2010年6月25日

モナコ アルベール二世大公婚約


モナコのアルベール二世大公が6月23日、急に婚約発表。
お相手は、数年前から非公式のフィアンセと言われていた、
南アフリカ共和国の元競泳選手4.

シャルレーヌ・ウィットストック。〔英語読みだとシャーリーン〕
先日のスゥエーデン王女の結婚式にも
同伴で出席。その直後なので、
多分それに刺激されたのでは、とパリでは噂。

もうひとつの説は、
その結婚式にシャルレーヌも出席したけれど、
民間人なので、王族に必要なティアラを彼女はつけていなかったし、
結婚記念撮影にも参加出来なかった。
さらに、いくつかの行事にも出席出来なかった。
それを不憫に思った大公が、急遽、婚約発表をしたというもの。

いずれにても、これで晴れて正式のフィアンセ。
水泳選手として金メダルをいくつもとったスポーツウーマン。
それでいてチャーミングで、しかもエレガント。
モナコのファーストレディーとしての、
申し分ないセンスと抜群のプロポーションの持ち主。

これほど婚約発表が遅れたのは、
グレース・ケリーのオーラが今でもモナコに光り輝いているので、
それを損ないたくなかったとか、
グレース・ケリーに匹敵する魅力を
シャルレーヌが持っているのか不安だったとか、
さらには、それを国民が認めてくれるだろうかと、
いろいろと様子を見ていたようです。

何はともあれ、これで一安心。  
結婚式は2011年の春か夏とのこと。
レーニエ大公とグレース・ケリーの 
あの伝説的、熱狂的な華やぎが、
その時再現されるのか、今から楽しみ。
何といってもモナコはそうした話題が似合う国なのだから。
                                 

2010年6月20日

スウェーデン、王女の結婚

         
くったくのない笑顔がチャーミングなスウェーデン皇太子ヴィクトリア王女が、ついに結婚。お相手はダニエル・ベストリング、元高級ジムのオーナー。

彼は民間人。王女がそのジムに通い、特別コーチを受けていたことから、ロマンスが生まれたという本物のラヴストーリー。
やはり身分違いが問題になり、王女は両親の説得に何年もかけたとか。

考えてみると、王家の人が民間人と結婚したのは、明仁天皇と美智子皇后がほぼ最初だったのではないかと思います。
何しろそれは1959年のこと。そうなると、日本はそうしたことに理解のある、非常に近代的精神を持つ国ということになります。

その後、現在のスウェーデン国王はドイツ人の民間人と結婚したし、
ヨルダン国王も、モロッコ国王も同じ。
将来国王になるスペイン、ノルウェー、オランダ、デンマークの皇太子も、皆、お相手は民間人。その誰もが、魅力的な女性ばかり。
もちろん国の代表としての知識や教養も豊かで、顔にも態度にもあられている。

ヴィクトリア王女のシンプルなドレスと対照的なのが、歴史を感じさせるカメオを施した重厚なテイアラ。それもそのはず、もともとは、ナポレオン皇帝の妃ジョゼフィーヌが愛用していたもの。ナポレオンからジョゼフィーヌへのプレゼントで、製作者は宝石商ショーメ創立者のニト。

それがなぜスウェーデンに?
それには深いわけがあるのです。
ジョゼフィーヌが最初の夫との間に持った息子ウジェーヌが、
母の形見としてそのテイアラを受け取り、ウジェーヌの娘ジョゼフィーヌに、
そのテイアラをプレゼントしていたのです。
彼女はスウェーデン皇太子オスカルと結婚し、やがて王妃の座に。
オスカルの母デジレはナポレオンの初恋の人、父はナポレオンの部下だった人。
そして結婚したのが、ナポレオンの最初の妃ジョゼフィーヌの孫娘。
ということで、その子孫のヴィクトリア王女はナポレオン、ジョゼフィーヌと非常に深い関係がある人なのです。

