脱出計画
思わぬ出来事がありました。タンプル塔に配置されていた役人トゥーランから、ぜひ脱出計画を立てたいと連絡があったのです。
1792年8月10日のチュイルリー宮殿襲撃に参加したトゥーランは、パリ政府コミューンの信頼を受け、私たちがタンプル塔に幽閉されると、その年9月5日から見張り役として塔に派遣されていたのです。 情熱的で寛大な31歳のトゥーランは、私たちを身近で見張っている間に、同情を寄せるようになったようです。夫は心が優しく気さくな人で、私には生まれの良さを放つオーラがあると語っていました。すっかり私たちの味方になったトゥーランは、表面的にはコミューンの役人として振舞っていましたが、新聞売りにお金を払って、その日その日のニュースを大声で叫ばせ私たちに情報を与えさせたし、時には、あぶり出しインクやレモン汁で書いた、秘密の手紙のやり取りの仲介も引き受けてくれました。
そうした貴重な存在のトゥーランが逃亡計画を話したのです。でも、いかに彼を信頼しているとはいえ、さすがに決断をひとりで下せないと思った私は、ジャルジェイ将軍に相談することにしました。 将軍は最初の奥方を亡くした後、私の侍女だったルイーズと再婚していました。そのルイーズもジャルジェイ将軍とは再婚で、亡くなった彼女の最初の夫は私のハープの教師だったのです。
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| ジャルジェイ将軍 |
軍人として有能で、夫からも信頼を受けていたジャルジェイ将軍は、亡命貴族や義理の弟たちが暮らしていたドイツのコブレンツに亡命したのですが、夫が希望したし、私たちの身が心配でパリに戻っていたのです。 未亡人になった私にとって、ジャルジェイ将軍は大きな心の支えでした。 トゥーランから計画を打ち明けられた私は、彼に私からの手紙を持たせ、ジャルジェイ将軍に会いに行くようにと伝えました。見も知らない人物が突然現れたら、きっと疑いを持つにちがいないと思ったからです
・・・私からの手紙を貴方に渡すこの男性を、信用なさって大丈夫です。
彼の心の内を、私はよく存じ上げています。
5ヵ月前から、ずっと変わらない気持ちを抱いているのです。
2月2日、トゥーランから私の手紙を受け取った将軍は、それでも直ぐに信用しなかったようで、私に会うためにタンプル塔に入れないものかと尋ねたのです。 私のためなら何でもするトゥーランは、毎日夕方に塔に明かりを灯すために通ってくる点灯係りに、愛国者の友人が一度塔の中を見たいと言っているので服とランプを貸してもらえないかと、報酬を渡しながら頼んだのでした。いとも簡単に誘いに乗った点灯係りの服を着たジャルジェイ将軍は、無事に私のお部屋に入ることができたのです。
トゥーランとジャルジェイ将軍は、この計画を実現するためには、もうひとり協力者が必要と思い、役人ルピトルが選ばれました。彼はだパリ大学の修辞学教授でしたが、革命初期に、新時代をつくるのだと革命派の仲間入りをし、1792年12月上旬からタンプル塔で私たちの監視役になっていたのです。ところがルピトルは、時が経つに連れて私たちに同情するようになったのです。
脱出の計画は短時間で具体化していきました。塔から出るには変装しなければならないので、私とエリザベート王女さまは役人のユニフォームを身に付け男装し、息子と娘は点灯係りの子供になりすまし、父親の仕事に付き添ってきたことにする。その変装に必要な服は、トゥーランとルピトルが準備することも決まりました。馬車は3台準備し、私と息子、ジャルジェイ将軍が一台に乗り、娘はルピトルと同じ馬車で、エリザベート王女さまとトゥーランも一緒の馬車に乗る。3台の馬車はノルマンディー地方にある港町ディエップまで行き、そこから船でイギリスに渡る。このように詳細が決まりましたが、パスポート取得をまかされたルピトルが、その手続きに手間取り、一向に許可が出なかったのです。そのために、ルピトルはすっかり自信をなくし、計画に恐れを抱くほどになったのでした。
