイユの、アカデミー・フランセーズ入り就任式が、フランス学士院で行われました。これで彼女は不死の存在の人と呼ばれるようになったのです。フランス知識人最高峰のアカデミー・フランセーズの会員は、終身会員なのでこのように呼ばれるのです。1650年に創立されてから719人目。

ユダヤ人であるために、第二次世界大戦のときに強制収容所に連行され、母をそこで失い、父と兄は行方不明。ヴェイユの自伝によると、彼女は「ここで死ぬには美しすぎる」と待遇が良かったという。

戦後政界に入り厚生大臣だったときに、
妊娠中絶の法案を可決させたのはヴェイユの徹夜の熱弁でした。
これにより女性の立場が強くなり、その後ヨーロッパ議会の議長にも就任。こうした男顔負けの業績にもかかわらず、おしゃれで、シャネルスーツを素敵に着こなしている。彼女のスーツ姿は仕事を持つ女性の模範だと、私はあこがれています。

時にはガラパーティとかディナーで見かけることもありますが、
その凛とした全身から無数の輝きの粒子が発散されていて、圧倒されます。席が遠いので言葉を交わすなどということはありませんが、彼女と同じ部屋にいる、同じ空気を吸っているというだけで、その稀に見る知性や不屈の精神、パワーのかけらがもらえそう。

女性大臣が増えているフランスですが、シモーヌ・ヴェイユに匹敵する実力者は他に見当たりません。就任式に彼女が身にまとった制服はカール・ラガフェルド作でフランソワ・ルサージュの刺繍入り。
やはりシモーヌ・ヴェイユは何から何まで本物の人なのです。

2010年3月25日

シャトレのつぶやき7 ネズミってなあに?

 
世の中にはワタシが知らないことが多すぎる。
いつだったか、アパルトマンの管理人のマニュエルが、見たこともない箱を持ってきたの。
「お宅はネコがいるから必要ないでしょうけれど、管理会社からの指示なので置いていきますが」
って言いながら、わけのわからないその箱をキッチンに置いていったの。
それを見てママンが言う。
「いやになっちゃうわね。地下の水道工事をしたときから、数件にネズミが出るようになったんだって。だからネズミ取りを置いていったのよ」
そう言われてもワタシにはさっぱりわからない。
だって、ネズミなんて見たことがないんだもん。

それから何日かたったある日の夜中、ワタシは見たの、黒っぽい小さい生き物を。もちろんママンは眠っていたから見たのは私だけ。
それがすごくかわいいの。小さい体をクルクル動かしながら、壁に沿って歩くのよ。時々立ち止まって、目を動かして様子をさぐっているみたいだったわ。ワタシは遠くから眺めていたから、その生き物はワタシに気がつかなかったみたい。そのうちその生き物はワタシのお皿に近づくじゃないの。ナニをするのかなって見ていたら、小さい両手をのばしてワタシのお夜食をひとつつまんで、さあ~てすごい勢いで電子レンジの後ろに消えてしまったの。ワタシはただびっくりするばかり。声も上げなければ、追いかけることもしなかったの。

次の日もまた小さい生き物が来て、同じようにワタシのお夜食を持っていったわ。ワタシは夜中に起きたことをママンには何も報告しないでいたの。毎日来てくれるので、お友だちができたみたいでうれしかったくらい。
そういう夜が何回か続いたある日の朝、
「ちっともネズミがかからないわ。ということは、我が家にはいないってことよね。あるいは君がいるから怖くて出ないのかも」
ってママンがワタシに言う。
「もしかしたら、ネズミ取りに付けたエサがよくないのかも」
そう言ってママンは冷蔵庫からカマンベールのチーズを取り出して、
やわらかくておいしそうな部分をつけてあげるじゃないの。
しかも高級なカマンベールよ。そうしたら、いつものように夜中に出てきたお友だちが、ワタシのお夜食には見向きもしないで、カマンベールめがけては箱の飛び込んだの。そのとたん、大きな音がして箱のフタが閉まったの。お友だちもびっくりしたみたいだけれど、ワタシもびっくり。
ママンが起きてくるまでじっとお友だちが入っている箱を見つめていたの。
わぁーん。
ネズミちゃんとお別れなんてさみしいよ~
やっと朝になって目覚めたママンはキッチンに入るなり「あら、ネズミだわ。やっぱりいたのね」
だって。それでワタシはお友だちがネズミだって知ったのよ。
箱に入ったままのお友だちをママンはビニール袋に入れて、
「じゃ、ちょっと待っててね」
と言いながら出かけてしまったの。
どうするんだろう。ワタシはとても心配でしかたありませんでした。ママンが帰ってくるのを首を長くして待っていると、ドアを開けるなりワタシの頭をなでながら語ってくれました。
「あのネズミを公園に放してあげたの。あそこなら緑も多くて空気もいいし、レストランもいくつもあるから食べ物にも困らないと思って」
ああ、なんてやさしいママン。

