2011年1月29日

クラナッハ作「三美神」のルーヴル入り

ルーカス・クラナッハの
三美神
ドイツ・ルネッサンスの偉大な画家ルーカス・クラナッハ(1472-1553)の名作「三美神」が、ついにルーヴル美術館に入りました。透明感のある優雅で官能的な美を描くクラナッハ。絵のサイズは小さいのですが、そこから流れる品格ある美は
限りなく大きい。

「三美神」の絵の持ち主が、昨年それを手離すことを発表したとき、ルーヴルはいち早くその購入を希望しました。ところが価格は400万ユーロで、予算が100万ユーロ不足。それでもあきらめきれないルーヴルは、11月13日に寄付を呼びかけました。

ボッティチェリのフレスコ画前で
フルートの演奏

その結果8歳から96歳の約5000人がそれにこたえて、寄付金を送ったのです。こうした呼びかけは珍しいこと。寄付金の金額は1ユーロからさまざまで、4万ユーロの寄付もあったそうですが、素晴らしいのはこうしたことに関するフランス人の連帯意識。個人主義だと評判のフランス人ですが、いざというときにはこのように一致団結。不足の100万ユーロは2ヶ月足らずで集まり、購入が実現されたのです。
 1月29日は高額寄付をした約600人を招待して、
一般公開前の特別観賞日。
閉館後のルーヴルには多くの係員が待機し、愛想よく出迎え。奥へと進んでいくとハープの柔らかな音色が広い館内に響いていて、思わず聞き入りました。さらに奥へと進むと、ボッティチェリの名作の前では、美しい二人の女性の、そしてその向こうではビオラの演奏。

見る人を魅了しないではいない
心が清浄されるような名作
世界に誇る名作の間を、そうした音色が静かに途切れることなく流れている。ルーカス・クラナッハの名作「三美神」をルーヴルに展示できることへの、何というオリジナリティある、そして何という感動的な感謝の表現。
この作品を見るたびに思い出せないではいられない光景でした。

2011年1月27日

日仏経済交流委員会の新年会

日仏経済交流委員会デイレクターの
富永典子さん、商工会議所前副会長
フランソワ・メレリオさんとご一緒に
フランスと日本の経済界を代表する人が、一同に集まってお祝いする新年会が、いつもの通りパリ商工会議所で行われました。参加者は約250人。
この日はいろいろな方との友好が深められる貴重な日。

カクテルに始まり、ころを見計らって別室で演奏会。
エコール・ノルマル音楽院の生徒さんによる演奏は、大きなコンサートホールでのと異なり、親密感があり、
そのためにより心の奥深くにしみじみと訴える素晴らしいもの。
卓越したテクニック、そして初々しい彼らの真剣なまなざし、透き通るような美しい音色。誰も彼もが感動。

その後さらに別室に移り、着席ディナー。
この日のドレスコードはカクテルか着物。
会場の旧貴族館の装飾とあいまって、高尚な雰囲気をかもし出していました。

旧伯爵邸のパリ商工会議所
凱旋門近くにあるこの建物は、1857年にポーランド貴族、グレゴワール・ポトフスキー伯爵の館として建築された瀟洒な建物。
伯爵が1871年の普仏戦争のさいに、ドイツの砲弾の破片を受けて世を去った後、彼の父が引継ぎ、
その後は別の息子、フェリックス・ニコラ・ポトフスキー伯爵の住まいとなりました。

彼の妻エマニュエラが大富豪出身で、多額の資金を費やして屋敷も館も一挙に拡大。エマニュエラは文芸を愛する知識人で、この時代にサロンが頻繁に開かれていたのです。

会食が終わっても去りがたく、
話がつきません。
当時の面影は壁や天井装飾、タペストリーに残っていて、そうした中でのソワレは、いつまでも記憶の奥に留まります。日仏の親善が心身で強く感じられた尊い数時間でした。

2011年1月24日

オート・クチュール

抵抗しがたいほどのエレガンス
 常にディオールと共に始まるオート・クチュール。
今回も同じ。会場はロダン美術館。
庭に大規模にテントをはっての
コレクション発表です。
これほど華やかな世界があるかと思うほどの顔ぶれ、そして、
もちろん、鬼才ジョン・ガリアーノによる可能な限りフェミニンな作品の数々。

