2010年9月25日

資生堂パリ進出30周年記念

資生堂30周年記念祝賀会
日本を代表する企業、資生堂のフランス進出30年記念のイヴェントがサンジェルマン・デ・プレ広場で開催中。

そのお祝いのパーティーは、広場に面した産業会館で9月23日に行われ、日仏ほぼ同じ人数が出席。なごやかな夕べでした。資生堂の30年間の代表的なウインドーディスプレイは
産業会館内に、まるで高貴なビジューのように展示され、広場には資生堂の未来を表現するディスプレイ。アートが日常生活に溶け込んでいるパリらしい企画。

  
斎藤泰雄駐仏大使、千恵子夫人とご一緒に

 ああ、日本人で良かったと思うのはこういう時。
日本の企業がパリで素晴らしい評判を博していると、パリジャンはそれがいかにも、パリに住む日本人の業績のように褒め称えてくれるのです。

まあその逆もあって、日本はいったいどうしたのなどと、それも私たちの責任のように言われることもある。外国に住むということは、こうしたすべてをうまくこなすこと。結構大変です。


サンジェルマン・デ・プレ広場に
展示された
未来の資生堂のイメージ
それにしても資生堂の評判は素晴らしい。
美の王国フランスでこれほど評価されるのは、やはりクオリティーの高さが生む信頼があるからでしょう。
高くてもそれなりの製品だがら当然とまでフランス人に言わせている資生堂です。

ソワレで味わった宝酒造の日本酒も格別においしかったし、
虎屋のきめ細やかなお菓子もきれいでおいしかった。
他に例を見ない、日本人独自のデリカシーが生む製品の素晴らしさを、改めて感じた尊い日でした。

2010年9月20日

文化遺産の日

「文化遺産の日」の
法務省への行列
フランスの文化遺産は、
やはり素晴らしい。
それをもっと
広く一般に知ってほしいと
「文化遺産の日」を設け、
歴史的に重要な建造物を
無料で開放。

この「文化遺産の日」は
今ではヨーロッパの主要な国に
ひろがり、それぞ独自の
アイディアを出しています。
法務省の豪華な階段

今年は9月18日と19日の二日間。
私が一番興味を持っているのは、
官庁関係の建物。
モニュメントはいつでも入場料を
支払えば見ることが出来る。
けれども官庁関係の建造物は
招待でもされなければ
絶対に入れない。

シャンデリア、大理石が
眩しいほどの広間
フランスには、王侯貴族が贅沢で華やかな生活を送っていた時代の館が多く残っています。そのほとんどがお役所に使用されているのです。特にパリはすごい。大統領官邸も、首相官邸も、国家議事堂も、みな、昔の貴族の館。建物が豪華であるだけでなく、その内装もすごい。そうした場を誰でも無料で見れるのだからとても貴重な日。

というわけで、長く待つことを覚悟で、ヴァンドーム広場に面した法務省の行列に私も加わりました。待つこと一時間半。厳しいセキュルティー検査の後、法務省に足を入れてすぐに目が眩みました。

法務大臣の執務室

最初に目に入った階段からして、もう別世界。
ルイ十四世の時代の貴族の館だったその面影がしっかりと残っているのです。シャンデリアが輝き、金と大理石が豊富に使用されているこの館は、法務大臣の仕事場であり、住まいでもあるのです。革命が起きた国なのに革命前の文化はきちんと保存しているのですね。

それにしてもフランス人は、やはり今でも王朝時代に憧れを持ち、その中にひたっているのが好きな国民のようです。長いこと待たなければならないので、
いくつも見れないけれど、この時期にパリに来る機会があったら、ぜひこうした官庁関係の建物を訪問することをおすすめします。そういう私は、次回はどこを見ようかと今から胸をときめかせているのです。
セーターと
スニーカーの気軽な仕度で

2010年9月15日

ビエンナーレ

前夜祭のディナーパーティー
パリはいろいろな行事があって、心がときめく街。
特に秋は、アートに関する展示会や展覧会が、あちらでもこちらでもあり、目が回るほど忙しい。
何もその全てを見に行く必要はまったくないけれど、広告や招待状を目にするとあまりにも魅力的で、それを逃したら損をするような大きな恐怖心に捕らえられてしまう私なのです。