そうしている間に警備が厳しくなり、4人一緒に脱出するのは危険が大きすぎるとジャルジェイ将軍が懸念し、私だけ塔から救出することにしたいと言い出したのです。 私の気持ちは、はっきりしていました。子供たちを危険な中に残して、自分だけ助かって、どうして生きていけるでしょう。私の最大の生き甲斐は息子であり娘なのです。ジャルジェイ将軍から計画を変更したいと告げられたとき、私は一瞬も躊躇しないで自分の思いを手紙で伝えました。
・・・私たちは美しい夢を見たのです。ただそれだけのこと。
でも貴方の私に対する不変の思いを知ることができたのは、
大きな収穫でした。
私が貴方に抱く信頼は無限です。
貴方は、私に気骨と勇気があると見ていらっしゃるようですが、
息子のためになることだけが、私をそうさせるのです。
ここからひとりで出て、どのような幸せを感じられるのでしょう。
息子と離ればなれになることには同意できません。
子供たちなしでは、いかなる喜びも得られないのです。
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| ふたりの小さな手をとりながら、 緑豊かな庭園を歩くのは、私の最大の喜びでした。 |
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| プティ・トリアノンの庭園で幸せなひとときを過ごしていた 娘と息子。仲良しの姉弟でした。 |
今後もずっと、恐らく生涯、タンプル塔に幽閉されたままだと覚悟した私は、自由の身の将軍に、夫の遺品を、義理の弟プロヴァンス伯に届けるように依頼しました。 それは、夫が革命広場に向かう直前に、私に渡して欲しいと侍従クレリーに頼んだ、指輪、印章、頭髪です。それらはすべて役人に取り上げられ、彼らが保管していたのですが、勇敢なトゥーランがそこからこっそり取り出して、私に届けてくれたのです。
でも、捕らわれている私が身近に置いていることに大きな危険を感じ、亡命しているプロヴァンス伯が持っている方が安全だと思ったのです。それに、彼は摂政を宣言したのですから、そうした人の手元に置くのが道理だと考えたのです。それに加えて、もうひとつ大切なものも将軍に委ねました。それは、あの方、一時として忘れなかった、愛しいフェルセンさまに届けて欲しい指輪の写しです。その指輪には、あの方と私のシンボルになっていたハトが空を舞い、その上に標語が刻まれていたのです。「すべてが私をあなたにもとに導かせます」 と。
この指輪は、タンプル塔で細々と生きている私の貴重な心の糧でした。ジャルジェイ将軍にその指輪の写しを委ねるとき、「昨年末、私に会いにブリュッセルからいらした方にお渡しください」 と。 あの方のお名前は言わずに頼みました。そして、この標語は、今ほど真実であることはないのです、ともその方にお伝え下さい」 と付け加えました。
フェルセンさまがそれを受け取ったかは、わかりません。きっと手にしたと信じることによって、気を強くするよう心掛けていました。あの方は、ルイ16世が処刑されたからには、王妃は実家のオーストリア王家に戻られるべきである。従って、祖国は何とかするべきだと、かつての駐仏大使メルシーに強く訴えていたそうです。
私のお嫁入りのときから、ずっと見張り役を忠実に務め、お母さまに事細かく報告していたメルシー伯爵は、革命が起きると、オーストリア領ネーデルランド内のブリュッセルに亡命し、そこでオーストリアの外交代表として働いていたのです。フェルセンさまは何とかして私を救い出したいといろいろお考えになり、メルシー伯爵の協力を得ようと思ったのでしょう。
でも、当時のオーストリア皇帝、私の甥にあたるフランツ2世は、ポーランド領土分割でプロシアやロシアと戦っていて、フランスに捕らわれている馴染みもない叔母のことなど、どうでもよかったのです。
その後もバッツ男爵が脱出計画を立てましたが実現できませんでした。



































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