クリスチャン・ディオールの無二の親友だったイラストレター、ルネ・グリュオーへのオマージュが今回のテーマ。
ディオールがメゾンを設立したときから、
常に彼の傍らで活躍していたグリュオー。
彼ほどディオールと密接な関係にあった人はいません。公私ともに一緒に時代を歩んできたふたりが、
もっとも輝いていたのは1950年代。

満開の花のような優しさを持つフェミニンな女性を、
布地で表現していたディオール。
それをガリアーノは現代性を
導入しつつ再現し、私たちをディオールとグリュオーの時代に誘い入れてくれました。
俗世間を完全に忘れさせ、たとえ短時間であったとしても、夢の世界に浸る心地よさを味わわせてくれたガリアーノの才知は、やはりすごい。

幾重にも重ねたチュール、豊かなフレアー、
花を飾ったブロドリー。平和に満ちた世界が目の前でくり広げられるのをまじかでみるほど、心が高揚することはない。

私が撮影した唯一のグリュオーの写真
カンヌの彼の自宅で
実は、幸運なことに、グリュオーにお会いしたことがあるのです。それは「ディオールの世界」を書いていたときのこと。
ディオールを知っていた人にインタヴューしたひとりが、
グリュオーだったのです。

パリの自宅で立て板に水のごとくに、ディオールとの思い出を語ってくれた彼は、
カンヌでまた語り続けてくれたのです。
地中海を一望できる高台の家。そこで、若々しく語ってくれたグリュオーは、
当時80歳を越えていたはず。
その記憶力とバイタリティーに圧倒されたのを
今回のコレクションを見ながらなつかしく思い出しました。

ノスタルジーに浸ることが出来た今回のコレクションは、
ひときわ感動的。
ありがとうディオール、ありがとうガリアーノ。

2011年1月18日

新しい本は「ヨーロッパの王室」

新しい本です
イギリスのウィリアム王子の結婚式がまじかになり、モナコの君主アルベール大公は夏、二日間にわたってウエディング・セレモニー。このように今年は、一段と華やかなヨーロッパの王室です。そうした年にふさわしい本を出しました。

「クイズで入門 ヨーロッパの王室」講談社+α文庫。

現存する王家だけでなく、すでに過去となった王家も含め、ヨーロッパのさまざまな王家のさまざまなエピソードを、クイズ形式で楽しんでいただける本です。
写真もたくさん入っています。
今までと異なった形式の本なので、
私も書きながら大いに楽しみました。

1月20日発売です。
どうぞよろしく!!!

2011年1月15日

駐仏大使公邸での新年会

齋藤泰雄大使の新年のご挨拶
毎年1月中旬は、パリに住む日本人にとって待ちに待った楽しみな日。
フォブール・サントノレ通りの駐仏日本大使公邸で新年会が開かれ、300人ほどの人が集まるのです。
大使ご夫妻は入り口近くで招待客を迎え、ひとりひとりと笑顔を絶やすことなく言葉を交わす。それが長い時間続くのですから、大変な任務。

その後、奥に進みシャンパンをいただきながら、談笑。そのど゙の顔も新たな年を迎えた喜びに満ちている。再会を喜ぶ声があちらこちらから上がり、雰囲気が盛り上がったころ、
齋藤泰雄大使のご挨拶。
そして鏡開き。

微笑みながら
大使を見守る千恵子夫人
鏡と呼ばれ、あるいは円満をあらわすといわれる円形の酒樽の蓋を割り、健康や幸福、発展を共に祈願する日本独特の行事。この瞬間は日本人であることを再認識する貴重なもの。

樽から出たばかりの新酒を枡でいただくと、さらに日本人である意識が深まる。
細長いテーブルの上にはおせち料理がずらり。日本のお正月に欠かせない貴重なお料理に、誰も彼もが顔をほころばせる。そして最後はお雑煮でしめくくり。
おせち料理を食べることに執着しながらも、会話も楽しむ。長年パリに暮らしている人は、それにすっかりなれているから、見事にこなすのです。