だから秋は忙しい。
今年特に素晴らしいのが二年に一度開かれる
アンティック展のビエンナーレ。
 
シラク前大統領
9月13日の前夜祭ディナーパーティーには、シラク前大統領も出席。
相変わらずにこやかで暖かい人。
今でもフランス人が最も好きな
政治家なのです。

招待客は勿論正装。
ロングドレスとタキシード。
会場のグランパレに設置された選りすぐれたアンテイックの作品と、何と高貴な調和。

貴族の館を彷彿させる
豪華なギャラリー
アペリティフのシャンパンを片手に年代物の家具や書籍、宝飾、絵画、彫刻などを品定めしながら、談笑している紳士淑女を見ていると、あまりにも優雅な世界で、心が高揚するばかり。まるで映画の一場面。
美術館のように
多数の名画を展示するギャラリー
パリはやはり、生活自体がアートなのです。
全てにアートの息が通う街。
そうなのです。
パリは感性が磨かれないではいない街。
奥深さを持つ街。
特に秋は、
枯れ葉と相まって、
芸術色が一段と濃くなる
格別な街なのです。

2010年9月10日

ヴェルサイユ宮殿で「村上隆展」

村上隆さんの
ヴェルサイユ宮殿での記者会見

本当に大変なことです。
あのヴェルサイユ宮殿が、日本の現代アート第一人者、村上隆さんの展覧会を三ヶ月間開催するのです。これはもう、歴史的な出来事といえるほど重要。

ヴェルサイユ宮殿はフランスの豊さの象徴的建造物。
もっとも華やかな王朝時代の栄華を、
現代でも克明に伝えるフランスの誇り。


そこに日本人の現代アート作品が、大々的に展示される。
この画期的な企画に対して、日本でもフランスでも非難の声があがっているようですが、
何か新しい大きな試みがあるときに起きる現象だ、と私には思えるのみ。
大げさに言えば、エッフェル塔を建築したときも、ルーヴルのピラミッドのときにも
非難がおきています。


村上さんの場合には、永久にヴェルサイユ宮殿に展示されるのではなく、一定期間、宮殿に新たな息吹を吹き込む、と解釈すべきなのではないかしら。

9月9日、ヴェルサイユ宮殿で村上さんの記者会見とブュッフェがあるという招待状を受け取り、ウキウキしながらヴェルサイユへ。

すでに村上さんに一度お会いしたことがあるけれど、挨拶した程度。私のことなどおぼえているはずがない。でも今回は記者会見だから質問も出来るし、じっくり観察も出来る。


そういうわけで張り切って二列目に座る。
出席している日本人はパラパラといった感じ、それに比べてフランス人とアメリカ人が圧倒的に多い。

宮殿内だけでなく、庭園にも村上さんの作品が展示されています。

「ヴェルサイユ宮殿は喜びと祭典の場であった。ムッシュ・ムラカミの作品は楽しく、同じように喜びがある。そこに接点を見出している」
ジャン・ジャック・アイヤゴン総裁の言葉に、私は大いに納得。

「二年前に依頼を受け何度か訪れ、ヴェルサイユ宮殿はバロックの装飾だということ、
その中でも特に金の重要性を感じました」
と語る村上さんのカラフルな作品は、バロックのインテリアといかにあっていることか。

時代が異なるとはいえ、それぞれの時世のそれぞれの喜び、楽しさ、そして豪華さが表現され、それでいてしっかりと共存している。
「ルイ14世が生きていて、直接村上さんに展覧会を依頼したとしたら」
との私の質問に真面目に答えて下さり感激。

「緊張感の中で、最大限のことをしようとチャレンジしたと思う」

そう、村上さんのこのチャレンジ精神は国際規模。勇気ある人です。
何よりも感動したのは「僕の作品たち」という村上さんの表現。
つまり、彼にとって作品は、様々な素材によって作られる単なる無言の作品ではなく、
精魂込めて育てた自分の子供たちのように、生命のあるものなのだ、と、私は解釈。


日本人の作品が、しかも、作者の存命中にヴェルサイユ宮殿を飾るのは今回が初めて。
やはりすごい。そうした村上隆さんの才能に、乾杯!

