2024年2月6日

マリー・アントワネット自叙伝 19

義理の弟と妹たち

皇太子さまには弟と妹が二人ずついました。弟のひとりは、生まれてすぐにプロヴァンス伯の称号を授けられました。生まれた年も月も私と同じで1755年11月。私は2日生まれで弟は17日。なんだか日が多少ずれた双子みたいで、最初からあまりいい感じを持っていませんでした。


予感通り、プロヴァンス伯は何かにつけて夫と私につらくあたっていました。特に私たちになかなか子供が生まれないので、世継ぎはこの自分だ、と言いふらしていたような人なのです。その弟自身も、結局、子供に恵まれませんでした。プロヴァンス伯がお妃を迎えたのは、私がデュ・バリー夫人に声をかけた1771年の5月で、2歳年上のサルデーニャ国王の王女、マリー・ジョゼフィーヌ・ドゥ・サヴォアさまが選ばれました。

義理の弟プロヴァンス伯。
王座を狙っていた性格が悪い人。


さほど美人でなかった彼女は、プロヴァンス伯爵夫人になってヴェルサイユ宮殿に顔を出すようになっても、注目されませんでした。義理の姉の私にも儀礼的な態度で接していて、心からの親しみを持つことはありませんでした。プロヴァンス伯は私を毛嫌いしていただけでなく、夫を無能だと言ったり、目に余る野心家で、ほんとうに嫌な性格でした。彼が狙っていたのは、フランス国王の座だったのです。


もう一人の弟はアルトワ伯で2歳年下。明るい性格で私と気があい、一番の仲良しでした。ゲームをしたり、一緒に劇を演じたり楽しい思い出がたくさんあります。彼は何と、プロヴァンス伯のお妃の妹マリー・テレーズ・ドゥ・サヴォアさまと結婚したのです。美型の弟は全く乗り気ではなかったのですが、ルイ15世が国益のために決めた人。それでもおふたりの間に4人もの子供が生まれたのですから、役目をちゃんと果たしたと言えます。

明るく、楽しいことが大好きで、
私と気が合っや義理の弟アルトワ伯。

こうした弟たちの他に、妹も2人いました。夫の妹たちは気立てがよく、気が合い、大好きでした。妹のひとりクロティルド王女さまは、私がヴェルサイユ宮殿に暮らすようになってわずか5年後に結婚されたので、あまり長いお付き合いはありませんでした。クロティルド王女さまの結婚相手は、後年にサルデーニャ王国の国王カルロ・エマヌエーレ4世になった人。その方のふたりの妹が、皇太子さまの弟のプロヴァンス伯とアルトワ伯と結婚しているのですから、何だか複雑な気持ちです。どなたも祖父ルイ15世が決めた結婚です。よほど国王はこの家がお気に召していらしたのでしょう。

義理の妹クロチルド王女さま。

夫と私と一番気が合った
従順なエリザベート王女さま。

サルデーニャ王国を支配していたのはサヴォワ家。ルイ15世のお母さまマリー=ジョゼフ・ドゥ・サクスさまの実家だったのですから、お気持ちはよくわかります。


8歳年下の末の妹エリザベート王女さまは信仰心があつく、私をほんとうの姉のように慕っていました。結婚することもなく、最後の最後まで私たちと行動をともにしていました。そうした王女さまは私が心から信頼できる唯一の人でした。


こうした義理の弟妹たちとヴェルサイユ宮殿で生活していましたが、飽きっぽくて刺激が必要な性格の私は、パリに行きたいという思いが強くなる一方でした。儀式ばかりで大した変化がない宮廷生活に、うんざりしてきたのです。それに比べてパリは活発な街。一日も早く行きたいと思うばかりでしたが、皇太子妃ともなるとそう簡単ではないのです。

 

ずっと待ち続け、願いがかなったのは1773年で、結婚から3年目でした。