新たな年のお祝いに欠かせない
鏡開き
芸術的なおせち料理

この新年会を終えて初めて仕事をする気になる私ですから、困ったものです。
改めて、謹賀新年。
今年もいろいろとパリの話題をお知らせしますね。

2011年1月7日

シャトレのつぶやき 31 クリニックに行ったの

冬にクリニックに行くときの装い
アタリ先生が、あ、この人がワタシの先生なの、1月に検査にいらっしゃいというので、ママンがワタシを連れていくことになったの。

「冬でお外がすごく寒いのよ。だからセーターを着なくてはネ」
そう言いながらママンが見せた、セーターとかいう奇妙な物におびえたワタシは、逃げ回ったの。とうぜんよね。ネコはお洋服なんか着ないんだもの。そうしたらママンはワタシをむりやり抱っこしてバスルームに閉じ込めたの。

「はい、これで君はもう逃げられない。あきらめなさい。
これを着るの」
ママンは勝ち誇ったように、ニヤニヤしながら言うの。ひどい人。

だからワタシは声を限りに叫んだの。
「イヤッー!」
そうしたら敵も負けていない。
「むだな抵抗はしないの。着なくてはいけないの」
「ぜったいにイヤーッ!」
「ほんとに君はがんこネ。かぜをひいたら困るのよ。そうでなくても君は病気なんだから」
キャーッ、キャーッ、と言いながらバスルームでも逃げるワタシ。

たしかにワタシはママンが言うように病気よ。しっているわよね、
セーターなんか着たくないって
右へ左へ逃げ回るワタシ
ワタシが 一度心臓が悪くなって入院したのを。実は心臓の近くに腫瘍ができているんだって。手術は危険だからしないで、そのかわりに大嫌いなお薬を毎日飲んでいるの。その効果をアタリ先生がみたいんだって。そんなのをみたいなんて、
先生も変わった趣味の人ね。

イヤがるワタシにママンは、赤いセーターをヒラヒラさせながら
こう言うの。
「これはね、カシミヤよ。君のために犠牲にして着せてあげるんだから、ありがたく着なさい」
それでもイヤなワタシは逃げたけれど、とうとうつかまってセーターにくるまれたの。その途端、そそうをしてしまったの。だってすごくこわかったんだもん。

「ギャーッ! 何てことをしたのよ君は!!」
今度はあの人が悲鳴を上げる番。それぞれ順番があるのね。
「君はほんとうにイヤーな性格ね。ああ、これでこのセーターはゴミ箱行き」
それでもあきらめないしつっこいママンは、今度はベージュのセーターをもってきて、ついにワタシは観念してそれを着ることになったの。
それからタクシーを呼んで、クリニックへ。

このように、冬にクリニックに行くのは、ほんとうにたいへんなこと。
ベージュのセーターは、この次のためにとっておくんだって。
そのときまでに体力をたくわえて、もっとがんこに抵抗できるようにしなくては。
だからワタシは毎日真剣にお薬を飲んで、真剣に食べています。

2011年1月5日

セーヌ川が増水

水が増したセーヌ川
去年の12月に降り続いた雪が、お天気になったためにとけ始め、セーヌ川がついに増水。川沿いの道路が閉鎖されているために、道路が異常な混み方。
雪でさんざん苦労したのに、またかとパリジャンはうんざり。

でも自然がすることだから、文句のもっていきようもない。じっとがまんで運転するほかないのです。まあ、年中行事のストライキで、こうしたことにはなれているはず。

セーヌが氾濫をおこしたのは1910年1月28日。当時の写真を見ると小舟で街の中を行き来していたのだから、これは大事。まさかそうなることはないと思うけれど、川の流れが急なのを見ると、やはり心配。楽観的に考えて、つかの間のヴェニスだと思えばいいのかも。

船が通れないほどの増水
数年前にセーヌの水かさが増し、心配した当時の文化大臣ジャン・ジャック・アイヤゴンが、ルーヴル美術館の地下に保存している作品を、安全な場所に移させたことがありました。やはり文化を重視するフランスらしい処置だと、関心したのを覚えています。

