2010年9月3日

グルゴー男爵の思い出

何てなつかしい写真
パリ近郊のグルゴー男爵のシャトーで
グルゴー男爵の悲報をナポレオン財団から知らされ、てもさみしいパリの秋。
男爵にお会いしたのはずいぶんと前のこと。
それでも、当時住んでいらしたパリ近郊のシャトーでの初対面は、今でもはっきりと記憶に残っている印象的な人。
「シャトーにいくつ部屋があるか数えたことがない。だいたい気にもしていない。50くらいかな」
などと言われて、
「そ、そ、そうなんですか」
と思わずどもってしまった私でした。

広々とした部屋を飾るのは、王朝時代やナポレオンの時代の、歴史の香りがほとばしる本物の家具や絵。
「これはジョゼフィーヌが使用していた化粧台」
と、金細工を施した優美な調度品に、それが当然のように手で触れながら説明。
「この絵に描かれているのが誰かわかりますか」
何と、マリー・アントワネットの王子の肖像画。
世界に三枚しかない、その一枚といった具合。
美術書や歴史の本の中でしか知らないような、高価で貴重な作品に囲まれて日常生活を送っているなんて、あまりにも現実離れしていて、足も頭もフラフラ。そして、のどは渇くばかり。

セント・ヘレナ島で回想録を
グルゴー将軍に口述するナポレオン
グルゴー男爵の先祖はナポレオンの有能な部下のグルゴー将軍。
モスクワ遠征で大活躍し、ナポレオンの流刑地、セント・ヘレナ島にも同行。
ナポレオンはそこで、回想録をグルゴー将軍に口述したという、歴史上欠かせない人物。その五代目にあたる男爵はナポレオン財団を設立し、長年その会長を勤め、さまざまな国でナポレオン展を開催したり、講演をしたりの重要人物。

それにもかかわらず、気さくで寛大な人で、私にナポレオン史学会の会員になることも
すすめて下った恩人なのです。

シャトーは不便だからと、パリ市内の一戸建てに移り、そこも何度か訪問した私は本当に幸運者。亡くなられたことを知って本当にさみしい。
なんだか歴史が遠ざかった想い。