民間人との結婚で、世界の王室が変化を見せている今日。
それに一番敏感なのは、革命を起こし、王家を失ったフランス。
それでも、王家の血筋を引く子孫があちこちにいると言い張っているけれど、現代のフランスで王政復古が起きる可能性はゼロ。その必要さえない。
それだけに他国の王室が気になって仕方がないフランス人。
ノスタルジーは果てしなく続く運命なのです。

2010年6月19日

ワールドカップ  

原稿がちっとも進まない。
なぜって、テレビでワールドカップを実況中継しているため。
何しろ今日は日本対オランダ戦。これを見逃すわけにはいかない。テレビを見たりPCを見たり、大変な思いです。
試合開始の前に日本の国歌が演奏され、見るからに若い選手たちが、神妙な顔で歌っている姿には、ほんとうに心が打たれる。こうした思いは、祖国から遠い所にいるとより一層強い。
と書いているうちになんと、オランダが一点入れてしまった。
ああ、今頃日本では、さぞかし大騒ぎだろうなどと、常に心は日本と共にある。
フランスは今回は最悪で、今のところ〇点。「情けない」「みじめだ」「誰の責任か」などと言う言葉が飛び交うばかり。
それでもサッカーの人気は強く、パリのどのカフェもテレビをつけっ放し。
コーヒーやビールを飲みながら、
ボールの動きにつれていろいろな奇声があがります。

もともと私はサッカーにまったく興味がなかったのに、
日本が国際舞台で活躍するようになってから、いきなりファンに。
こうした女性は多いはず。
ひとつのボールをめぐって、
広いグランドを力いっぱい走る選手たちを見ていると、
体中の細胞がわくわくする。
これほど心を騒がす
スポーツはない。
それというのも、
一点を獲得するのに、
あれほどの力量を必要とするからだと思う。
サッカーのルールはほとんどわからないけれど、
それはそれでいい。
結局、日本は負けてしまった。
でも、力ある試合を見せてくれたので、
快適な気分。
原稿は一行も書けませんでした。

2010年6月18日

あれから70年

           
あれからすでに70年。いえ、私はまだ生まれていなかったけれど、こう年中報道されては、誰だって気になります。ド・ゴールがイギリスのBBCを通して、フランス人に呼びかけたことです。
それは1940年6月18日、つまり第二次世界大戦さなかのこと。

フランスは大戦初期に、いとも簡単に戦いに敗れ、ドイツに支配され、屈辱の日々を送っていたのです。
そのときシャルル・ド・ゴールが、こんなフランスには耐えられないとばかりに、ロンドンに向かい、BBC放送を通してフランス人に武器を取りドイツ相手に戦い、自由を勝ち取ろう、と熱弁をふるったのです。
ド・ゴールって誰?というほど知られていなかったのに、彼に呼びかけを許したイギリスのチャーチルはやはり大物。そして、住まいもないド・ゴールに家を提供し、支援を惜しまなかった宝飾商カルティエも偉かった。
その結果、フランス全土で愛国心が芽生え、激しいレジスタンス運動がおき、ついに、フランス開放。ド・ゴールは英雄として称えられ、シャンゼリゼで勝利の行進を行い、その後大統領に就任。
その70周年記念の式典のために、サルコジ大統領は早朝にロンドンへ。
シャンゼリゼ大通りのド・ゴールの像。

そして午後パリに戻り、シャンゼリゼにあるド・ゴールの像に花束を捧げ、セーヌ川近くにあるチャーチルの像にも花束。こういうときは、やはり平等でないと国際問題に発展する危険があるかも。

夜はアンヴァリッドで光と音楽の祭典。
50周年記念の時には、当時のラジオをコンコルド広場に復元。そこからド・ゴールの演説を流していました。パリの人はこうしたことに本当にマメで、楽しいし、かわいらしい。