2010年9月3日

グルゴー男爵の思い出

何てなつかしい写真
パリ近郊のグルゴー男爵のシャトーで
グルゴー男爵の悲報をナポレオン財団から知らされ、てもさみしいパリの秋。
男爵にお会いしたのはずいぶんと前のこと。
それでも、当時住んでいらしたパリ近郊のシャトーでの初対面は、今でもはっきりと記憶に残っている印象的な人。
「シャトーにいくつ部屋があるか数えたことがない。だいたい気にもしていない。50くらいかな」
などと言われて、
「そ、そ、そうなんですか」
と思わずどもってしまった私でした。

広々とした部屋を飾るのは、王朝時代やナポレオンの時代の、歴史の香りがほとばしる本物の家具や絵。
「これはジョゼフィーヌが使用していた化粧台」
と、金細工を施した優美な調度品に、それが当然のように手で触れながら説明。
「この絵に描かれているのが誰かわかりますか」
何と、マリー・アントワネットの王子の肖像画。
世界に三枚しかない、その一枚といった具合。
美術書や歴史の本の中でしか知らないような、高価で貴重な作品に囲まれて日常生活を送っているなんて、あまりにも現実離れしていて、足も頭もフラフラ。そして、のどは渇くばかり。

セント・ヘレナ島で回想録を
グルゴー将軍に口述するナポレオン
グルゴー男爵の先祖はナポレオンの有能な部下のグルゴー将軍。
モスクワ遠征で大活躍し、ナポレオンの流刑地、セント・ヘレナ島にも同行。
ナポレオンはそこで、回想録をグルゴー将軍に口述したという、歴史上欠かせない人物。その五代目にあたる男爵はナポレオン財団を設立し、長年その会長を勤め、さまざまな国でナポレオン展を開催したり、講演をしたりの重要人物。

それにもかかわらず、気さくで寛大な人で、私にナポレオン史学会の会員になることも
すすめて下った恩人なのです。

シャトーは不便だからと、パリ市内の一戸建てに移り、そこも何度か訪問した私は本当に幸運者。亡くなられたことを知って本当にさみしい。
なんだか歴史が遠ざかった想い。

シャトレのつぶやき 21 ネコ流のお花のいけかた

芸術の秋到来。ということで、ワタシもアート的なことをしたいな。
生け花はどうかな。
日本には、お花のいけ方にいろいろと流派があるん だってネ。
草月流とか、池坊流とか、小原流とか・・・
ママンがそう教えてくれたの。

「それは日本式のお花のいけ方。
それをマスターするのにはとっても時間がかかるの。でもね、
今はヨーロッパ式にお花を飾る人のほうが多いのよ。
自由に飾っていいの。自分のセンスでいけるのよ」
それならば
ワタシにだってできるわ。
なんといってもワタシのセンスは
ステキッて大評判なんだから。
じゃ、さっそくお見せします
とはいうものの、
けっこうむずかしいのネ。
だいたいお花って
意外と背が高い。
見上げてばかりで、首が疲れてしまうじゃないの。
それに、カットしたくても
なかなかうまくいかない。
なにしろワタシって
ハサミがつかえないから、
歯で切るしかないじやない。
それが大変大変。
ウーン。
こうなったらついでに食べてしまおっと。
あら、わりとおいしいじゃないの。
最近、野菜不足だから
ちょうどいいわ。

なんてムシャムシャ食べていたら、
ママンが見ておこごと。
「せっかくいただいたお花を、君はメチャメチャにして。
いったいどういうつもりなの。
これは食べ物ではないの。見て楽しむ物なの。
まったく、君は美的感覚がゼロなんだから」
ワタシには学ぶことがまだまだたくさんあるみたい。
ママンの侮辱的な言葉にくじけないで、がんばるわネ。