その後なぜかネズミはぴったり来なくなりました。
本当はたまに遊びに来てほしいのだけど・・・・
それにしてもネズミが嫌われネコがかわいがられるなんて、世の中すごく不公平。
きっとネズミたちもそう思っているにちがいないわ。かわいそうに、グスン
そう思うワタシはナンていい性格の持ち主でしょう。

2010年3月20日

愛子さま


そうなのです。ついにフランスでも報道されてしまいました。
はい、愛子さまのことです。
日本の8歳のプリンセスが学校でいじめられ、腹痛を訴えたり、
登校拒否をしているとはっきりと書いてあります。

信じられない出来事ではないですか。
マリー・アントワネットの本を二冊も書いた
熱烈な王党派である私の心は痛むばかり。
まだ幼く、しかも皇室にふさわしい気品ある平和なお顔としぐさの愛子さまが、通学している学校で同じ学校の生徒にいじめられるなどとは、信じようにも信じられない。
皇室の方々が通うからには選ばれた学校であり、
選ばれた生徒ばかりかと思ったら、そうではないのですね。
これではどの国のどの学校とも同じと思われても仕方ない。

フランスは共和国ですが王党派の人が今でもとても多いのです。
自分たちの力で王政をこわし、正式な王家がなくなってしまったために、
それを悔やんでいるかは人それぞれですが、とにかく、外国の王家の動きに
非常に敏感だし、興味しんしんなのです。

日本には親切で礼儀正しい人ばかりが住んでいる、
そういう人しかいないと本当に信じている人も多いので、
今回の愛子さまのいじめはショックのようです。
日本人へのイメージも大きく変わりそう。
イギリスのチャールズ皇太子も学生時代にいじめられていたようですが、
あちらは男性。愛子さまは少女。
早く以前のように学園生活を楽しんでほしいものです。
そのために皆様のご協力を、ぜひ。
健康で明るい皇室こそ、日本人の心のよりどころなのだから。

2010年3月14日

北野武展

コンタンポラリーな芸術作品を展示し、
そのたびに話題を呼んでいるカルティエ現代美術財団で、個性的な北野武展を9月半ばまで開催中。
ガラス張りの建物に展示されている意表をついた作品は、道路からもよく見え、道行く人の足をくぎ付けさせないではいない。

「絵描き小僧」というタイトルの楽しさ、面白さ、思いがけないさは、会場に展示されている絵、オブジェ、立体アトラクションから四方に発散されています。そのどれも混じりけのないカラフルな色彩。
「ペンキ屋の息子だから」
と記者会見でさらりとその意図を語る。
「子供がここで楽しんで、何かを学んでくれればいい」そう語る北野さん自身、彼の心が求めるままに絵を描き、オブジェを作ったことがわかります、子供の純粋な精神のままで。
ピカソやマチスに興味があることは、その構図や色づかいから特に絵で一目瞭然。

どの作品にも見られる
思いもよらない発想は、
彼の映画と同じように、常人を越えたもの。
立ち止まり、何を訴えているのか思考し、そしてまた、果てしない空想をかき立てないではいない作品ばかり。
アメリカ人には理解されず、フランス人に愛される理由のひとつがそこにあるのではないかしら。