コンコルド広場を飾ったに当時のラジオの復元。

それにしても、戦勝国は頻繁にこうした記念日を祝うものなのですね。しかも、そのたびに町中にある記念碑に花が捧げられる。ということで、世界大戦はいつまでも人々と共にあるフランス。
そういえば、パリ開放の戦いの際の弾丸の跡も、防衛庁などの壁にちゃんと残してあるパリなのです。

2010年6月17日

画家、高田賢三展覧会

画家として数年前から活躍している
高田賢三さん。
パリで初の展覧会。
エリゼー宮殿の正面にある、
ピエール・カルダンのギャラリーが
その展示会場。

日本の伝統芸術のお能をテーマとし、
カラフルな色合いもあれば、
気品が匂い立つ淡い色合いもある。
お能ならではの古典的な静寂に、
現代の息吹が感じられるのは
さすが賢三さん。

彼が服のデザイナーとして
活躍していたときも、
着物の着心地の良さを生かしたデザインと、
鮮やかな色彩が魅力でした。
昨年から学生街近くの新居で、
新たな生活を始めた賢三さんですが、
大半はモナコで生活。
そこにあるアトリエで制作に専念。
外国からのご招待も多く、
あちこち飛び回っている賢三さんは、
いつも現役。
彼の辞書に「引退」という文字はないのです。

精神もハツラツだし、体もハツラツ。
近くにいるとパワーが伝わってきます。
きっと彼自身が発光体なのでしょう。
太陽のように、世界に必要な人。

オープニングパーティーにいらした
斎藤泰雄駐仏大使、賢三さんと一緒のこの写真。
いつまでも思い出に残る貴重な一枚。

2010年6月15日

シャトレのつぶやき16 ファースト首相

ワタシ、いまとっても悩んでいるの。
だって、また日本の首相が変わったじゃない。

お友だちから、
「日本の首相の任期は一年なの?」
って聞かれるの。
それはそうよね、毎年変わるんだもん。

だからお返事に困っているの。
「べつに任期は一年じゃないんだけれど」
と答えているけれど、ナンでこんなにかわるのか、
理解に苦しむばかり。

ファーストフッドがあって、
ファーストファッションがあって、
ファースト首相があるのね、日本には。

あんまりクルクル変わるものだから、有名な新聞が、麻生さんと福田さんの写真を間違えてのせたこともあるのよ。
無理ないわね。これじゃ誰も名前も顔もおぼえられない。

きっとそのうち「今年の日本の首相はだあれ?」
なんてクイズができるんじゃない。
このようにして、ワタシの悩みは深くなるばかり。

2010年6月8日

イヴ・サンローランの追悼コンサート

イヴ・サンローランが亡くなって
早くも2年。
その偉大な死に、世界中が衝撃を受け、
サルコジ大統領夫妻列席の元に、
国葬に近い葬儀が
サン・ロック教会で行われたのが、
まだ記憶に新しいというのに。

昨年の一周年記念は
サン・ロック教会でミサ。
そして今年の2周年記念は
オペラ・バスティーユのオリヴィエ・メシアン・ホールで特別コンサート。
クラシックが好きで、バイロイトの音楽祭に頻繁に行っていたサンローラン。
そうした彼のために、50年間のパートナーであり、
イヴ・サンローラン社経営者だった
ピエール・ベルジェならではの、愛情がこもった贈り物。