でも、私たちの生活はどうなるのかしら。今から自己防衛をしたほうがいいのかしら。食料品を買い置きしたり、第一、革のブーツはあっても防水の長靴がない。まずそのあたりから始めないと。
川を中心にして栄えた都市に住む住民ならではの悩み事です。

2011年1月2日

キャサリン妃

4月29日は待ちに待ったイギリス王子ウィリアムとケイトの結婚式。
フランスでは一部始終を実況中継するから、王室大好きの私はこの日、テレビにかじりつきになること間違いなし。
ケイトはその日からプリンセス・キャサリンと呼ばれるようになるのかしら、あるいは、プリンセス・ケイト?

キャサリンというと、私はどうしても学生時代に愛読していた「嵐が丘」を思い出してしまうのです。実際にはケイトとは類似点はないのに不思議。

キャサリンという名の王妃は、イギリスにすでに5人もいたのですね。
ということは、ケイトは6人目。過去のキャサリンのことが気になるので、いろいろと調べると、こういうことです。

1 最初のキャサリン・オブ・ヴァロア(1401-1437) はフランス国王
  シャルル6世の王女。イギリス国王ヘンリー5世と結婚しイギリス
  王妃に。けれども二年後に未亡人になり、その後、王家に仕え
  る貴族オウエン・チューダーと再婚。政略結婚の後、本当に愛
  する男性と再婚したしあわせな人。

2 スペイン王女キャサリン・オブ・アラゴン(1485-1536) は、
  24歳のときにイギリス国王ヘンリー8世と結婚。もともとヘンリー
  の兄アーサーと結婚していたのが、彼の急死で弟の妃になる。
  王子を授けられないために強引に離婚され、ほぼ監禁状態の生
  涯。この王妃の後、次々に妃を変えたヘンリー8世の、
  いわば最初の犠牲者。

3 ヘンリー8世の5番目の妃の
  キャサリン・ハワード(1521-1542) は、結婚後の姦通を理由
  に処刑され、無実を訴える彼女の亡霊が、今でもハンプトン・コ
  ート宮殿の廊下に出るという。国王の気まぐれでひどい目に
  あった王妃で、同じ女性としてやりきれない思いを持たせる人。

4 ヘンリー8世最後の王妃となったキャサリン・パー
  (1512-1548) はやさしく博学な人。わがままで6人もの王妃
  を迎えたヘンリー8世を最後まで見守り、彼亡き後貴族と
  再婚し、幸せな人生を送る。女性を好きなように操った、
  あの許しがたい国王ヘンリー8世に尽くした良妻賢母型女性。

5 ヘンリー8世の3人のキャサリン王妃の後登場するのが、
  キャサリン・オブ・ブランガンザ(1638-1705) 。
  美人のポルトガルの王女で、
  チャルーズ2世と結婚。けれども熱心なカトリックだったために、
  イギリス国教による戴冠を拒否。
  紅茶の習慣をイギリスにもたらした貴重な人。
  国王亡き後故郷ポルトガルに戻り、そこで生涯を閉じた、
  自分をしっかり持っていた人。

こうした5人のキャサリンの後、6番目の王妃キャサリンとなるケイト。
民間人最初のイギリス王妃ということで、将来が楽しみ。
今からプリンセスとしてのオーラがあり、大人気のよう。確かに写真で見てもそれは伝わってきます。ウィリアムとの相思相愛が伝わる写真に、世界の平和が感じられ、今年は何となくいい年になりそう。

2011年1月1日

シャトレのつぶやき 30 今年もよろしく


あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
 新年おめでとうございます。
今年はママンと仲良くするよう努力します。
彼女も少しはワタシをみならって努力してほしいと思います。
これが今年のワタシのお願い。

2011年はウサギ年なのね。
不思議なのは、なぜネコ年がないのかっていうこと。
こういうのを不公平っていうのだと思うけれど・・・
でも、いろいろと理由をきくのはやめておきます。
新年だからね。

今年もどうぞよろしく!
シャトレ ルミ子