2010年3月12日

イヴ・サンローラン大回顧展

イヴ・サンローランが亡くなって2年目の今年、彼のために最後の最後まで全身全霊を捧げ支援し続けていた実業家ピエール・ベルジェが、サンローラン大回顧展をプティパレで開催。それは20世紀を飾ったモードの巨匠にふさわしく豪華で豪華で豪華。

サンローランが40年間に製作した約5000点のオートクチュールの中から、代表的な作品約300点を選んで展示しているこの展覧会は、モードのためのみに人生を捧げたサンローランへの、ベルジェからの最大のオマージュ。そのどれも長い年月を経ているのに、現代性を少しも失っていないことに驚かされます。
「イヴ・サンローランは女性に権力を与える服を作った。女性に自由を与えた」
というベルジェの言葉に、いまさらながらサンローランの服装革命の偉大さを認識。
パンタロン、スモーキング、シースルー、サファリルック、アートとモードの融合・・・・
サンローランなしでは今日見られるようなモードは生まれなかった。

一点一点の作品をまじかで見ていると、サンローランが執務室に私を迎えてくれたときの、あの恥ずかしそうなしぐさや、優しい声、握手したときの細い指のぬくもりがよみがえり、ただただ感無量。展示されている作品の語りが、彼の声となって耳に届いてくるかのよう。
生前から「伝説の人」と呼ばれていたほどのサンローランに会い、会話をし、息吹をまじかで感じ、手に触れることができたことは、私の人生の玉手箱の中で、ひときわの輝きを放つ宝物。

2010年3月10日

細川護熙パリ個展

凱旋門を目前にする瀟洒な旧邸宅にあるパリ三越エトワールは今、
日本の美に彩られています。それというのも、由緒ある武家と公家の血を引く、
細川護熙氏の作品展が開催されているため。

700年にも及ぶ、皇室に続いて2番目に古い歴史を持つ細川家は、代々文芸に格別な関心を抱き、世界各国の美術品を幅広く収集してきた家柄。そうした秀でた作品に囲まれながら育った細川護熙氏には、比類なき感性が宿り、それを今回の展示会で形あるものとしてじっくり観賞できます。
約120点の陶器、書などの展示演出も、すべて細川氏自身によるもの。日本の伝統を重んじつつ、細川護熙氏ならではの創造性を織り込んだ作品はどれも品格があり、心が浄化され、精神が高揚します。

一般公開に先立つ前夜の3月8日夕刻レセプションが行われ、
様々な分野の方々が多数参加。賞賛のため息と語りが館内を交差する中、細川ご夫妻が常になごやかな笑顔で対応。
「ムッシュー・ホソカワの顔には、日本の歴史ある美が刻まれている」
と、フランス人美術評論家が感想を述べていたのが印象的でした。

展示会場は三階にも及び、細川氏がシラク元大統領を迎えるために、湯河原の敷地内に建築させたお茶室も実物大で再現。そこで細川氏作の茶器でお茶を楽しめるだけでなく、お茶室の窓から凱旋門が一望できるという画期的なアイディア。それこそ日本とフランスの文化の貴重な交流。

世界の長い歴史上、首相を務めた後、完全に政界から離れ、
アーティストの道をひたすら歩む人は、世界広しといえども細川護熙氏ただひとり。

このところ様々な問題でイメージダウンぎみの日本。
そうした中での細川護熙氏の展覧会は、
日本人ならではの精神性、美意識の高さを再び世界に知らせ、
ポジティフな眼を向けさせることになる素晴らしい催しです。

パリ三越エトワール
細川護熙展 3月9日~5月15日

2010年3月7日

芸術的なパリ 続き

またまた新しい工事が
数ヶ所で始まり、
そのどれもこれも個性的な囲みで工事現場をカバー。
オペラ座の改装、
エルメスの改装、
そしてプラダはナンと囲みの装飾を時々変えるという凝りかた。
そのおかげで街の景観が変わり、いつもと違うパリが見られる今日この頃。
本当にどこまでも刺激的なパリ。
絵になるパリ。