黒一色の壁に、
ふたりの親しい友人だったアンディー・ウォーホール作の、サンローランの肖像画だけが飾られ、
その手前にグランドピアノ。
ピアノとヴァイオリンの
素晴らしい演奏の間、
肖像画のサンローランが
私たちと一緒に演奏を楽しみ、
あるいは、何かを語りかけているような思いに何度もとらえられた、
感動的な演奏会。
招待者はサンローランとベルジェの身近にいた
人ばかり。
シラク夫人、ヴェルサイユ宮殿総監、元文化大臣、
女優カトリーヌ・ドヌーヴ、サンローランのミューズだったルルとべテイ、彫刻家ラランヌ、
クリスティーズ社長 etc
ほとんどの人が黒か白の品のある服装。
そうした人々を見ていると、
サンローランを取り巻いていた世界が
いかに高尚だったかわかります。
演奏会の合間にベルジェが挨拶。
「このコンサートに来て下さって、ほんとうにありがとうございます」
ベルジェの声は哀愁を帯びていて、
それだけに感謝の言葉が胸いっぱいに広がります。
たしかに、誰も彼も忙しい人ばかり。
それなのに、この日のために集まったことに、
ベルジェは感動したのでしょう。
地方や外国に行っていた人もいたかもしれない。
それでも、この日にこれほどの人々が集まった、
それはサンローランへの変わらない愛のしるし。
この日出席した人は、サンローランに思いをはせると同時に、
かけがいのない人を失ったベルジェを支えるためでもあったのではないかと、
私には思えました。

2010年6月6日

シャトレのつぶやき15 ネコ庭園

今、チュイルリー公園で庭園のイヴェントをしているの。それで、そういうのが大好きなママンが早速訪問。
「すごいんだから。なにしろ緑がいっぱいの公園の中に、もっと緑を足してたくさん庭園を造っているんだから」

でもいいの、
ワタシだって庭園があるんだもん。
規模は小さいけれど、庭園は庭園。
ほら、よく言うじゃないの、日本庭園とかフランス庭園とかイギリス庭園とか。
ワタシのはネコ庭園って呼んでいるの。
フランス庭園は、幾何学様式で、
イギリス庭園は自然を大切にしているのよね。
日本はナンとなく禅って感じ。

それでワタシのネコ庭園だけど、
別にスタイルってないの。そのときにあるお花や植木を適当に並べているだけ。
それでもお天気のいい日にそこに寝ころがるのは最高よ。
そうすると、
嫉妬深いママンはいやみをいうの。
「自分だけ気持ちよさそうにして」
それだけじゃないのよ。
わざとワタシにかかるようにお花にお水をあげるの。
これって、動物虐待じぁないのかなぁ。


2010年6月1日

シャトレのつぶやき14 ワタシの変身

ねぇ、見て見て! ワタシの頭のことよ、
いつもとちがうでしょ、わかる?
ママンの髪飾りをつけているの、というか、
むりやりつけられたの。
なぜこうなったかというと、じつは・・・

ワタシが住んでいる同じ建物に、
すごくおしゃれなマダムがいるの。
かなりのお年で、
ママンが言うには80歳くらい。
そのマダムが、これまた年をとったダックスフンドをかっていて、毎日お散歩にいくのだけど、ナニしろ、ほら、パリのマダムじゃない、だから、お散歩っていってもすごくおしゃれしていて、
しかも毎日ちがうお洋服。
それだけなら別にどってことないのだけれど、問題は犬の服までかえるのよ。マダムがベージュのお洋服のときは、ダックスちゃんもベージュ。冬はマダムは毛皮、ダックスちゃんも同じ。雨の日はおそろいの赤いレインコート。
それを見て、うらやましくてしかたがないママンが言うの。
「ねぇ、君って毎日毎日同じお洋服着ているのね。たまには変化をつけようよ」
そう言われたってお洋服はどうしてもダメ。
だって、ワタシ、舌をつかって全身を美しくするようしつけられているじゃないの。

それでもあきらめきれないママンが考えたのが髪飾り。これだってほんとうはじゃまだけれど、まあ、家賃も食費も払わないで暮らしていくために、がまんしているのよ。
でも、もっと信じられないことを
ママンは言うの。
「お家にいるときはネコでいいけれど、
お外に行くときだけ犬になってくれない?そうすれば一緒にお散歩できるし、
おしゃれもできるから」
ママンの頭ってほんとうに狂っている。先がおもいやられるわ。